※現パロ
右手に持った赤色のマジックペンできゅ、とカレンダーの日付にバツを付けた。
「…あと4日」
ナマエはそう嬉しそうに呟いてマジックペンのフタを閉める。彼女がカレンダーに印を付けていた理由は遠距離恋愛をしている彼に会える日が近付いているからだ。
「ナマエー!お風呂入っちゃって!」
「はーい。すぐ行く!」
下から母が呼ぶ声がし、マジックペンをペン立てに片付けた。遠距離恋愛相手は2つ年上のリヴァイという男性。共通の友人を通じて知り合っていつの間にか意気投合し連絡先を交換、2人が付き合うまでにそう時間はかからなかった。無愛想だけれど優しいリヴァイに惹かれたナマエ、2人は幸せの最中にいた。しかしその最中リヴァイに1年間の長期出張という名の一時的な異動が決まったのだ。仕方なく1年間は遠距離恋愛になってしまった2人、東京と大阪という遠い遠い距離だが1ヶ月に一度はどちらかが会いに行き僅かながらも時間を共有していた。最初こそ寂しくてどうにかなりそうだったが期限があると理解しているから少しずつ気持ちも落ち着いて10ヶ月が経過した。
「あ、電話!」
カレンダーを眺めて想い人を想像していると、部屋に鳴り響いた着信音。慌ててスマホを確認するとその電話は紛れもなく先程まで想像していた愛しい人からで。ナマエは逸る胸を落ち着かせ、お風呂は後にしてもらおうと通話ボタンを押した。
「…もしもし?」
『俺だ』
「リヴァイさん!お疲れ様です」
『ああ』
「今仕事終わったんですか?」
『いや、ついさっき家に着いたところだ』
「遅くまでご苦労様です」
2日ぶりに聞く愛しい人の優しい声。会えなくても声が聞けるだけで寂しさは埋められた。東京で実家暮らしのナマエと大阪の社宅に住むリヴァイ。とてもすぐに会える距離ではないけれど。
『そっちは変わりないか?』
「はい。いつも通りでした」
『そうか。ならいい』
「ふふふ…リヴァイさん」
『どうした』
「もうすぐですね」
『…ああ、そうだな』
「今度はわたしが大阪に行きますね」
『…ああ』
「リヴァイさん?」
もう少しで会えることが楽しみで仕方がないナマエだがリヴァイの声のトーンが下がったように感じた。
『…ナマエ、そのことなんだが』
「は、い…」
先程の優しい声とは違った、低くて切ない声。次の言葉はどんなだろうと考えるだけでナマエの胸は苦しくなり、声も思うように出すことが出来ない。楽しみだった気持ちは一気にゼロになった。
『1年間という期限だったが、今日上から本格的に大阪へ転勤が決定だと言われた』
「…!」
ガン、とまるで鈍器で殴られたかのような衝撃。スマホを握る手に力がなくなるのを感じたが、それを持ち直して掠れた声で問うた。
「……てん、きん?」
『ああ』
「リヴァイさん、ずっと大阪に住むの…?」
『…そうなるな』
「ずっと遠距離…?」
『………』
信じたくない現実だが、無言のリヴァイがそれを現実だと如実に伝える。長期出張でさえ嫌だったのに1年間という期限(ゴール)があるからこそ耐えていられた。しかし今度は期限がない転勤。ナマエには重すぎる事実だった。
「……そ、か。それなら仕方がないですよね」
『ナマエ?』
「お仕事だから…仕方ないです、」
『………』
仕事だから仕方がない───そう思わないと今にも涙が溢れて来そうだった。目頭が熱くなり喉がツーンと痛いのにそれに気付かぬフリをした。
『泣いてるのか?』
「…泣いてませんよ。だって、これは仕方がないことだから」
声が伝わったのか優しく言葉を掛けてくれるリヴァイに更に泣きそうになったが、精一杯の強がりを言った。ここで泣いてしまっては彼に迷惑を掛けるだけだと必死で堪えた。そうだ、これは永遠の別れではない。距離はあれど会いに行けるのだから、この生活が続くだけだからと思い込んだ。
「大丈夫です。今まで通り会いに行きますから」
『……ナマエ』
「はい…」
『もう、会いに来なくていい』
「………え?」
突然伝えられた言葉に今度は頭が真っ白になるようなそんな感覚に襲われた。リヴァイの言葉が耳から流れるように出て行って記憶にすら残らない。何かの聞き間違えであって欲しいと恐る恐る口を開いた。
「……今、なんて…?」
『…もう会いに来なくていいと言った』
「………どうして、」
『遠距離、辛いだろ。辞めちまおう』
「そんな………」
転勤より辛い話に頑張って堪えていた涙は一気に溢れ出した。ぼろぼろと大粒の冷たい涙が頬を伝ってナマエの服を濡らしていく。
「……ッ、」
『………』
「……わかり、ました」
『ナマエ』
「…もう、会いに、行きま、せ…ッ」
今出せる精一杯の声と言葉で伝える。離れていても大好きだと胸を張って言えるのにこんな形で終わりを迎えようとしている恋。本当は嫌だ嫌だと駄々をこねる子どものようにリヴァイに縋り付きたかったが、それは相手の重荷になるだろうと我慢した。今すぐにこの事実は受け入れられないだろうが少しずつ前を向けるように努力しようと流れる涙を拭いながら考えた時。
『……ナマエ、』
「…?」
『…クソ。お前を泣かせたい訳じゃねぇ』
「………」
『こっちに……俺のところへ来いという意味だ』
「え?」
『悪い。言葉選びがおかしかったな』
電話越しに聞こえるリヴァイの照れたような声。一瞬何が何だかわからなくなって、あれ程溢れて止まらなかった涙がぴたりと止んだ。
「リヴァイさん、どういう…?」
『俺と一緒に大阪で暮らそう』
「へ!?」
『俺はこんな関係はもううんざりだ。だから、ナマエが良いなら大阪へ…俺の元へ来てくれ』
真面目な声で伝えられる言葉の意味をようやく理解出来たナマエ。寂しさと悲しさで押し潰されそうだった胸に少しずつ温かさが戻っていく。
『…嫌なら、いい』
「……行く」
『………』
「わたしっ……大阪に、リヴァイさんのところに行く………行きたい!」
迷いなんてひとつもなく、真っ直ぐに伝えた。ナマエにノーという選択肢はない。好きな人と、愛しい人と一緒になれるのならどこへだって行きたいのだ。その為なら仕事も捨てることが出来るし家族や友達だって残して行くことが出来る、生まれ育った地元でさえも去ることが出来る。
『お前ならそう言ってくれると思っていた』
「……はい」
『ナマエ』
「………」
『愛してる』
「……わたしも、愛してます」
リヴァイの声に優しさが戻り、今日初めての愛を交わす言葉を伝え合う。嬉しくて堪らなくて一度は止まった涙が再び溢れた。今度は悲しい冷たい涙ではなく、温かい涙だった。
『本当なら今すぐお前を抱き締めに行きてぇが』
「…はい。でも今はその言葉で充分です」
『ふ、そうか』
「はい」
『なぁ、ナマエよ』
「…?」
『そろそろ敬語はやめたらどうだ』
「あ……すみません、つい癖で」
『お前は俺に甘える時だけ敬語がなくなるからな』
「え、嘘…!」
『気付いてなかったのか』
「む…無意識でした」
『そうかよ』
珍しくリヴァイが笑う声が電話から伝わり、ナマエも釣られて笑った。思い返せば先程のやり取りの中でも何度か敬語がなくなっていたような気がすると伝えると、リヴァイは更に笑った。電話ではその笑顔を見ることが出来ないのが残念だと思う。
『ナマエ』
「はい」
『1ヶ月後だ。こっちでの家の契約や準備を終えたら……俺がそっちまでナマエを迎えに行く』
「1ヶ月後………でも来てもらうより、わたしが大阪に行った方が手間が少ないんじゃ?」
『俺がそうしてぇんだ。いいだろ』
「…ふふ、わかりました」
『それまでに敬語なくせるようにしておけ』
「ぜ、善処します…」
どこまでも優しいリヴァイにナマエはこの人を好きになって本当に良かったと心の底から思う。大阪へは修学旅行くらいでしか行ったことがなく全くの新天地となるが、リヴァイと一緒なら何も怖くないとさえ思えた。
『今週の土日、こっちに来るだろ。その時にでも物件見に行くか』
「う、うん!」
『ちゃんと条件、考えとけよ』
「…うん。考えときます」
『じゃあ切るぞ』
「はい」
『ナマエ』
「ん?」
『愛してる』
「ふふっ、2回目」
『何度言ったって足りねぇよ』
「うん。わたしも、愛してます」
『…ああ』
その言葉を最後に通話が終了。ナマエはしばらくリヴァイとのトーク画面を見つめてスマホを握る手に力を込めた。
「楽しみだっ」
ナマエはスマホの画面を消すと、また油性マジックを取り出してカレンダーをめくる。そしてきゅっと丸印を付けた時に気付いた。
「…この日、2年の記念日だ」
リヴァイが言った1ヶ月後の今日は2人が付き合って2年になる記念日だった。彼は知ってか知らずかわからないけれどもしかしたらリヴァイなりに考えていてくれたのかも知れないと思うと、愛おしくて堪らない。
「素敵な記念日になるね」
ナマエはカレンダーをフックから取り外すとそれを抱き締めた。父と母に実家を出てリヴァイと共に暮らすことを伝えなければ、とカレンダーを抱き締めたまま部屋を出る。何度か面識もあり両親も彼を気に入っているからきっと許してくれる───階段を下るその足はとても軽かった。
2020 0823
mae tugi 60 / 60