「今から16年ほど前の話だ。…厚生省は、サイボーグ開発のチームに莫大な支援をしていた。当時の首相が人体の長寿や、その類いのマニフェストを提示していてね。人口を増加させたかった。そういった経緯もあって、どうにか動物実験までは漕ぎ着けた。…しかし次のステップには、人体実験という大きな課題がある」
「まさか」
「その人体実験に、彼らは自らの娘を差し出した。被験体には死の可能性もあり、リスクはかなり重いと考えられていたらしい。形式上、募ることができるような人数でもない。何より国はこの開発をひた隠しにしてきた。何故ならいずれ最終段階で倫理に反する実験が行われることは明白だったからだ」
「…」
「おまけに被験体を差し出せば、彼らには国から多額の金が入る。東雲暁の両親は根っからの科学者なのだ。しかし実験成功には少なくとも900の命が失われると当時は言われていたのさ。…そこで彼らが造ったのがクローンだ」

ディスプレイには以前宜野座と共に仕事をしていた女の顔写真が映し出され、その横には様々なデータを記録した文字が表示される。

「東雲暁の体細胞データやDNAサンプルを元に、急速に彼女と同じ個体を909体造った。それには難なく成功した。彼女がまだ12歳のときだ。年齢や成長率を変えて子供の彼女や大人の彼女、はたまた年老いた彼女までもを造り出したのだ」
「そんなことが…」
「社会的に許されるはずがない。だから我々は彼女の記憶を改竄したのさ。10歳の誕生日に彼女は縄跳びで自殺を謀り、泣きわめく母に連れられて施設に入れられた。これは実のところ、全くの虚実だ。そもそも彼女のサイコパス数値は生まれてから一度も危険域まで上昇していない」
「なぜ…分析官の計測や、デバイスの計測では常に彼女のサイコパスは異常値をマークしていました」
「それは彼女が常につけている腕の端末にドミネーターの測定やシビュラシステムそのものを欺くサイコパス情報改竄機能が付いているからさ。本当の彼女の色相や係数のデータはこれだ」

ディスプレイに映し出されている彼女の数値を見て、宜野座は目を見張った。
いかなる時でもサイコパスは常に30から60代をキープしている。エリミネーターで犯人を執行した際には90をマークしているが、それ以外では問題は見受けられない。色相も、薄い色が多い。

東雲暁のサイコパス数値は、健康そのものだ。

「私が何故この話をしたのか、君はわかるか?」
「それは…」
「このデータを見てわかる通り、彼女もまた免罪体質である可能性が高かったのだ。生まれてから一度も犯罪係数が危険域に達していない。サイボーグ開発の被験体には身体的にも精神的にも健康優良児である彼女が適任だったのだ。…その彼女が、槙島聖護と手を組んでいるわけは…何だろうね」
「…彼女は、別の機関が保護したと」
「今ここにいる東雲暁は本物ではない。クローンだ。彼女の周りを君の部下に嗅ぎ付けられるといろいろと面倒なのでね。…一時的に彼女を東雲暁として行動させる。こちらで補完していた記憶と人柄は移植させているため本人と何ら変わりないだろう。執行官として復帰させる際の公式発表では、こちらからきちんと説明をする。…何だね、その目は」

睨み付けるような宜野座の視線に、禾生は再び笑った。

「とにかく、槙島聖護の身柄を確保しろ。一日でも早くこの社会から隔離するんだ。ただし殺すな。即時量刑即時処刑はシビュラあっての制度だ」
「了解しました」
「この男を捕らえ、本局にまで連行すればいい。後は何も気にするな。槙島聖護は二度と社会を脅かすことなどなくなる。…藤間幸三郎と同様にな」
「…本物の東雲暁については」
「何も案ずることはない。…こちらで対処する。君達は槙島聖護を捕らえることだけを考えろ」



























「もしもし?」
『暁…なんで外にいるんだい』

うげ、槙島だ。
槙島に渡された端末が鳴ったから誰だろうと思って出たらこれである。そりゃ槙島くらいからしか電話はかかってこないだろうけど。

「ちょっとね」
『僕ね…今少し怒ってるよ』
「あらら」

怒っている、そう言う割には彼の声は案外穏やかでそれが逆に怖い。

新霞が関方面に向かう駅のホームには、キャスケット帽を目深に被った私と髪の毛をおだんごにして根暗感を拭った彼女が二人で立っていた。しかし彼女は猫背気味に下を向いている。やはりまだネガティブっぽい。

私達は槙島にあの部屋にいろとは言われたが、外出をしてはいけないと言われたわけではない。

『どこへ行く。君の居場所なんてどこにもないだろう。死にたいのか』
「貴方何か勘違いしてない?私は貴方の計画に付き合うためにあのビルから出てきた訳じゃないんだよ」
『…わかっているさ』
「わかってないよ。私は真実を知るために出てきたの。本当のことが知りたいの。私に本当のことをおしえてくれないなら、槙島……貴方は私の敵よ」
『…』
「何なら今ここで話してくれても結構」
『なるほど。君は、真実を知るためなら手段を選ばないというんだね』
「そのための"槙島聖護"でしょう」

そこで初めて槙島は黙った。威圧感のある声が途切れる。
横で私たちの会話を聞いていたおだんご頭の彼女は心配そうに改札のカードを握りながら私の顔を見ていた。
次の電車が到着するのは五分後だ。

『…あの子も連れているのかい?』
「ええ」
『わかった。この件に関しては君という存在を軽んじていた僕に非がある。話そう』

私はおだんご頭の手をひいて駅のホームのエスカレーターを上った。売店が立ち並ぶフロアの隅の壁にもたれ掛かる。

『単刀直入に言うと、彼女達はほぼ全滅だ。会いたいなら会わせてあげるさ、死体でよればね。ただし、もう少し後だ』
「…例のアレ、もう準備ができたの?」
『察しがよくて助かる』
「へぇ…」
『彼女達は死んだ。だがそのことで僕との約束を破り、君が怒るのはお門違いだ』
「…そうだね。私、貴方を絶望させた?」
『君らしくていいよ、許そう。僕は賢い女性は好きだからね』
「…すぐに帰るわ」
『飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことか…。犬に対してもそれ相応の詫びをしなければ』
「わかってくれて嬉しい」
『その前に。…次の駅で降りて繁華街の方へ行ってごらん』
「繁華街?」
『面白いものが見れる』
「だからそれって、あのヘルメットでしょ?もう動いてるの?」
『ただの予行演習さ。本番はもう少しお預けだよ』

そこで電話は切れた。
ちょうど電車がホームに到着したらしく、階下でざわざわと人のざわめきが聞こえてくる。

会話の内容を察知したのか、おだんご頭は少しだけ表情を明るくしてはいたが首を傾げていた。

「話はつきましたか?」
「どうにかね。…それより貴方、ほんとに裏口知ってるの?」
「はい。万が一のために民間人に私達の存在が露見しないように、脱出経路はここにインプットされています」

ホームに駆け降りて電車に乗り込むと彼女は適当な席に座ったので、私は吊革を持って彼女の前に立った。
一般人に顔を見られると面倒だ。

自分の頭を指差してとんとんとつつく彼女に、私も苦笑する。

「その脱出経路を逆に進めば、必ずプラントやラボに到着する……はずです」
「そう。でも行かないことになったよ」
「え?」
「こっちもいろいろあるの。次の駅で降りて繁華街に行くから」
「何でですか…?」
「何でだろうね…」

私は吊革に手をかけたまま項垂れた。
槙島がいよいよ本格的に動き出した。歯車は止まらない。止めなかったのは私だ。それに後悔はない。だけど、まだ迷っている。

この世界は気持ち悪い。汚い。穢らわしい。家畜に成り下がった"健康な"人間を見ていると吐き気がする。その槙島の考えはわかる。

私には2つの願いがある。
ひとつはこの世界の真実を知ること。それは私が知らない私の真実でもあるし、私が知らない外の世界のことでもある。
もうひとつは───────。

槙島は私を理解してくれた。それでも、私の心にぽっかり空いた孔を埋めることはできなかった。
私は迷っている。とても、迷っている。私の心の孔を埋めるには、彼が必要だ。彼にとっての私も、そうであってほしいと思う。
私はわがままだ。これは子供のわがままとさほど違いはない。わかっている。勝手をしているのは理解していた。それで死んでしまっても仕方ないと思っている。

願いを両方とも叶えるのは、とても難しい。

私がまだ迷っているのは狡噛慎也という存在のせいだ。
正しい事とか正義なんてどうでもいい。この国がどうなろうと、私の知ったことではない。もうどうでもいい。死にたい奴は死ねばいいし、レジスタンスでもなんでも起こせばいいじゃないか。
でも私には狡噛が、たった一人私のことを大切に想ってくれている人がいる。もうひとつの私の願いは、狡噛慎也を愛し彼に愛されること…突き詰めればただそれだけ。でも私は槙島の誘惑に乗ってしまった。あの日、宿直のときに彼からかかってきた電話が引き金になってしまった。

実は願いごとはひとつだけ叶っていた。でも私は欲張りだから、両方の願いを叶えようとしたのだ。

「…慎也」

だから私は真実を手に入れるために、狡噛慎也を捨てることになる。

歯車はもう、止まらない。
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