俺が病室に着くと、やはり暁はまだ眠っていた。ピクリとも動かないが、胸元だけは微かに動いているから呼吸はしているのだろう。
傍らに置いてある面会者用の椅子に腰掛けると、じっと顔を見つめる。

「…お前が無事で良かった」

思ったことを口にする。
簡単な作業だが、人間関係の織り成す社会ではなかなか難しいことだ。
とは言え一人言は所詮一人言で、静かな白い病室の空間に溶けて消えた。

そういえば、常守監視官にパラライザーで撃たれたとき、俺の見舞いに真っ先に来たのは暁だったな。
身体が麻痺して動けなかった俺に申し訳なさそうに謝っていた。
今考えれば何もこいつが謝る必要はなかったはずだ。撃てと常守監視官に前もって告げたのは俺だし、判断ミスは俺にあったというのに。

自惚れてもいいのだろうか。

「………」

特にすることもないので、身体情報のディスプレイを見る。
心拍数、脈拍、色相、犯罪係数、いずれも安定していて、目立った外傷はない、と表示されていた。
ただひとつ俺が違和感を感じている『犯罪係数95』という数値を除けば、の話だが。

「…う」
「…、目が覚めたか」

小さく声を上げたかと思うと、暁の瞼がゆっくり持ち上がる。
視点は未だあってないようだが、どうやら意識はあるらしい。

「げほっ、こほっ」
「本部の医療施設だ。まだ横になってろ」

状況を理解したのかこくりと頷くと、起き上がろうとするのはやめて、暁は真っ白な天井を見上げた。俺は側にあったナースコールを押して医療スタッフを呼ぶ。多分唐之杜が来るだろう。

「…わたし」
「今は何も話さなくていい。聞きたいことは山ほどあるが、お前の身体が第一だ」
「まっ、て」

診察の邪魔になるかもしれないと椅子から立ち上がると、袖を暁に掴まれた。
驚いて彼女の顔を見ると、今にも泣きそうな表情をしていた。

「行かないで」
「暁?」
「ここにいて、お願いだから」

目に涙をためて瞳を潤ませる。
もちろん俺が断れるはずもなく、先程腰掛けていた椅子にもう一度座って暁の頭を撫でる。
こんなことは初めてだ。
こいつとはもう八年間一緒に仕事をしているが、いつも気丈に振る舞うしっかりした女だった。
涙なんて、三年ぶりに見た。

「俺はここにいる。だから泣くな」
「狡噛…でも…私…」

ぽろぽろと彼女の頬から涙がこぼれ落ちる。
やめてくれ。泣かないでくれ。
俺はお前に泣かれると、どうしていいかわからなくなるんだよ。
三年前もそうだった。俺はいつもお前を泣かせてばかりだ。

やはり彼女の涙は止まらない。
指でそっと拭ってやると、暁は数度瞬きして俺を静かに見つめる。
長い睫毛に涙の雫が乗っていた。

「助けて…」

苦しそうに眉を寄せて泣きわめく暁を見ていられなくなって、思わず抱き止めた。
ダメだ。何をしているんだ俺は。やめろ、もう諦めたんじゃなかったのか。こんな不毛な恋はやめにしようと決めたはずだ。
俺のためにも、こいつのためにも。

「助けて、慎也」

なのに俺は、まだ彼女を手放せずにいる。











「それじゃあ、何も覚えてないのね?」
「…うん」
「他にはどこか痛いとこない?頭痛は?」
「なんともない」
「そう。なら大丈夫ね、もう宿舎に戻っていいよ。明日は朝から宜野座監視官と面談でーす」
「げー…やだな。…ありがと、志恩」

病室のベッドで一通り志恩の診察を受けた後、戻っていいと言われたので一度宿舎に戻ることにした。
宜野からの許可は下りてるらしく、今日の当直も弥生が代わってくれるらしい。申し訳ない…。

そして何より気まずいのが、私の横に狡噛がいることである。

気が動転して泣いてしまった。情けない。恥ずかしい。しかも「助けて」とか言っちゃったし。

「あの、ありがとね。お見舞来てくれて」
「ああ」
「あー…私もちょっと油断してたよ、この年になって誘拐されるとかねー……ハハハ」
「ああ」
「みんなにも迷惑かけちゃったしさ、なんか申し訳ないよ」
「ああ」
「…狡噛お腹すかない?」
「ああ」
「ねえ、キスしよっか」
「あ……なんでだ」

あれ、話聞いてないと思ったのに。
狡噛は一瞬私を見て目をそらすと、早足で歩き始める。
冗談通じてるだろうか?

「で、本当は何があったんだ。記憶にないわけじゃないだろ」
「え?」
「犯人の顔は?」
「見てない。何も覚えてないって志恩にも言ったじゃん」
「…そうだったな」

チクリと胸が痛む。
一体いつからこんな普通に嘘をつけるようになったんだろう?

残念ながら、私は都合よく記憶を操作する能力は持っていない。
私を連れ去った槙島聖護のことはばっちり覚えているし、彼の言葉も一語一句漏らさず記憶にある。
けど、それを公安局の人間に言うのは気が引けた。
別に槙島に口止めされたわけではない。
ただ、私が言いたくないと思ったのだ。
…これはみんなを裏切ってることになるのかもしれないけど。
事実、私は槙島の言動に少なからずも心を動かされた。
彼には私の気持ちを見透かされてるみたいで不気味だったが、それと同時に本当の意味で私を理解してくれているというのは…心地好く感じたのだ。
槙島聖護は私の神にも成りうる存在なのかもしれない。認めたくないけど。

「…狡噛?」
「今夜、泊まっていけ」
「え」
「…っ別に変な意味じゃない。お前を狙ってるやつが局内にいるなら、お前一人で過ごすのは危険だからな。また連れ去られでもしたら俺の心臓がもたない」
「…はあ」

でも、でもそれってどうなの?
一応想いあってる(?)男女が同じ部屋で何も起こさずに一晩共に過ごすっていうのは、可能なのだろうか?
いやいや、でも狡噛は親切で言ってくれてるんだし…。変に勘繰ったら失礼だよね。
でも…もしも間違いが起きたら?私やり方もよくわかってないけどさ。
……とりあえず、下着はかわいいのにしておこう。










「お邪魔しまーす…」

狡噛の部屋に入るのは随分久しぶりな感じがする。少し前まではよくお互いの部屋を行ったり来たりしていたのに。
やはり私たちの中では着実に何かが少しずつ変わっていた。

「…お風呂、借りていい?」
「ああ」

なんかこの会話だけ聞いたら付き合いたての恋人同士みたいだ。
了承は得たのでバスルームに入ると、持ってきた着替えや歯ブラシ、洗顔料や化粧水などを洗面台に置いて、ホロを解くと手早く服も脱ぐ。
シャワーのコックを捻ると、まだ冷たい水が飛び出していた。
そういえば以前、シャワーのお湯が出にくいとか言ってたような…?

「あったか…」

垂れ流しにしていると、すぐにお湯に変わる。そっとかけ流すと、全身が温もるような感じがした。

そこで私は首を傾げる。
このバスルームにはもちろん鏡がついている。熱気で曇ったガラス面にお湯をかけると、私の全身が写るわけなのだが、身に覚えのない痕があるのだ。

「何だコレ」

首筋、というよりはデコルテに赤い鬱血痕がひとつ。
それ以外は何も変わらないけど、果たして私はこんなところを怪我しただろうか?
こればかりは記憶にない。
というかこんな場所怪我しようと思っても出来ないし…槙島が関係してる?

「…まぁいいか」

洗い上げた髪の水気をタオルでとりながら、寝間着に着替える。
狡噛に聞いてみようかな。

そこでコンコンとバスルームのドアをノックする音が聞こえた。はーいと返事をして開ける。まぁ大丈夫だろう、狡噛だし。

「なーに?」
「いや、ドライヤーを…」

ドライヤー、そう言って彼が差し出した手には確かに髪を乾かす装置が握られていたのだが、彼は言葉をいい終える前に少し目を見開いて、私を凝視していた。

「ドライヤー?ありがとう」
「お前、それ」
「?」

固まっている狡噛からドライヤーを受けとると、洗面台に置いた。
どうしたのだろう?
私の顔に何かあるだろうか?

「どうしたの?」
「これ、誰に付けられた?」

少し怒ったような、でも焦っているようにも聞こえる声音で私に尋ねる。そしてそっと私の胸元を撫でた。

「え」
「ギノか?それとも今日お前を連れ去った奴か?」
「ちょ、ちょっと待ってよ狡噛、何の話?」
「何って、お前何されたかわかってんのか」
「わかんないよ、ちょっと待って狡噛、落ち着いて!」

狡噛は責めるように私に詰め寄ってくるけど、私には彼が言ってる意味がわからないし、頭には何も思い浮かばない。
何でこんなに怒ってるんだろう。私は狡噛の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。

「ひっ」

壁際に追い詰められた私は抵抗も出来ず、反抗も出来ずに静かに俯いた。
何で怒ってるかわからない相手の機嫌を治すことほど難しいことはない。でもどうしていいかもわからない。

蛇に睨まれた蛙状態の私の胸元に、狡噛の唇が落ちてきた。
びくり、と身体が反応する。もしかして、今間違いが起ころうとしていたり?

「やめて」
「お前がこれを誰に付けられたか言うまではやめない」
「だから……何の話よ」

本当に何を言ってるのかわからない。
ビビりながらも狡噛を睨むと、それが癪だったらしく、また首筋に噛み付かれた。
じわじわと痛みが伝わってくるわ訳がわからないわで、ちょっと涙目になるが狡噛はお構い無しにそこを舌で嘗める。
擽ったく感じるだけでなく背中がぞわぞわとして身をよじると、今度は手首を掴まれて壁に押し付けられて。いよいよ本当にやばい。

「やめてってば!」
「まだ惚ける気か?お前がそんなにあっさり身体をゆるす女だとは思わなかったよ」

身体を…ゆるす…?

「あの、狡噛」
「……」
「私、処女なんですけど」
「…え」


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