「「あ」」
廊下に出ると、たまたま通り掛かったらしい秀星とばったり遭遇する。なんなんだろう今日。
「コウちゃんのお見舞い?」
「まあね。昨日の今日だから喋ったりは出来なかったけど。思ってたより重傷だよ」
「へぇ〜コウちゃんも災難だよな。でも治るっしょ?」
「うん。常守監視官もさっき来てたみたいだけど志恩にやめとけって言われたみたいで」
「一応反省してんだ〜?ま、パラライザーだからね、コウちゃんくらい鍛えてりゃ、何ともないさ」
「そうなんだけどね」
秀星は手に持った携帯型ゲーム機で遊びながら、私の横に並ぶ。
このまま刑事課まで行くことになるのだろう。
「甘いんだよなー」
「え?」
「朱ちゃんだよ、朱ちゃん。暁もそう思うだろ?やり方が温いんだって……ああいうの嫌いじゃないけどさ」
「そうね。…でも、聞くところによると、昨日のサイコハザードの人質は、犯罪係数も下がってメンタルも少し回復したらしい。彼女の判断が間違っていたというのも、一概には言えない…志恩の受け売りだけどさ」
っていうかこいつなんで朱ちゃんとかなれなれしく呼んでるんだ。友達か?友達になったのか?
「そりゃー俺もわかってるよ。ただあの状況に一係の執行官…と、宜野さんが立たされてさ、ハザードに撃たない奴いないじゃん?常守朱以外の六人全員、被害者を殺してたよ」
「だから私も複雑なんだよね…。今日どんな顔して常守監視官に会えばいいわけ?昨日結構酷いこと言っちゃったし……」
はあ、と額に手をやると私より少し背の高い秀星がまあまあ、と頭を撫でてくる。こいつからかってるな。
「えー何言ったの?優しー暁様が暴言吐くなんて珍しいー」
「君全然向いてないよ、この仕事」
「うわー言っちゃったなそれは!倒置法使ってくるあたり傷つくわ」
「…ですよねー」
はあ、とまた盛大にため息を吐く。
彼女は真面目だから、きっともう職務に励んでいるだろう。
別に彼女の考えは否定するつもりはないけど、肯定するつもりもない。考え方としては悪くないが、犯人に語りかけて情で確保するなんて昔の刑事物じゃないんだから、リスクが半端ないのだ。
最良の形で職務を全うする、そういう意味では彼女は立派なんだろうけど、だから対応に困るのだ。
どんな顔して会えばいいのよ。
「おはようございます」
「はよーございます」
私と秀星が挨拶して執務室に入ると、弥生はお昼を済ませてすぐ来ていたようで、音楽を聴きながら楽譜を見ていた。目だけで私に挨拶する。
常守監視官は何やら打ち込み書類の報告書を作っているらしく、手を止めて少し困った様子でおはようございます、と私たちを見た。
秀星は自分のデスクに腰かけると、そのままゲームの続きを始める。
私も今日は特に指示はないので、自分のデスクに今朝届いていた雑誌を置くと、みんなにコーヒーをいれることにした。
なんとなく気まずい空気が流れる。なんでか知らないがおいちゃんと宜野はいないし、狡噛は入院中だし……いや狡噛がいたらもっと気まずいか。
「常守監視官、コーヒーしかないんだけど、大丈夫?飲める?」
「あ、は、はい!飲めます!」
打ち込み作業中の彼女の邪魔にならないように必要最低限のことを聞くと、彼女はどもりながらも答える。
後の二人もコーヒーで大丈夫だろうから、とりあえず四つのカップにコーヒーを入れることにした。
「どーぞ」
「どうも…」
タブレットに当たらないようにまだ綺麗な常守監視官のデスクにそっとコーヒーとミルクと砂糖、そしてスプーンを置くと、彼女は少し戸惑ったように返事をした。昨日のことを気にしているらしい。
後の二人にも同じようにコーヒーを渡すと、秀星は相変わらず無視だが弥生はありがとうと返してくれた。
先程の雑誌を読むために椅子にもたれ掛かるように座ると、コーヒーを口に含み、見開きを開いた。
このご時世に紙媒体の物質があるのも驚きだけど、如何せん私はアナログっぽい人間なのでこの感触は嫌いじゃない。電子書籍も悪くないけど、本は紙媒体で読みたいのだ。ページを捲る感覚は紙媒体じゃなきゃ味わえない。
「あれ……」
そんなこんなでまったりしていると、常守朱が困ったように手元のタブレットを見た。そのまま近くにいた秀星と弥生に困ったように尋ねる。
「すみません、タブレットって他にあります?」
「備品の予備は狡噛執行官が使用中でーす」
そんな彼女に目もくれず、秀星はゲームに夢中だ。
「でも、その、…狡噛さんは……」
「パラライザーで撃たれて治療中でーす。っづ──っ!いってぇ…!」
嫌味を言う秀星の頭を弥生が思いっきりひっ叩いた。
「意地悪言わないの」
「タブレットの予備はないけど、私使ってないからこれ使っていいよ。狡噛もしばらく出てこれないから、なんならこいつの使ってもOK」
見かねた私がちょっと皮肉めいた助け船を出すと、常守朱はすみません、と頭を下げた。
私のデスクからタブレットを取り出すと、常守朱に渡す。
「ありがとう、ございます」
「さっきからそればっかりだね」
薄く微笑むと、彼女はまた困ったような顔でまたすみません、と呟いた。
だめだこりゃ。
「……」
午後の職務が終わり、そろそろ夕食にしようとカフェテリアへ向かうと、偶然にも先客がおり、私はその男の向かいに座る。
「ご一緒してもいいですか、宜野座監視官様」
「……」
明らかに近寄るなと目で訴えられた気がしないでもないが、無言は肯定ととる主義なのでお構い無く向かいの席に座る。
今日のメニューはトマトパスタとオニオンスープだ。無性にトマトが食べたいときって、あるでしょ。
「何故勝手に座るんだ」
「だって一人で食べるの寂しいし」
いいでしょとごり押しすると、折れたのか勝手にしろとばかりに目線を落とされた。
「どうなの、新米監視官は」
「お前も見ての通りだ。優秀者だが、少しばかり誤った道に進みつつある」
「誤った道?」
どういう意味だそれは。
「あんな生温い考え方で世界が成立するなら、我々はこんな仕事をしなくてすむ」
「まだ若いんだから多目に見てやったら。彼女には彼女なりの価値観があるのよ」
「解せないな。正義の定義はシビュラだというのに…東雲もそう考えていたのではなかったか」
「もちろん。どちらかといえば」
くるくるとフォークでパスタの生麺を巻くと口に運ぶ。
温室栽培のトマトも美味しくなったものだ。でもやっぱり、私の料理の方が美味しい。
「彼女の考えは甘い。お前もわかってるだろ?昨日の彼女の判断は間違っているとは言えないが、だからといって正しいとも言えない」
「…人間の選択に正しいも間違いもないんじゃないですかー?結果として今回の件は被害者は救えたが代わりにウチの執行官狡噛慎也が重傷。でもあの時に狡噛が被害者を撃っていたら?」
「何が言いたい」
「宜野の言葉を借りるならば、彼女の選択は正しかったってことよ。行動に多少の問題はあれど、"結果として"被害者は幸福な形で救われた。狡噛も死んでない。なら今回の件はこれでいいじゃない」
「…」
「私たちは被害者を"出来る限りの最大限の努力で救済した"のだから、何も問題はない」
「…お前までそんなことを言い出すのか」
呆れた、と言うように宜野が眼鏡を押し上げる。
「別に。私からの常守朱監視官への評価はこんなところかなってこと。でも彼女からの干渉を受けても私の本質的な考えは何ひとつ変わりません。微動だにもしない」
にこりと微笑むと宜野は気に食わないとでも言いたげに顔をしかめた。
「詳細は何れ狡噛に聞こう。彼女の意志も」
「狡噛も私と同じこと言うと思うけど〜」
食事を終えたらしい宜野は踵を返して出ていってしまった。
「ほんともー堅物なんだから…」
スープを飲んでちらりと宜野の後ろ姿を眺めていると、視界に何か黒いものがうつった。
「あの」
常守朱だった。
「お疲れ様」
「は、はい、お疲れ様です。ご一緒しても…?」
「どーぞ。そこさっき宜野が使ってたから嫌だったら椅子取り替えなよ」
冗談は通じるらしく、常守朱は曖昧に笑うと先程まで宜野が座っていた席に腰を下ろした。
「さっきの聞いてたよね?」
「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですが」
「正直でよろしい。宜野は頭堅いから気にしなくていいよ」
常守朱の今日のディナーはカレーうどんらしい。エリートらしからぬチョイスだが、好感は持てる。
「あの、すみませんでした」
「何が?」
「昨日のことです」
「…何に対して謝ってるの?私と君の考えの相違でああなっただけで、別に私に謝る必要はないよ。寧ろ謝らなきゃいけないのは私の方。昨日は少し言い過ぎた、ごめんね」
「いえ…気にしてません」
「ま、冷静に考えたら君みたいな判断も出来るんだろうけど。私たちはドミネーターが殺せと命じれば、殺さなきゃならない」
「でも、ドミネーターの判断に私は逆らいました!被害者の犯罪係数は下がったんですよ?」
「そ。だからこそ、君はこの社会のシステムに違和感を感じてるんでしょ。つまり、シビュラシステムの判断は"絶対正義"ではない。状況に応じた対応を促すのは得意そうに見えて大きな穴があるのがこのシステムの最大のネック」
図星だったらしく、彼女は目を見開いた。そんなこと、私ももう随分前から気づいている。
「私もここに入れられた最初のときは君と全く同じことを思ってた。何かがおかしい、って」
「……」
「けど、執行官の私のそんな意見なんて誰も聞きやしない。だから、私はだんだん"組織の色に染まる"ようになった。多分、ここの執行官はみんなそう。執行官はシビュラシステムの奴隷だもの」
「昨日、東雲さんが言ってた理不尽に通ずるもの、ですよね」
「わかってるじゃーん」
わしわしと常守朱の頭を撫でる。
頬が赤く染まって、かわいい。
「だから早く偉くなってよ、常守監視官。このシステムどうにかして」
苦笑すると、常守朱は寂しそうに笑った。
今まで様々な監視官を見てきたが、システムの異常性に違和感をもち、尚且つそれを強く主張したのはこの常守朱が初めてだと思う。
データによると、この職務でA判定を叩き出したのは数百人いる生徒のなかで彼女だけ。
つまり、シビュラシステムそのものが彼女を求めたのだ。
そして何の因果か、彼女は彼女の意志で監視官になってしまった。
これは、偶然か必然か。
はたまた、シビュラシステムが起こした奇跡なのか。
「それと昨日のアレ、撤回するわ」
「あれ?」
「全然この仕事向いてないってやつ」
「あぁ、はい」
「全然じゃなくてあんまり、に撤回しとく」
「……結局向いてないってことですか?」
「つまり、あの場における判断に、間違いはなかったと。それが君の結論か、常守監視官?」
「はい。彼女の犯罪係数上昇は、一過性のものでした。事実、保護された後のセラピーも経過は良好で、サイコパスは回復に向かっています」
「…狡噛、何か言いたいことは? 」
「ない。常守監視官は義務を果たした。それだけだ」
狡噛が久しぶりに復帰した様子を見ると、どうやら常守監視官とちゃんと話をしていたようだった。
「良かったね」
常守監視官にウインクすると、ふにゃりと彼女も笑った。
「お前の入れ知恵か」
「最終的には本人の意志でーす。でもさ、朱ちゃんについていくのも面白そうっていうのは本音」
何の因果か私と狡噛のデスクは隣なので、こういうひそひそ話もよくやる。
「…俺もだよ」
珍しく狡噛が笑った。