「うまく追跡は撒けたみたいね」
「ちょろいもんさ。ドミネーターの使えねえ公安なんて屁でもねえ」

ああ……私本当に何やってんだろう。
帰宅早々槙島に手伝ってと言われて、今はとある地下駐車場に来ているのだけど。めんどくさい、というのが正直な感想だったりする。
こいつらは現金輸送車を襲った若者のグループで、もういらないから始末してきてね、とのことだった。始末ってどこまでのことを始末って言うのかな。生け捕り?それとも殺すの?ばらすの?なんかどうでもよくなってきた。

「でもよ〜、あんたら肝心なところで一本ネジが抜けてるよな」
「それだけのお宝を持ち歩いてて用心とか考えなかったわけ?」

私を取り囲むように三人の男がじりじりと距離をつめる。
バットやナイフを手にしているところをみると、どうやら貧乏くじを引いたらしい。女一人相手に男三人がかりとは、情けなくて笑えない。

「……こんなところで吊られて袋のお鉢が回ってくるとは…ちょっとは痛い目見ろって意味かな」
「あ?」
「あれはね、"啓蒙のための道具"だったの。人が人らしく生きるために…家畜のような惰眠から目を覚ましてやるために…」
「はぁ?」
「シビュラに惑わされた人々は、目の前の危機を正しく評価できなくなった。その意味では貴方達も、その哀れな羊と等しく愚かしい」
「へっ、そうかよ!」

折角槙島っぽく話してあげたのに、こいつらも脳みそ空っぽらしい。

殴りかかってきた男の腕をつかんで鳩尾に蹴りをいれると、そのまま背負い投げてその後ろにいた男に向かって押さえつけ、横からナイフを持って走ってきた男の顔を蹴りあげる。
あっという間に三人が床に伏してしまった。

「…さっき話したのは全部槙島の受け売りなんだけどね」
「っ…!」
「貴方達も本を読みなよ。私のオススメは…そうだな、湯浅泰雄の哲学の誕生とかいいと思う」
「や、やめてくれ、助けてくれ」

さっきまで男が持っていたバットが床に転がっていた。それを拾い上げてまだ何か喚いている男の口に突き立てる。

「読んでも理解できないだろうけど」















壊れていく。
世界が、静かに音をたてて壊れていく。でも何も気にすることはない。ただ、人が死んでいるだけだ。

「落ち着かないかね?」
「不安にもなりますよ…果たしてこの先に何が待っているのか。この街がどうなってしまうのか」
「君のそういう普通のところ、すごくいいと思う。僕らも君もごく普通で…本質的にありきたりな人間だ」

ガラス窓から外の景色を眺める。
鬱陶しいビル郡が目について、私は目を細めた。この街はそういう街だ。私は生まれてからずっとここで生きてきたはずなのに、よく考えたら私はこの街のことを何一つ知らない。不公平だ。

「自分のことは欲張りだと思ったことはないよ。当たり前の事が当たり前に行われる世界、僕はそういうのが好きなだけで…ね?」
「ごく普通でありきたりな我々が普通ではない街に犯罪を仕掛ける」
「普通ではない街か。何だろうな…昔読んだ小説のパロディみたいだ、この街は」
「例えば…ウィリアム・ギブスンですか?」

槙島とグソンはソファーに腰かけて談笑していた。槙島はマドレーヌを一度割って紅茶に浸すと、そっと口に含んだ。それ、プルーストの『失われた時を求めて』のオマージュ?

「フィリップ・K ・ディックかな。ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的ではないけど、ギブスンが描くほどワイルドでもない」
「ディック読んだことないなぁ。最初に1冊読むなら何がいいでしょ う?」
「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』」

槙島は微笑みながらこたえると、ガラス窓に張り付いて外を見ている私の髪を一房掴んだ。あからさまに嫌そうな顔をしてやると、ごめんごめんと頭を撫でられる。
悪い気はしないが、この行為だって槙島のものでは満足いかない。

「古い映画の原作ですね」
「大分内容が違う。いつか暇なときに比較してみるといい」
「ダウンロードしておきます」
「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない」
「そういうもんですかね?」

ガラスにぺたぺたと触れながら彼らの会話に耳を傾けた。槙島に見立ててもらった(というか勝手に用意されていた)服はホロコスではない、本物の服だ。彼は本物嗜好らしい。それにしてもこの年でこんなふわふわのワンピース、どうかなぁ。それとも槙島はこういう服が似合う女性が好きなのだろうか。

「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」
「調整?」
「調子の悪いときに本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪いときでもすらすらと内容が入ってくる本もある。なぜそうなのか考える。…精神的な調律…チューニングみたいなものかな」

槙島の手が腰に回る。後ろから抱きつかれたような体勢に文句を言おうと彼の顔を見上げると、口に何か入れられた。甘い。でもちょっと湿っている。さっきのマドレーヌだ。

「調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や本をぺらぺらめくったとき瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」
「何だかへこむなぁ」
「ん?」
「貴方と話していると俺の今までの人生ずっと損をしてたような気分になる」
「…考え過ぎだよ」
「ですかね」
「そろそろ時間だ」
「行きますか」

私の首筋に顔を埋めると、私の左手首につけられているアナログ腕時計に彼の指が触れた。時間を確認したいらしい。時計を彼の目線の先に置くと、小さく頷いた。
行くよ、と耳元で囁くと私から離れてグソンの方に向き直る。私もその背中を追った。

「どうでもいいんだけどさ」
「はい?」
「凄腕のハッカーがギブスン好きってのは、出来すぎだな」

















「やってくれるぜ、槙島聖護」
「でも、待ってください。このヘルメット犯罪に槙島が関与しているという決定的な証拠はまだ見つかっていません」
「考えてみろ、普通の人間はシビュラシステムを無効化する装備を作ってみようと思った時点で色相が濁る。それを設計し、量産し、ばらまいた。下準備には数ヶ月はかかっているだろう。部品の発注流通の手配。街中のスキャナーを避けながらできることじゃない」
「あっ…」

平和が長過ぎた、とあの女は言った。果たしてそうだろうか?

ヘルメットを被った人間たちによるテロが起こってから、七時間は経っただろう。
国境警備ドローンの装備を非殺傷兵器に換装する作業が進められているらしいが、現場の状況は一刻を争う。要するに間に合わない。本格的な鎮圧部隊の編成が整うまでの間は、刑事課のメンバーが市民の安全を守る最後の盾となるしかないらしく、俺達執行官と監視官は駆り出されていた。
問題のサイマティックスキャン妨害ヘルメットはドミネーターの機能を阻害する。これに対して最も有効なスタンバトンで対処せよ、と。相手が大人数の場合は緊急用の電磁パルスグレネードの使用も許可されたが、グレネードの場合迂闊な場所で電磁パルスを発生させれば都市機能の麻痺もあり得るため注意が必要とのことだった。緊急事態に対する対策があまりにも甘い気がするが、そうも言ってられない。

作戦としては3人で1チームつくり、エリアを分担してしらみ潰しで鎮圧というものだ。時間がかかるし危険も伴うが他に方法はない。

「あのヘルメットを作れるのはヘルメットなしにシビュラシステムに対抗できる人間だけだ」
「シビュラシステムの盲点を突いた集団サイコハザード、それが槙島の目的ってこと?」
「違う…」
「え?」
「槙島の犯罪はいつだって答えを探しているようなところがあった。ひどい暴動だけどこの混乱だけが目的とは思えない」
「監視官に賛成だ。こんな暴動を見物して喜ぶ程度の犯罪者だったなら、もっと楽に逮捕できる」

常守の推理は的を射ている。
槙島はまだ何か裏で画策してやがるに違いない。そしてそこには、まだ暁がいるはずだ。何をしようとしてるんだ、あいつらは。

「うわっネットもひどいな。デマからマブネタまで大量に飛び交ってる!報道規制はかかってるはずなのに…デマの方が目立つな。何だよ『公安局が住民皆殺し』って!」

縢がデバイスでネットの検索をしていたらしいが、まともな情報は一つもない。いや、今この街の状況がまともじゃないのだから当然か。
パトカーで暫く走っていると、大人数の暴動が目についた。

「止めなきゃ!」
「このまま突っ込んで何人か轢き殺しちゃいなよ」
「嫌ですよ!」
「俺グッドアイデアだと思ったけど」
「どこがですか!」

常守が怒りながら拡声器の端末を口に当てる。

『厚生省公安局です。直ちに暴力行為をやめて腕を頭の上で組んで地面に伏せなさい!』
「実力行使しかないな」

注意喚起だけでは聞く耳を持たない。助手席からおりて、俺がグレネードを投げると、何人かが電磁波によって麻痺したためその場に倒れた。一瞬沈黙が訪れる。俺はドミネーターを連中に向けた。

「もう一度警告だ」
『あっ…こちらは厚生省公安局です。これ以上暴力行為を停止しない場合はドミネーターを使用します。犯罪係数によっては命を失うことになります。 繰り返します!腕を頭の上で組んで地面に伏せなさい!』













「あなたと一緒に歩くのは危ない橋だって自覚はあった。でも引き返す気にはなれなかった。…だって変ですもん、シビュラシステムって。あんな訳の分からないものに生活の全てを預けて平気な連中の方がどうかしてる。槙島さんの言った通りですよ。当たり前の事を当たり前にできる様に」
「僕と暁にとっては生まれ育った街だ。切実な問題だよ」
「随分とお気に入りなんですね、彼女」
「…それより、彼らは?」
「こいつらはあなたが行う破壊の先を見たがってる連中です」
「破壊の先か…。先があればよし、なければそれはそれで受け入れる。ネットでの情報操作は?」
「事前に仕掛けたAIがもう活動中です」

こんなバス、どうやって手配したんだか。まだ誰も乗っていないバスに乗り込んで、外の景色を眺めた。空が広い。建ち並ぶビルのせいでいくらか小さくはなっているが、ノナタワーの中から見るよりは空が広いことはわかる。

ぼんやりと一番前の席で外を眺めていると、槙島が乗り込んできた。荷物を出し入れしたりしているらしく、下からトランクの扉が開く音が聞こえる。

「怖いかい」

槙島は今まで見せたことがないような優しい笑みを作ると、また私の頭を撫でた。黙って見つめ返すと、助手席に彼が腰かける。

「怖いなら怖いと言ってごらん」
「…」
「あそこに行かなくても構わないんだよ。君が行きたくないと言うなら、僕は無理強いはしない。…だからそんな切なそうな顔をするのはやめてくれ」

槙島は困ったように笑うと、私に手を伸ばした。控えめに彼の手をとると、強く引き寄せられて胸元に顔を埋める。ひょろい男かと思っていたけど、この男は案外強い。身体的な意味で。最早抵抗する気は起きなかった。

「あそこにあるんでしょ」
「…ああ」
「なら、行く。槙島が止めても行く。そのために出てきたんだから」
「…そうか。断ってくれないんだね」
「私がそんな従順な女に見える?」

槙島の指先が私の背中を這う。

「君を殺したくない」
「…」
「ずるい男かな、僕は」

顔が近い。あと少し近付けば唇が触れてしまいそうな距離だ。

「"自業自得でない悲劇などありえない。全く自分の所為ではない不幸が次々に襲い掛かってくる芝居があったら、抱腹絶倒の大喜劇に違いない"」
「…何の引用かな」
「槙島でも読んだことない本ってあるんだね。私は傑作だと思ってる。『バルタザールの遍歴』、読んでみるといい」
「書籍でまだ残ってるのかい」
「さあ。ファーストフォリオを手に入れるような物好きならすぐ見つけられるんじゃないかな」
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