「遅刻だ」

まるで学校の先生のように私を諌めると、宜野は不愉快そうにじとりと私を見つめた。
志恩と喋りすぎたのだ。といっても一分遅れただけで。
そんなことを口答えしようものなら宜野には一分でも遅刻は遅刻だ、この愚か者!とか言われそうなので素直に謝っておく。

「…すみません」

今日は弥生とおいちゃんは非番だから、私と宜野と朱ちゃんと秀星、そして狡噛の五人で仕事だ。
……狡噛は私を一度も見ずに静かに宜野の指示を聞いていたようだった。
他の三名が宜野のデスクの前を取り囲むように並んで立っているので、そっと私も一番端にいる秀星の横に並ぶ。

「外だってさ、暁」
「外?」
「説明は現場についてからにしよう。ドミネーターと小型ドローンを積んですぐに出動だ」
「はい」

宜野が私を一瞥すると、すぐにそっぽを向いてしまった。











「…ホームセキュリティの一斉点検で、この部屋のトイレが二ヶ月前から故障していたことが分かったが、住人からの苦情が一切無い。それで管理会社が不審に思って通報して来た、ということだ」

私たちはセキュリティ会社の人間じゃないんだけど、と悪態をつきそうになるのをぐっとこらえる。

現場は所謂普通のマンションで、ホロ投射可能な男性一人が悠に暮らせる普通のマンションだった。

要するに二ヶ月前からここの住人が何の音沙汰もなく姿を消したと言うのだ。

「まぁこの時点で、部屋の住人は死んでるよね」

壁に凭れて室内を見回していると、狡噛も小さく頷いた。
秀星がパソコンの履歴を探っているらしく、鼻唄が聞こえる。

「え、でも長期の旅行に行ってるという可能性もあるんじゃ…」
「ははっ、ないない」

私は朱ちゃんの発言に少しだけ笑みを溢す。

「この街から出るなら街頭スキャナーに引っ掛からずに姿を消すというのはほぼ不可能だよ。そもそもそんな不審な動きをしていたらかえって目立つし、記録に残る。それに口座からの引き落としも二ヶ月間途絶えているらしいし」
「つまり、この部屋の男は部屋から一歩も出ていない、ということだ」

私に重ねるように狡噛も言いながら、床を見渡す。
何か探しているらしい。
朱ちゃんの顔が少し青ざめた。

「それって、」
「死んでるな、葉山は」
「だね。殺されるほうが消えるより簡単」
「ま、つまり…ここで殺されて遺棄されたんだろうけど」

執行官は満場一致なようだけど、宜野は納得いかないらしい。

「だが、結論を出すのはまだ早いぞ」
「…朱ちゃん、内装ホロつけてもらえる?」
「あ、はい」

朱ちゃんに部屋の内装ホロを再起動してもらうと、きらびやかなホテルのような空間に、一つだけおかしな点が浮き出た。

ソファの位置にズレがあるのだ。

ホロだけのソファには座れないから、普通はホロと本物の位置を同義させる。それがズレてるってことは、誰かがソファを動かしたということになる。
退かしてみたら案の定、ソファの下のラグが敷かれた床に傷があった。

「これを隠したかったのか」

五人で床の傷と粘着テープの痕とを見つめる。
これで私と狡噛の意見はおおよそ固まった。

「遺体の処理方法だけど…まずは絞殺か毒殺か電気ショックによる心臓麻痺とか、とにかく出血の無い方法で葉山を殺す。それから部屋にビニールシートを敷いて遺体を細切れに分解する。そりゃもう、お風呂やトイレの排水溝に流せる程度に粉々にね」

朱ちゃんが私の発言にまたぎょっとして口元をおさえる。想像したのだろうか。かなりスプラッタな映像だろうね。
でもこういうバラバラ事件って、情報公開してないだけでそんなに少なくはないんだけどな。昔からよくある事例だし。

「恐らく殺す時に抵抗されたんだろう。床に傷が残り、ビニールシートの痕も残してしまった」

更に付け加えるように口を開く狡噛に私も小さく頷く。
その瞬間目があったが、思わず視線をそらしてしまった。今朝あんなことがあったばかりとはいえ、みんなに悟られないように振る舞うのもなかなか疲れる。

「……度胸と根性はあるけど、素人の殺しだね」

私が締め括ると宜野が納得いかないという顔をしたけど、私はそれ以上何も言うことはないし。

「…鑑識ドローンに下水管の血液反応チェックをさせて。それでわかるでしょ」

宜野から目をそらしていい放つと、秀星が触っているパソコンを背後からちらりと覗き込む。
今回ばかりは宜野もやむを得ないと感じたのか、鑑識ドローンを使うことは認めてくれたらしい。

「葉山がネットで使っていたアバターは…こいつか」

同じように狡噛もモニターを見つめる。
葉山はこのご時世に珍しいことに無職だったが、アフィリエイトで生計を立てて食っていける程度にはネットの人気者だった。

何か情報があるかもしれない、と秀星がコミュフィールドのデータを探っていたのが実際ビンゴだったらしい。

「いいねぇ、これやってるだけで稼いで食っていけるんだから。働くの馬鹿らしくなっちゃうよな」
「そうね。ふーん、タリスマン…か。わかんないなぁ、これ系統は私も詳しくないし」
「え?」

モニターの前で小さく唸ると、朱ちゃんが振り向いて驚いた様子でこちらを見た。

「今、なんて」
「…タリスマンのこと?何?どうかした、朱ちゃん」

慌ててモニターを覗き込む朱ちゃん。
何事かと私と秀星が彼女を見ると、大きな目を見開いて、彼女は少し戸惑ったような声色を出した。

「私、今朝…このアバターと会ってます」










「そんなわけでうちのカワイイ鑑識ドローンが頑張った結果、葉山さんちの排水溝からめでたく遺体の断片が見つかりましたー。はーい拍手」

あの後葉山の部屋からとんぼ返りして分析室に来てください、と朱ちゃんから連絡があったので集まってみると、一係のメンバーが椅子に優雅に腰かける志恩の前にずらりと並んでいた。

私と狡噛の推理は当たっていたらしく、やはり葉山は殺害されてバラされて排水溝へ流されたらしい。ご愁傷さま。

それなのに誰かがネット上で葉山の コミュフィールドを運営し、葉山のアバターでうろつき回っているのだ。

「それとコミュフィールドのアバターの件も。朱ちゃんが今朝会ったってことは、まぁ独りでにアバターが出歩いてることになるんだけど」
「怪談だねぇ。成仏できずにネットをさ迷う幽霊ってか?」
「誰かが成り代わってるんじゃないの?」

私が一番気になっていた話題だったのでそれとなく口を挟むと、志恩は少し唸る。

「どうだかね…葉山は失踪する以前から、ふざけ半分に偽装IPを使ってたみたいだし」
「…アクセスルートの追跡は」
「試してみてもいいけど、何か明らかに胡散臭いプロクシサーバを経由してるからね〜。まあ間違いなく逆探知対策は講じてるだろうね。下手に追跡掛けると先方にも感づかれるわよ」

志恩がタブレットを操作しながら説明してくれるが、そもそも私はこれ系統の知識は専門外で基本的なことしかわからなかったりする。
ネットの詳しい設定や難解なコードとなると正直ちんぷんかんぷんだ。

「でもさ、少なくとも葉山のアバターを使ってる奴は自分が怪しまれているだなんてまだ気付いてないはず。それってチャンスなんじゃない?」
「ある意味、今回の容疑者は逃げも隠れもせずに目の前をほっつき歩いているわけだ。うまく誘導すれば正体をつかむ手掛かりになるようなボロを出すかもしれない」
「よし、奴のアバターに接触してみよう」
「手としては悪くないけど…誰がやる?」











「私はてっきり狡噛がやるかと思ったよ」

デスクの椅子にもたれて、コーヒーを口に含む。
コミュフィールドの調査は朱ちゃんと宜野の二人ですることになったので、特にすることのない執行官は各々の書類をまとめたり、休憩をしたりとまったり過ごしていた。

秀星や弥生、おいちゃんがいる手前、いつものように狡噛と話さないのは不自然かと思い、それとなく話を切り出す。
以前も言ったが私と狡噛のデスクは隣り合わせなのだ。嫌でも世間話や日常会話はする仲である。

「別に、あれくらいギノに任せて大丈夫だろ」

一瞬じっと私を見ると、すぐに目をそらしてタブレットで何か打ち込み始めた。
彼も私も大人だから、職場に私情を持ち込むような真似はしない。
しないのだけど。

「そりゃそうだけど…」
「あー腹へったなぁ…あれ?…暁、お菓子作り置きねぇーの?」
「…そこに置いてなかったら、もうないと思うよ」

夕食までにはまだ時間があるけど、秀星はお腹がすいてしまったらしい。
ちなみに私は一系のお茶うけも兼ねてるらしく、暇なときにつくったクッキーやケーキを職場の冷蔵庫や棚に置いておくことが多い。
別に趣味の一貫だから構わないし、いつの間にかなくなっているからきっとみんな気が向いたら食べてくれてるんだろう。

「…なんだよー…この前のチーズケーキ美味そうだったから俺ちゃんと名前書いといたのに」
「あ、それ私が食べたわ」
「えええええええええ」
「だって何て書いてるかわからなかったんだもの。字、汚い」
「だからって勝手に食うなよぉぉぉ!!!!」

姉弟みたいな会話を繰り広げる弥生(ちなみに終始無表情)と秀星を微笑ましく見ていると、狡噛が徐にクッキーを取り出した。
いや、お前もかい。

どうやら早い者勝ち制度らしく、後で食べたいときは名前を書いたりしてるらしい。作ってる当の本人は全く知らなくてびっくり。そんなに人気あるなら今度からもう少し多目に作ろうかな。

「ま、今回は諦めるか。暁ー、次あれ作ってよ!塩のクッキー!ココアのやつな!」
「いいよー」
「暁、私はまたチーズケーキが食べたい」
「弥生まで…じゃあ今度の休みにでも作ろうか」

『それなら、俺は暁を食いてぇなー!』
『佐々山さんセクハラ!』

そこでふと、何か懐かしい気持ちになって私は振り向いた。
どこかで懐かしい、あの人の声が聞こえた気がして。

「……」

佐々山さんのことを忘れていたわけではない。
ただ、三年前はここにいたあの男が突然私の背後に現れたような。

話題は移り変わったのか秀星とおいちゃんが何か賑やかに話している。
私はなんとなく、ほんとに何となく、小さな声で呟くように問いを投げた。

「佐々山さんのこと、まだ調べてるの」

ぴたり、とタブレットを操作していた狡噛の手が止まった。

「あぁ」
「…そう」
「それがどうかしたのか?」
「いや、別に」

標本事件の現場は酷いものだった。
特に、佐々山さんの遺体が発見された現場は。
私もあの日は監視官だった狡噛について出ていたのだけど、途中から狡噛が暴走して佐々山さんを連れ戻すと言って、全く宜野の言うことを聞かなかった。

執行官の私が言うのも何だけど、あの時の狡噛は異常だ。

そして広告のホロの下に彼の遺体を見つけた時の、あの狡噛慎也を私はまだ忘れられずにいる。
一目見てわかるほど、あの時の狡噛は頭がおかしかった。

「あの、あんまり無理しないで」
「…」
「私も、何か出来ることがあったら手伝う」
「助かる」

心にもないことを言ってしまった。 標本事件は迷宮入りを果たしてしまって捜査は打ち切り、今となっては狡噛個人が密かに一人で調べているだけだと聞いたことがある。

佐々山さんはいい人だった。女好きで、ちょっとやらしくて、でも情熱的なところもある頼れる先輩執行官。
執行官の基礎や現場での考え方は、全部あの人に教わったと言っても過言ではない。施設から出たことのない私に気をかけていてくれた優しい人だ。
なのに、どうしてあんな死に方を?
答はどこにもなかった。誰もが答を見つけ出せずに諦めてしまった。

狡噛は、その答えをもうずっと探している。
暗い、闇の中で。
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