「…私に隠し事して、みんな何やってるんでしょう」
「…」

志恩から事の詳細を聞いて、狡噛の部屋にいるようにと言われた。エレベーターに乗り込むと、偶然居合わせた朱ちゃんが降りてくる。
私は思わず彼女を凝視し、彼女も少し驚いた様子で私を見た。そして冒頭に至る。

「さあ。…私を、責めないの?」
「…貴女は、何も悪いことはしていません」

朱ちゃんは強く意志を込めるように呟いた。エレベーターに乗り込んだ私と対称的に彼女はエレベーターのドアを手でおさえて会話を続ける。

「逃亡犯、脱獄犯、殺人犯。いろんな肩書きがあるはずなんだけど」
「…ゆきのことは、許してませんよ」
「…」
「あの時、暁さんはゆきを見殺しにしたんです。貴女は、槙島の仲間でした。直接手をかけていないとはいえ、貴女も槙島の殺人に手を貸したんです。だから、許さない」
「ええ」

正しい判断だ、と思った。
エレベーターはまだ動かない。

「…でも、貴女が悪人じゃないってことは私も知ってます。最初にここに配属になったときに、暁さんは私に現場のセオリーを教えてくださいました。あれが正しいとは今も思ってません…でも…貴女の言うことはいつも間違ってなかった」
「…買いかぶりすぎだよ」
「そんなことありません」

そらしていた視線をあわせると、朱ちゃんが扉をおさえたまま一歩だけエレベーターに再び乗り込んだ。

「どこか遠くへ行ってしまうんですね」
「…ごめんね」
「謝らないでください。…なんとなく、わかってるつもりです。貴女と私って、ちょっと似ているから」
「有能な監視官様にそう言ってもらえて光栄だよ」
「…暁さん、もう一度いいます。私は貴女を許してはいません。これからもきっと許せません。でも、」

朱ちゃんは小さく息を吐くと、私を見上げて言い放った。

「貴女のこと信じています。だから死なないでください。次に会うとき、もう一度私が貴女を捕まえる…!だからそれまで絶対に…絶対に死なないで!」

朱ちゃんの声が鋭利なナイフのように私の胸に突き刺さった。
私が貴女を捕まえる、だから死ぬな。
彼女はそう言うとエレベーターのドアから手を離し、一歩後ずさってエレベーターから降りた。

「待って」

今度は私がドアの開閉ボタンを押して、口を開いた。

「私からお願い。…宜野のこと、見ててあげて」
「…宜野座さんがどうかしたんですか」
「嫌な予感がする。…サイコパスがかなり濁ってると思う。無茶をしようとしたら…止めてあげて」
「…わかりました」
「…お互い、堅物な上司を持つと大変だね」
「私から見れば貴女も堅物な上司の一人ですよ」

朱ちゃんは苦笑すると、私に背を向けて歩き出した。分析室に向かうのだろう。私もそっとエレベーターの閉ボタンを押して、狡噛の部屋へ向かった。














「朱ちゃんに感謝しなさいよ〜。中枢神経避けて足に当てたんだから」
「もうドミネーターの扱いも慣れたもんか」
「何かさ、初々しい新人がどんどんタフになっちゃうのって頼もしいような寂しいような…。複雑なもんね」
「あいつはこれからもっともっとタフになるさ」

地下駐車場で常守にパラライザーで撃たれてすぐ、俺は病室に運ばれたらしい。目が覚めると、ベッドの脇の椅子で常守が座ったまま眠っていた。ずっと俺が起きるのを待っていたみたいに。
志恩が病室に入ってきて、常守を起こそうとするが止める。今、彼女の顔を見て何を話せばいいかわからなかった。

分析室に通され、モニターを見ていると傍らに置いてあった解析機器の中に見慣れたヘルメットが鎮座しているのが目に入る。

「1個、質問」
「はーい?なんでしょ?」
「あのヘルメット、まだ使えるのか?」

俺が志恩に問うと、彼女が僅かに眉を寄せた。だがすぐにいつもののほほんとした顔に戻ると、タバコを指で挟んで平然と答える。

「一応ね。でもシビュラシステムの完全復旧と共に対策プログラムが実装される予定。そしたら後はもう普通のヘルメット」
「完全復旧まで」
「あと6日〜?…証拠品、持ってくつもり?」

志恩がニヤニヤと笑って振り向いた。俺は解析のレーザーを照射されているヘルメットを静かに眺める。

「捜査の為に必要なんだよ」
「捜査からは外されてるくせに…」
「こっちにも通達は来てるのか?」
「ん〜?どうだったっけ?そういやまだ聞いて無かったかも…?」

そう言うと、爪にマニキュアを塗るのを一時中断し、志恩が解析取り止めのボタンを押した。

「絶対に外に持ち出さないでよね」
「わかってるよ」

志恩は俺に背を向けて再びマニキュアを塗るのを再開したらしい。
レーザー照射をやめた解析機器は今は音もなく無防備にヘルメットを晒している。俺がヘルメットを手にとり分析室から出ようとすると、また志恩に声をかけられた。

「ねぇ、慎也くん!」
「ん?」
「あたしさぁ、せめて一度ぐらい貴方と寝てみるべきだったのかな?」

冗談混じりの声に、俺は少し笑った。

「どうだかな。お互い趣味じゃなかったろうぜ」














「ああ、ヘルメットね…その手があったか。…退院祝いだ、まぁ飲めよ」

部屋に戻ると征陸のとっつぁんがソファーに腰かけて俺がまとめた標本事件のファイルを開いていた。
テーブルにはドミネーターや酒瓶、グラスが3つ置かれている。
とっつぁんの向かいにはスーツ姿の暁がちらとも俺を見ずに足を組んで座っていた。少し見ないうちに窶れたようにも見える。


「今も暁と話してたんだがな……お前の集めた槙島の資料、見せて貰ってるぜ。一見とっ散らかっているようでいてきっちり整理がついてる。いざとなれば肝心な部分だけいつでも持ち出せる構えだな」

とっつぁんは書類をペラペラと捲ると、テーブルに置いた。

「何故そこまでヤツに拘る?お前が許せないのは悪か?それとも槙島自身か?」

暁の横に腰かけて、グラスを手に取った。彼女は依然として見向きもせず、テーブルに置かれたとっつぁんのドミネーターを何か考え込むように静かに眺めていた。

「どっちも違うよ、とっつぁん。今ここで諦めてもいずれ俺は、槙島聖護を見逃した自分を許せなくなる。そんなのは真っ平だ」
「お前らしい答えだな」

強ばった表情の暁とは対称的に、とっつぁんは優しい笑みを浮かべるばかりだった。
そこで彼女が初めて口を開いた。

「私は」
「…」
「私は、もうわからなくなってる。自分が何をやってるのか、何のためにこんなことしてるのか。私は、何をしたいのか。私と狡噛は違う。私は自分勝手で…」
「暁」

とっつぁんが優しい声音で諌めた。だが彼女は首を横に振る。

「私がやってるのは子供の我が儘なんだと思う。…でも、私は…もうここには居られない」
「槙島がお前を守れと言っていた」

俺が口を開くと、彼女は少し驚いたような顔で俺を見つめた。

「…ここにいたらお前は消される。あいつに従うのも癪だが…お前は俺達がまだ知らないことも知ってるんだろ。そんな野暮なことはいちいち聞かないが、お前はこのままじゃ厚生省の都合で生かされ厚生省の都合で殺されることになる。それはあまりにも…理不尽だろ」
「そもそも暁は俺やコウと違って潜在犯じゃないんだ。まあ槙島と行動を共にしたのは……目を瞑るとしよう。それでプラマイゼロになるんじゃないかね」

とっつぁんの朗らかな笑みを見て、彼女もようやく折れたように少し微笑んだ。

「警視庁時代の思い出だ。いざと言う時に備えて、セーフハウスを用意してた事がある。何かの役に立つかもしれん」
「とっつぁん…」

テーブルに鍵を置くと、とっつぁんは気にするなというように手で制してグラスの酒を仰いだ。

「朱ちゃんには黙ったまま行くの」
「今更会わせる顔が無い」
「せめて気持ちの整理だけはつけさせてやれよ」
「…そうだな」














常守へ
すまない。俺は約束を守れなかった。
誰かを守る役目を果たしたい、そう思って俺は刑事になった。だが槙島の存在が全てを変えた。あの男はこれからも、人を殺め続けるだろう。なのに法律では奴を裁けない。俺は刑事でいる限り、あの男に手出しが出来ない。今度の一件で思い知った。
法律で人は守れない。
ならば法の外に出るしか無い。

常守朱。あんたの生き方は間違いなく正しい。俺に裏切られたからってそこを見失ってはいけない。
俺はあくまで身勝手に自分の意地を通す為だけに、あんたと違う道を選んだ。これが過ちだと理解はしている。だが俺はきっと間違った道を進む事でしか、今までの自分と折り合いがつけられない。
許してくれ、とは言わない。次に会う時は恐らくあんたは俺を裁く立場にいるだろう。
その時は容赦なく努めを果たせ。信念に背を向けてはいけない。ほんの一時だったが、あんたの元で働けて幸いだった。

礼を言う。















「いいんだな」
「何が」
「俺と来て」
「もちろん」

狡噛とならんで通路を歩く。
本当に犯罪者になるぞ、と狡噛はヘルメット越しに呟いた。聞こえないふりをする。
通路から出て裏口につくと、私たちは自動ドアを通過して外に出た。

「どこへ行こうと人間は間違ったことをする巡り合わせになる。それが──己の本質にもどる行為をいやいやさせられるのが、人生の基本条件だ。生き物であるかぎり、いつかはそうせねばならない。それは究極の影であり、創造の敗北でもある。これがとりもなおさず、あらゆる生命を貪る例の呪いの実態だ」
「呪い、ね…。なんだったか…ディックの小説か?」
「あれ、結構好きなの。初めて観たのは映画。暇潰しにね。でも原作の小説の方がいいよ」
「今度貸してくれ」
「"今度"があるなら」















(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/フィリップ・K・ディック)

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