局長室。その部屋の主である女が一人でディスプレイを眺めながらルービックキューブを模したパズルを弄んでいた。その側ではソファーに腰かけて静かに紅茶を飲む女がいる。
そこへ彼女のもとに突然通信が入った。

『禾生局長、緊急事態です』
「何だ?」
『ラボの被験体が新たに二体ほど消失しています』
「二体…?ナンバーは?」
『先日の501号機の消失の後に、607号機と909号機がいなくなっているのが今朝判明しました。昨日まではいたのですが…何者かがこのラボに侵入して連れ去ったかと思われます』
「607…なるほど」
『一体ならまだなんとか誤魔化しはききましたが、さすがに三体となると…事情を知っている連中が黙ってはいません』
「大臣への報告は?」
『まだです』
「よろしい。…これ以上彼女達を補完するのは危険だ。酸素供給を即刻中止。一酸化炭素に変更しろ」
『しかし、それでは被験体が…!』
「構わない。生き残りは全て殺せ。局長命令だ、責任は私が持つ」
『…わかりました』

プツリ、と通信が切れる。この部屋の主である女は、小さく息を吐いて天井を仰いだ。

「暁、妹達とのネットワーク回線を完全に切りなさい。今後君がその回線を使うことはない」
「はいはい」

紅茶を飲んでいた女が静かに頷く。

「"何者かがラボに侵入して連れ去った"、か。ロストナンバー達も使い勝手が悪いものだ…。こうなることなら、最初から全て破棄しておくべきだった。…私の判断ミスか」
「彼の仕業ってことかよ」
「それ以外あり得ないな」

局長と呼ばれた女が小さく息を吐くと、紅茶を飲んでいた女がソファーからゆっくりと立ち上がった。

「仕事だ。切り換えろ」
「はいはい〜」
「…医務室に行きなさい。後は私が全て対処しよう」
「わかったわよ。あ、そうだ…単独行動中にあの人を発見した場合はどうするの?」
「…生け捕りに」
「了解です」
「いってらっしゃい、東雲暁執行官」
「いってきます、禾生局長」

"東雲暁"はそれまでの態度とうってかわってひらひらと手を振ると、局長室から軽い足取りで退出した。
無機質な禾生の瞳が大きく見開かれる。

「やってくれるね、聖護くん」
















君は実験台にされたんだよ。

そう言われても実のところピンと来なかった。
最初に聞いたときは気が動転したけど、案外怒りや哀しみはそこまでわき出て来なかった。それを聞いて、自分がどうすればいいかわからなかったから。どう怒ればいいの?何を悲しめばいいの?誰を恨めばいいの?
私はもしかしたら、自分のことに一番興味のない人間なのかもしれない。

「槙島は?」
「暫くここには来ないそうです」
「…ふーん」
「では、私はこれで」

チェ・グソンは槙島からの連絡を全て私に伝えると、別件で仕事があるらしく早々に退出してしまった。
私一人しかいない部屋はなんだか不気味だ。することもないし、何をするべきなのかもよくわからない。
どうしようか、とソファーに横たわる。

「……朱ちゃん」

怒ってるかなぁ。きっと怒ってるよね…。狡噛は私のことわかってくれてはいると思うけど、怒ってるだろうなぁ…。
一係の面々の顔を想像して、私は深く息を吐いた。今さら帰っても施設に収容されるだけだし、私も私で何か結果を出さなければあの局長に首切りを言い渡されるに違いない。物理的に。

「って言ってもね…」

今私にできることなんてないのだ。知りたいことはあるけど、そんなものがそこらへんに転がってるわけ…

「あ…あの…」
「あ」

私がソファーでゴロゴロとしていると、聞き慣れないソプラノの声が近くで聞こえた。扉の傍を見ると、躊躇いがちに私そっくりな女の子がこちらを覗いている。ぴったり顔を半分覗かせて何故か涙目になっていた。家政婦が覗き見しているような感じだ。

「あ、あの…その…あの……」
「はい?」
「…えっと…その…わたし…」
「…」

おどおどと視線をさ迷わせてちらちらと私を盗み見る彼女。年は17か18くらいだろう。いつからそこにいたのだろうとか、何でそんなにびびってんのとかいろいろ聞きたいことはたくさんあるが、今はそれより大事なことがある。

「あの」
「はいぃぃ…!?」
「もしかして貴女って」
「…はっ、はい!」
「私の妹ですか?」
















「暁が戻ってきた…!?」
「はい。今朝方、局長から監視官に臨時通達があって…」
「…」
「…局長は、この件に関する詳細は極秘で別の機関が調査しているとして情報開示はしませんでした。ただ…槙島の確保には未だ至らずだそうです。今後も彼の逮捕が私達の目標になりそうです」
「…」
「暁さんは医務施設で暫く休養をとるとのことで…局長命令で執行官として一係復帰が検討されています」

常守が突然俺の部屋に来たので俺は端末の画面を閉じた。暁のクローンの足の情報をコピーして記録していたのを見ていたのだ。
医者を無理に説得して仕事に戻ろうと一度部屋に入ると、常守が少し慌てた様子で俺に会いに来た。安静にしていろとかどやされるかと思ったが、主旨は違ったらしい。

「狡噛さん、何かおかしいです」
「ああ。局長は何か隠してるな」
「…どうしてその別の機関は暁さんを確保できて、槙島を確保できなかったんでしょう。それに…彼女は以前にも一度誘拐されています。狙われている人物をまた執行官として復帰させるなんて…サイコパスに異常がないとはいえ、この対応はあり得ません。極めて異質です」

常守はぐっと拳を作って強く握りしめていた。気持ちはわかる。
船原ゆきが殺された現場に、暁もいたと常守は話していた。本当だろう。実際に俺も気絶する寸前に彼女と会ったし、とっつぁんも言葉をかわしたと言っていた。
そんな加害者的な立場にいた彼女がどうしてやすやすとこの場に戻ってくることができるのか。何故それをあの局長があっさり許可したのか。

「まさか…」
「狡噛さん?」
「いや…他に何か連絡は?」
「特には」
「わかった」
「では、私はこれで。……あの、暁さんのお見舞い…」
「ああ、行っとく。まだ会いたくないんだろ」
「すみません…。でも、監視官同伴じゃないと面会できないみたいなので。…私、ついていきます」
「…わかった」

常守は俯いた。
一係のオフィスに行く前に、暁の顔だけでも見ておく必要がある。とりあえず見舞いだけでもしておこうと、常守と医務室に向かう。どうやら志恩が面会申請を出してくれていたらしく、何の手続きもなく容易に病室へたどり着いく。
なんてことない距離なのに、随分と廊下が長く感じた。常守は気まずそうに黙っている。

どうやら隔離病室のようだ。窓もなく、入り口には警備用のドローンがいる。これではほぼ軟禁状態だ。

「私は、ここで」
「ああ」

常守はドアのそばにあるベンチに座った。
ドアを開けると中は薄暗くて、様子がはっきりとは伺えない。

「暁、俺だ。…邪魔するぞ」

了解の返事はないが、静かに入室する。ベッドの傍まで行くと、薄暗い室内もはっきりと視認できるようになってきた。
そこで、ベッドの上に下着姿で横になっている肢体が目に入る。ちょうど反対を向いて寝ているので顔は見えないが、かなり疲れているように見えた。長い髪が乱れてシーツの上で広がっている。着ているのはキャミソールと下着だけらしく、俺は小さく息を吐いた。何で服着てないんだ、こいつは。

「…風邪ひくぞ」

枕元の灯りをつけると、室内が部分的に少しだけ明るくなる。それでも目をさます様子はなく、さらけ出された白い足が少し動いただけだった。

「…?」

布団をかけなおしてやろうと近付くと、彼女が寝返りをうってこちらを向く。長い髪がほどけて顔が露になる。いつもの暁だ。
だが、おかしい。彼女の胸元に傷痕があるのだ。左胸のふくらみに、縦に縫ったような痕がうっすら見える。
こんな傷あったか?
よく見ようと顔を近づけると、ぱちりと暁の目が開いた。

「あ」
「……えっち」
「…誤解だ」

暁はキャミソールを引き上げると胸元を隠すようにして起き上がった。こいついつから起きてたんだ。

「久しぶり…?」
「ああ」
「なんかごめんね…いろいろあって」
「全くだ」

俺が彼女の横に腰かけると、ベッドが少し軋んだ。暁は薄手の綿毛布をそっと背中から羽織る。胸元を隠すように。

「何があった。話せ」
「…ごめん」
「口止めされてるのか?」

暁は申し訳なさそうに頷く。

「…槙島と手を組んだのかと思ってた。何も言わずにいなくなるからな」
「…何も話せないの。局長に止められて…」

そこで彼女の肩を掴んでそのまま押し倒した。
じっと目を見ると彼女は騒ぐでもなく抵抗するでもなく、ネクタイを緩める俺を静かに見上げている。
彼女の右足を掴んで足の間に割り込むと、やっと少し困ったような顔をした。

「どういうつもり?」
「…お前を抱こうと思って」
「今、ここで?」
「ああ」
「…だめ」
「残念だ」

特に焦るような様子も見せずに飄々としている。恥ずかしがるような素振りもなく、淡々と。

俺は彼女から離れると、ネクタイを直す。彼女は不思議そうな顔をしていたが、何も言わなかった。しかしこちらとしては大事なことを確認出来たのでこれはこれでいい。

「わかった。じゃあひとつだけ聞かせてくれ」
「なに?」

彼女はきょとんとした顔で俺を見上げた。


「…お前、誰だ?」

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