歪なヘルメットを被った男が女の服を脱がし、馬乗りになってハンマーのようなものでひたすら殴り付けている。女の人は先程まで抵抗をしていたが、今はやめてしまった。
場所は繁華街のど真ん中。槙島に提示された場所に行くと、グソンがデバイスでその映像を撮っていた。悪趣味すぎる。彼の横に行くとすぐに私に気づいたらしく、あのいつもの笑みを浮かべて酔狂ですねぇなんて呟く。無視するけど。

周りの"健康的な精神"の人々は、何が起こっているのか理解できないらしい。誰も警察を呼ぼうとしない。不思議そうな顔をしてその異常な光景を見ている。人が殺されるなんて想像もしたことがないんだろう。そんな風に今の一般人は教育されてきたんだ、と槙島は言っていた。本当にその通りだと思う。

「…気持ち悪いわ」
「これが槙島の旦那が貴女に見せたかった世界の真実の一部なんじゃないですかね。ちょっとはあの人の言うことも理解できるでしょう?」
「…ちょっとだけ、ね」

16年間檻の中で暮らした私には目の前の光景が理解できない。ヘルメットの男はまだ女を殴り続けている。誰も何も言わずに、珍しいものでも見るように彼らはその様子を録画していた。
吐き気がする。槙島に渡された携帯を取り出すと、グソンが怪訝そうな顔をした。

「通報するんですか」
「エリアストレスが上昇してる。大丈夫、匿名希望で言うし」

やれやれと言った様子で彼は惨状に向き直った。
妹の手を引いて少し離れた場所の路地裏に入ると、すぐに番号を入力して公安局に通報する。

『こちら公安局です。どのようなご用件でしょうか』
「女の人が公衆の面前で殴り殺されてる。場所は世田谷の繁華街……GPSから検索してもらえます?今その現場にいるんで」
『了解です、ご協力ありがとうございます』

コミッサちゃんの加工音声に苛つきながらも、辺りの様子を伺う。まだ警察が来てない。これはおかしい。

『位置情報認証完了しました!…現場に出動要請を申請しましたので間もなくそちらにつきます。ご協力ありが』

うるさかったので携帯端末を切ると、そのまま路地の床に落として踵で踏んづけた。ヒールが画面に食い込み、ひび割れたのをみて妹が顔を真っ青にする。

「お、怒ってる…ん…ですか…」
「帰ろう」
「お、怒って…」
「怒ってない」











「繁華街のど真ん中とはな〜…。この街はいったいどうなっちまったんだ?」
「薬局襲撃犯と同じ犯人でしょうか?」
「可能性は高い。それにしてもこれだけの人間がいたのに…。カカシか?こいつらは」

薬局に歪なヘルメットを被った男が入ってきて、薬剤師二人を殺した。それだけなら普通の事件だが、問題はその男のサイコパスが民間人とかわらないクリアカラーだったことだ。警備用のドローンのAIではサイコパスに異常がなければ、犯罪を起こさないものとして脅威を促さない。
その現場検証をしている中、世田谷の繁華街でエリアストレスが上昇しているとの情報と、現場に居合わせた一人の通報で女が男に殴り殺されていると判明した。
ネットにはその様子が配信されており、通報してきた一人の通行人以外は全員ただ立ち尽くして見ているだけだったという。

「目撃者の証言は似たり寄ったりです。"何が起きているのか理解できなかった"と…。無理もないと思います。目の前で人が殺されるなんて想像もつかないし思い付きもしない。そういう出来事が起こり得る可能性なんて見当もつかないまま、今日まで暮らしてきた人たちばかりなんです」
「結局、後からたまたま通り掛かった一人の通行人だけが事件を通報して、その後のエリアストレス警報で本格的な異常が発覚したってんだもんな」
「見過ごしたのは人間だけじゃない」

傍に設置されていたスキャナーを見上げると、とっつぁんがため息を吐いた。

「よりにもよってサイコパススキャナーの目の前で……じゃあ犯人の色相変化もリアルタイムでモニターされてたわけか」
「これです」

現場のエリアストレスと、犯人のサイコパスが表示される。やはりクリアカラーだ。

「相変わらず正常値のまんまかよ…恐れ入ったね。女を殴る瞬間でさえたったこれだけしか変動がない」
「やっぱ数値そのものが偽物って可能性は?」
「ないわね。偽のサイコパスを捏造するなんてスパコンでも引きずって歩かないと無理」

縢の疑問には六合塚が即答する。
そこで俺は何か違和感に気付いた。何だこれ?何かおかしい。

「いや、こいつは妙だ」
「見てのとおりだろ」
「そうじゃない。反応として正常過ぎる。見てみろ、こっちがエリアストレスの変移。犯人の色相変化とそっくりそのまま推移している」
「あっ、ホントだ」
「こいつ…周囲の目撃者とまったく同じメンタルで行動してたってことになる」

そこで今度は志恩から通信が入った。

『監視官、また緊急事態』
「今度は何だ?」
『高速道路で現金輸送車が襲撃されたって』
「現金輸送車って…」
「志恩、そいつらもヘルメット装着者だな?」
『さすが、そのとおり。数は3人、全員工具類で武装。さっきの事件とは別口ね』

またヘルメット装着者……この件も槙島が噛んでいるとみて間違い無さそうだ。それなら、これを追えば本物の暁にも辿り着ける可能性が高い。
あいつはまだ、槙島と行動を共にしているとみて間違いないだろう。

「どう追い掛けます?」
「班を2つに分ける。縢、六合塚、一緒に来い。君たちは引き続き薬局襲撃犯を。俺たちは現金輸送車を追う」

指示に誰も異論はないらしく、ギノと縢と六合塚は護送車に乗り込み現金輸送車の現場へ向かった。
ドミネーターがきかないなら丸腰と変わらないかもしれないが、今はどうすることもできないのだ。

遺体や現場の処置はドローンに任せて一先ずこちらも作戦会議を立てなければいけない。
一度バリケードから外に出て、あまり人がいない路地のそばにいくと壊れた旧式の携帯端末が転がっていた。
画面がひび割れているせいで情報は読み込めないだろう。……なんだ?なんでこんなところにこんなものが落ちている?

「狡噛さん、どうかしましたか?」
「いや、何も」

常守に声をかけられて慌ててポケットにそれを押し込んだ。何故こんな隠すようなまねをしているんだ、俺は。だが見られてはいけないような気がした。事件には直接関係ないだろう。だが…携帯端末…?たった一人だけ、あの出来事を異常だと感じた通行人が通報した。たった一人だけ。
何故その通行人は、あの現場が異常だと感じたんだ?
周囲の奴等と同じようにものを見ていたのなら、その通報した通行人も何が起きているのか理解できなかったと感じたはずだ。
だとしたらその通報した通行人が事件を目撃して異常だと感じた理由の可能性としては3つ。
人が殺される想像をしたことがある、若しくは人を殺したことがある、或いは殺人現場を過去に目撃したことがある。
その何れかだ。そしてそんな人間のサイコパスは、本来なら濁っていなければおかしい。だがスキャナーは感知しなかった。

「…通報したのは…東雲暁…本人なのか」














「おかえり、暁」

帰宅早々、槙島は気味の悪い笑みを浮かべて私を抱き止めた。抵抗する気も失せて黙ってされるがままになっていると、後ろの妹が私の袖を弱く引っ張る。
すると槙島はあからさまに不機嫌そうな顔をして私の背後を睨み付けた。気に入らないらしい。

「帰ってきてくれないかと思ったよ」
「なんで」
「だって君、怒ってただろう」

あんたも怒ってたでしょうが。彼の腕から抜け出すと、コートを脱いでソファーに投げた。洗面所で手を洗って嗽をする。タオルで手を拭きながら戻ると、まだ二人は玄関で対峙していた。

「何やってんの」
「せっかく助けてあげたのに、可愛くない小娘だなと思ってね」
「その子も私だよ」
「うん、でも君は君だろ」

この生意気な子供とは違うじゃないか。そういう槙島を妹は涙目になりながら思いっきり睨んでいた。相性が悪すぎる。

「…うるさい……あなたが…みんなを殺したくせに…!」
「僕は殺してないよ。君達を殺したのは君達のお母さんだろ」
「違う、お母さんもだけど貴方も殺したのよ!」
「やれやれ、口喧嘩にもならないな」

槙島は大袈裟に肩を落とすと、ソファーに足を組んで座った。
根暗なのに珍しく強気に出た妹は玄関に立ち尽くしている。

「そのことで聞きたいことがあるんだけど」

私が口を挟むと槙島がやっとこちらを見た。妹は靴を脱いで私の後ろに隠れる。小柄な彼女が私の背中にしがみつく。

「何かな」
「私が知りたいことを知り尽くしてやりたいことをやり尽くしたら、私をどうするつもり?」
「…そうだな…殺そうかな」

わがままな女の末路は決まっている。
それでも私はまだ、狡噛慎也を想わずにいられない。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -