「…あ…」
「…大当たりだね」

赤い扉の向こう側。予想はある程度ついていた。けれど、こんな。
こんなことが。
震える私の手を槙島がそっと握る。お腹にまわされた腕に、少なからず安堵している自分がいた。

「厚生省がひた隠しにしていた事実はこれだ」

赤い扉の向こう側。
そこには私がいた。おそらく、400人を越える私が。彼女たちは目を見開いたまま、空っぽの瞳に私と槙島をうつしていた。床に積まれるように、人形のごとく倒れている体が、およそ400体。

全員、死んでいる。

「…」

その部屋の中心に、一際大きい水槽があった。縦に細長い円柱状のもので、中に大きな大人が数人程度なら入ることができそうだ。円柱状の水槽の中にはエメラルド色の液体が入っている。
部屋の隅にはまた別の四角い大きな水槽や専門的な機械などが並べられていた。おそらくここは実験室なのだろう。…ここで、殺されてしまったんだ。

「さて…どうする?」
「いらっしゃい」

その中の亡骸の一つがゆっくりと起き上がった。思わず私と槙島も目を見張る。フラフラと人間らしからぬ不自然な動きで起き上がった彼女は、にやにやと笑いながら私と視線をあわせた。

「驚きの顔ぶれだな…よくここがわかったもんだ。明日にはみんな、廃棄処分されるはずだったのに」
「…なん、なの」

私と瓜二つの彼女はスーツを着て、手には何故かドミネーターを持っていた。これではまるで執行官の頃の私のようだ。

「私は東雲暁」
「…!」
「…藤間くんは単純だからあまり使い物にならないんだ。ママの遺言で今は私がここを統べているわけだけど…。全員殺さなくてもいいのに…やっぱりバカだよねぇ。狡噛慎也にイチイチビビりすぎ」

独り言のようにぽつぽつと呟く言葉。何のことを指しているのか理解できない。トウマって?もしかして藤間幸三郎のこと?
この子も私のクローンなの?グソンと一緒に地下に向かわせた子が言っていた唯一の生き残りなのかもしれない。
私が思考を巡らせている間、槙島は何か思い当たる伏があるらしく手を口許にやりながら彼女をじっと見つめていた。

「お前が槙島聖護だな」
「…そうだが」

彼女は髪をかきあげると、スーツの襟や袖を正して、槙島に向き直った。どこか乱暴な口調だ。

「お前は私達のスペアだ」
「スペア、だと?僕が?」
「そうだ。藤間くんは新しいスペアが欲しい。でも今のところ、私を除いては君しか適任者がいない。ま、そもそも藤間くんが今あの席についているのも、殆どお前のせいなんだけどね」
「なんとなくだが話が読めてきたよ。…そのスペアというのは…免罪体質者しかなれないようだね」
「その単語、どこで知った?さてはハッキングしたな?厚生省公安局特別機密事項だ」
「…今さらだろう」
「いいよ。私はそんな小さな事をねちねちと根に持つタイプではない。だが…にわかに興味がわいてきたんじゃないのか?」
「スペアという言葉は気に入らないな。まるで僕の存在そのものを否定されているみたいだ」

槙島は目を細めて、部屋の奥にいる彼女を見据えた。またニヤリと笑うと彼女は遺体に見向きもせずにこちらに向かってくる。

「それは悪かった。ならばスペアという単語は撤回しよう。せめて……オルタナティブにしようか」
「嫌味かい?」
「部品のパーツだということはわかっていただけただろう。…外の世界は楽しかったか?」

彼女は死体の山に腰掛けると、足を組んでそのきらきらした瞳を私に向ける。

「…」
「そんな怖い顔をするなよ。私だって好きでここにいるわけじゃない。…ただ、そろそろ交換の時間なんだ。藤間くんがびびってここの子達全員殺しちゃったから、代わりがいないんだよ」
「…」
「でもママの遺言で、本人を使うことは出来ない。そうプログラムされてるんだ。オリジナルの東雲暁はこのシステムの核だからね。使い物にならなくなったら、今度は私か槙島がスペアになる。いや、ならなければいけない」
「……ねえ、それって」
「シビュラシステムの話をしているのさ。いやぁ、ほんと参った。クローンの開発チームはもう頓挫してるしさ、しばらくの間はこの子達でうまく立ち回るつもりだったから」
「…」
「もうわかっただろ?シビュラシステムの正体、それは─────」













『そっちはどうだ?仕留めたか?』
「残念、返り討ちだぜ!」
『おやおや…やるもんだね。公安局の執行官だろ?』
「何者だ?あんた」
『ちょっと話をしないか?この地下は大規模な電波暗室になっていてね。中にいる俺達しか通信はできないようになっている。ドミネーターも使えなくなってるだろ?今そこに監視官がいても撃たれる心配はない。何を喋り何をやらかそうとお咎めなし。…どうだい?久しぶりに自由の身になった感想は』
「悪くねぇわな。こんな狭っ苦しい穴蔵じゃなけりゃ」
『もうじき、外の世界でも俺たちは自由になれる。シビュラシステムをぶち壊してやれば、このイカれた世界は根本からひっくり返るぜ』
「おいおい、正気か?あんた」
『笑い事じゃない。今の俺から扉一つ隔てた向こう側にシビュラシステムの中枢がある』
「えっ…」
『俺もあんたも同じ潜在犯だ。俺はネズミみたいにこそこそ隠れて暮らし、あんたは首輪をはめられた使い捨ての猟犬だ。…なぁ、本音を聞かせてくれよ。俺たちから何もかも奪い、虫けらみたいに扱ってきた連中が今街中で殺し合ってる様はどうだ?いい気味だと思わないか?』
「ああ…全く同感だね。正直胸がスッとしたよ。いつだってどこだって俺は人殺しのケダモノ扱いだった。それが、今じゃ奴らの方がよっぽど不様なケダモノだ。どんな気分で仲間の返り血を浴びてるのやら」
『だったら…』
「勘違いすんじゃねぇよ、ゲス野郎が!シビュラもクソだがテメェらもクソだ!他人をいいように踊らせて生かすの殺すの、何様のつもりだよ!シビュラが神様だってんなら、テメェらは悪魔にでもなった気分か?バカ抜かせ!俺もあんたも他人の幸せが妬ましいってだけのゴミクズさ。……このクソったれな街の市民様共が何千人と死んでこうがかまいやしねえ。だがな!あいつらに殺し合いをやらせてる奴だけがのうのうと生きてるってのが気に食わねえんだよ!まずテメェから真っ先に死ねよ!殺した数だけ繰り返し死んどけってんだよ!」
『…あんただって同じ潜在犯を何人も殺してきたんだろう?執行官…あんたはいったい何度繰り返して死ねば済むんだい?』
「まあ、一度死んだ先に地獄ってもんがあるんなら、そこで閻魔様が教えてくれるんだろうさ」
『友達になれると思ったんだけどなぁ…ね、暁さん』
「暁?…待てよ、そこに暁がいんのか?」
『本物は上だ。こっちにいるのはちょっと不良品かな』
「っ、どういう意味だよ!おい、暁聞こえてんのか?!おい!」
『随分慕われてるんだね、彼女。ちなみに君の声は届いてないよ。今セキュリティー解除用の演算をしているから、音声遮断してるし』
「…っ」
『君のお姉さん代わりなんだろう?初めて会ったのは施設の中。…彼女が執行官になってから度々面会はしていたみたいだね』
「何で知ってんだ…クソが」
『やはり縢秀星執行官か。…一係の個人ファイル読み込んどいて正解だったな。…いい友達になれると思ったんだけど』
「…俺のダチは今上であんたのボスとやり合ってるよ。だからこっちも不義理はできねえ。今すぐにでもあんたを殺しに行ってやる。まあその前に間に合うようならシビュラもぶっ壊してくれると助かるね。俺としちゃ、世の中から気に食わないものが二つ同時に消えてなくなるわけだからな」
『善処しよう。 最後の扉のセキュリティーが難物なんだけど』












「シビュラシステムの正体を知りたくはないのか?」
「そんなもんは後回しでいいんだよ!」

下がっていろと言われて私は階段の隅に隠れるようにして二人の戦闘を見ていた。はっきりいって狡噛が圧倒的に不利だ。ここに来るまでに怪我を負っているし、槙島はもともと強い。長期戦になればなるほど狡噛が不利だ。防戦一方の狡噛の様子を見ていられない。でも絶対に手を出すなと言われた。
床に転がった彼の頭を槙島が思いっきり蹴る。めりめり、という嫌な音が聞こえた。身体が壊れる音。槙島は嬉しそうに笑っていた。私が止めようとすると槙島はあの大きな剃刀を取り出し、頭部から酷く出血して起き上がれずにいる狡噛に向ける。

「思っていたより拍子抜けの結末だが…それでも久々に退屈を忘れた。感謝してるよ」
「…やめて、」
「帰ろう、暁。気が変わった。君を殺すのはやめにする。その代わりもう二度と狡噛慎也には会わせてあげない。僕と一緒に来るんだ」
「嫌だ、行かない、やめて槙島!」

槙島の手から剃刀を奪おうとすると、逆に腕を掴まれた。慣れない高いヒールとワンピースのせいで動きづらかったからだ。もしかして、このために私にこの服を着せたのだろうか。

「っ!」
「暁、君なら僕の気持ちもわかるはずだ。一緒にいてくれるだろう?」
「…嫌…」
「…仕方ないな。なら、君の目の前でこの男を殺してみせよう」

槙島が倒れて息を荒く吐いている狡噛を見下ろした。刹那、記憶がフラッシュバックする。
佐々山さん。佐々山さんのバラバラにされた身体が、生きたまま斬り刻まれた苦しそうな表情が。

「…あ…ああ…」
「君は今一体誰を思い出しているのかな」

手が震える。この男は、槙島聖護はやるといったらやる男だ。どんなに残酷なことでも、非道なことでも、そこに彼の知的好奇心があればなんだってする男だ。それをこの数日間間近で見てきた。槙島聖護とはそういう男なのだ。

「…私は」
「うああああ!!!」

え、と思わず振り向いた。
私が口を開いた瞬間、朱ちゃんがヘルメットを握って特攻してきたのだ。非常口のドアが開いている。
ヘルメットは見事に槙島の後頭部に直撃し、彼はその場に呆気なく倒れた。気絶したらしい。

「…朱、ちゃん」
「暁さん…」
「…」
「…話してほしいことはたくさんあります。貴女を、許すつもりも…ありません…」

肩で息をしながら苦しそうにそういう朱ちゃんに私も胸が痛んだ。
きっと、船原ゆきのことなのだろう。ううん、それだけじゃない、私が一系のみんなを裏切るようなことをしたのが許せないんだ。

「朱ちゃん、手を」

私が両手首をくっつけて彼女につきだすと、朱ちゃんが少し泣きそうな顔をしながら懐から手錠を取り出した。

「東雲暁、貴女を現行犯で逮捕します」
「…犯人逮捕、おめでとう」

私が呟くように言うと、彼女はぽろりと一滴だけ涙を流した。慌ててレイドジャケットの袖口で拭う。ああ、そんな乱暴にしたら折角の可愛い顔も台無しだよ。

「狡噛さんは…」
「監視官…」

私が手錠をしたまま狡噛に駆け寄ると、頭部の出血が酷く動けるような状態ではなかった。私が持っていたハンカチで額の血の部分に当てる。止血にもならないだろうが、何もしないよりはましだろう。

「殺せ…!」

だが、狡噛の意思は確固としたもので、なんとか目を開きながら、そばで倒れている槙島を視界に写したらしい。

朱ちゃんがヘルメットを握って振り上げる。槙島は気絶しているせいでぴくりとも動かない。
朱ちゃんは、槙島を殺すの?
槙島は船原ゆきを殺すときこう言っていた。"僕を裁ける者がいるとしたら、それは自らの意思で人殺しになれる者だけ"。
私は槙島を殺せる。狡噛も殺せるだろう。でも、朱ちゃんは?朱ちゃんは…。

朱ちゃんはまたぽろぽろと涙を流しながら振りかぶっていたヘルメットを床に落とした。彼女の背後でヘルメットが転がる。
そして、さっき私にしたのと同じように懐から手錠を取り出した。

「…槙島聖護…あなたを…逮捕します…」

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