静かだった廊下からドタバタと誰かの騒がしい足音が響き、扉が盛大に開かれた。部屋の主はそれらの行動が気に入らず眉間に深くシワを刻み、入って来た人物を巨人をも足止め出来そうな鋭い視線で睨み付けた。
「…おい、ガキ共。誰の許可を得てノックもなしに入って来てやがる」
リヴァイの視線の先には104期生であるエレンを筆頭にミカサ、アルミン、ジャン、サシャ、コニー、後ろの方にはユミルとクリスタもいた。てっきりハンジかと思ったが思い描いていなかった訪問者たちに少しだけ疑問を抱く。104期生たちは急いで来たようで肩で息をしながら遅れた敬礼を取った。
「す、すみません!リヴァイ兵長、緊急事態です!!」
「緊急事態だと?どういうことだ」
「あのっ、ナマエさんがッ…!!」
「お、落ち着けクリスタ…!」
「ナマエ…?」
「とにかく僕たちと一緒に来てください。先にエルヴィン団長とハンジさんも行っています!」
慌てるエレンやクリスタを他所にこんな時でもアルミンは落ち着いていると冷静な分析をしだす自分にリヴァイは舌を打った。状況はまだ理解しきれていないが、ナマエが絡んでいるとなると話は別で104期生らに連れられる形でリヴァイも部屋を出た。
ナマエはなかなか腕の立つ兵士でリヴァイとは恋仲にあった。強さを秘めているが性格は温厚で誰にでも好かれる人柄、後輩の面倒見も良く特に104期生らとは一緒にいることも多かった。そんな彼女に何があったのか何も知らされていないリヴァイは焦りから苛立ち、その鬼のような形相にサシャやコニーの顔は青ざめる。彼らに連れられた先は兵団の正門だった。そこには佇むエルヴィンとハンジが。
「ハンジさん!」
「エレン!!」
エレンがハンジに声を掛けると少し焦っているようなそんな表情で2人は振り向いた。
「エルヴィン、ハンジ。一体どういう状況だ。それにナマエはどこにいる?」
「手短に説明するから!だからナマエを連れ戻してよリヴァイ!」
「…は?」
「…少し厄介なことになってしまってね」
エルヴィンからの話はこうだ。突然ナマエに会いたいという女性が兵団を訪ねて来た。実はその女性はナマエの母親で、娘に危険な調査兵団を辞めさせる為に来たらしい。彼女の父親が調査兵団に所属していた過去があり既に殉職してしまっているが、それに憧れたナマエは母親の強い反対を押し切って家出し訓練兵に志願して現在に至る。何度かの押し問答を繰り返した末、兵団に迷惑を掛けたくないとナマエは母親に着いて行ってしまった。
「チッ、何故お前らは追いかけない?」
「適任が私たち以外にいるからさ」
「クソが…」
「リヴァイ」
「………」
「ナマエを必ず連れ戻してくれ」
「…了解だ」
リヴァイは愛馬を連れて来る時間はないと判断し、自らの足で追い掛けた。壁の中とは言え人一人を探し出すには広すぎる空間にどうしたものかと考えたが市街地に出れば自由の翼が刺繍されたジャケットは目立ち、思っていたよりも早く見つかった。ちょうど馬車に乗り込もうとしているところだった。
「ナマエ!!!」
「……!?」
愛しい名前を叫べばナマエとその母親が馬車に乗り込む足が止まり、リヴァイの方へ振り返る。確かに彼女はそこにいるが、何故かいつものナマエとは違和感があるような気がした。何かに怯えているような、そんな様子で普段の笑顔はなかった。
「リヴァイ兵長…!」
「貴方が、”人類最強”の…?」
「………」
リヴァイは一応初めて会う彼女の母親に軽く会釈をした。母親はリヴァイを軽蔑するような冷たい瞳をしていているが、その瞳以外はナマエに似ていた。
「すみませんリヴァイ兵長。わたし、調査兵団を辞めさせて頂こうと思ってます。心臓を捧げたのに……それを取り下げるなんて、ほんと、兵士として失格…ですよね。申し訳ないです……今までありがとう、ござい、ました…」
「……それは、お前が選んだのか」
「…!!」
泣きそうになりながらもどうにか笑顔を取り繕い、頭を下げるナマエに低い声で言ってやる。そうすれば彼女はビクッと肩を揺らした。
「調査兵団を辞めるのは、お前の意思かと聞いている」
「……ッ、それ、は…」
「私の意思でありこの子の意思ですよ。ナマエはもう危険を侵してまで壁外になんて行かず、一般市民として平和に暮らすんです」
母親がナマエの言葉を遮り、強い口調でリヴァイに歯向かうように言う。意地悪を言っているように聞こえるがかつて調査兵団に所属した夫を壁外調査で亡くし、大切な娘までも失いたくない一心なんだろう。ハンジの話によればナマエが調査兵になる為に訓練兵に志願したことは母親は許していないから。母娘の想いは交わることはないのだろうか。
「……ごめんなさい、兵長。わたしのことは、忘れてください…」
その言葉はナマエとリヴァイの関係をも断ち切ることを指しているようだった。
ナマエの悲しみで歪む顔を見てリヴァイは躊躇った。このまま退団すれば彼女はもう壁外には行かず内地で穏やかに暮らすことが出来る。絶対安全とまではいかなくても、調査兵団に所属するよりかは断然”死”からは遠ざかる。大切な彼女を想うなら、もう大切な人を失いたくないなら、それならリヴァイの選択は────
「………それが、答えか」
「………」
ナマエは母親に背中を押されて、無言で一歩馬車へと足を掛ける。
「兵団を辞めて、俺との関係も切ると…お前がそれを本気で選ぶなら、俺は身を引こう。だがな」
「…ッ!?」
「何を…!?」
馬車に乗り上げる寸前でリヴァイはナマエの腕を思い切り引っ張って己の近くに半ば無理やり連れて来る。声を上げる母親になんて構わず。近い距離で2人の視線が交差し、そして華奢な肩を掴んでリヴァイはらしくなく言葉を続けた。
「俺はまだ、お前の本音を聞いてねぇ」
「……!」
「親が言うから。誰かがそう言うから。そんなんじゃなく、お前の言葉でお前の意思を聞かせろ」
リヴァイの言葉にナマエは目を見開いて、歯を食いしばる。その際に幼少期の思い出が走馬灯のように脳内に蘇った。調査兵であった父を亡くしてからは身内の”死”を恐れた母の言いなりで生きて来た。遊ぶ相手、遊ぶ玩具でも何でも言う通りにした。そうしないと母は怒り、酷い時には手を上げられたから。でも父に憧れて調査兵団になりたいと志願したのは紛れもない自分の意思であり唯一母に逆らったこと。ナマエは拳をぎゅっと握ると覚悟を決めたように母へ向き直る。
「……お母さん」
「ナマエ、こちらへいらっしゃい」
「……行かない」
「え?」
「お母さんのところには行かない!わたしは、調査兵団を辞めたくない!!」
ナマエは叫んだ。心の内をさらけ出して。訓練兵に志願する為に家を飛び出したあの頃のように。母に向かって言い切った。
「何を言ってるの。あんなところにいたらすぐに死んでしまうのよ!?勝てもしない巨人相手に自ら死にに行くようなものだわ!あなたまでお父さんと同じ道を辿るの?お母さんを置いて行くの!?」
「わたしは……わたしたちは、死にに行くんじゃない。巨人を倒して、自由を手に入れる為に戦いに行くんだ!…亡くなった人はたくさんいるけど、その人たちの、お父さんの死を無駄にしない為に戦いたいの!」
「あなたに何が出来るの?お父さんでさえ身体の一部は愚か遺品すら帰って来なかったのよ!?どうしてあなたたちは……お母さんを一人にしようとするの?」
強気だった母は遂に泣き出してしまった。けれどナマエはそれに怯まなかった。母のことももちろん大切だがずっと言いなりになってきた今だからこそ自分の気持ちも大切だった。そして後ろにいるリヴァイのことも。
「……お母さんには言ってなかったね」
「?」
「わたし、訓練兵団首席で卒業したんだよ」
「…!?」
その一言に母は何を覚えたのだろう。希望か、はたまた絶望か。母は膝から崩れ落ち地べたに座り込んだ。
「どうしても、辞めないのね…?」
「辞めたくない。わたしの意思だから」
「お母さんが…泣いて縋っても?」
「…絶対辞めない。兵長がいる限り」
「……とんだ親不孝者だわ」
「…ッ」
「親よりも男を取るのね」
「おい」
今まで黙っていたリヴァイが口を開いた。
「親なら子どもの意思ぐらい尊重してやれ」
「……貴方に何がわかるんですか。夫を亡くし、娘さえも”死”に一番近いところにいる……独り置いて行かれる私の気持ちがわかるんですか?」
「お母さん…ッ!?」
キッ、とリヴァイを睨み付ける母が彼の背景も考えないで発した言葉にナマエは反論しようとするが、リヴァイの手によってそれは制された。
「俺がナマエを守る。巨人からも他の脅威からも。絶対死なせたりしねぇ」
「そんなの、壁外で誓えるんですか!?巨人相手に必ず保証出来るんですか!?」
「ああ」
「嘘よ…そんなの……嘘に決まってる!」
「嘘じゃねぇ。誓ってやるよ」
「…!」
「……リヴァイ兵長、」
リヴァイは気持ちを踏み躙られたにも関わらず、一切顔色を変えずに己の心臓に拳をぐいっと宛がった。兵士が心臓を捧げる時の格好だ。真っ直ぐすぎる彼に母は悔しそうに唇を噛む。一方でナマエは”守る”という台詞が嬉しくてリヴァイの服の裾を控え目に摘んだ。
「……もういいわよ。あなたなんか娘じゃない。好きにすればいいわ!!」
「あ…!」
母は捨て台詞を吐くと荒々しく馬車に乗り込み、そのままどんどん小さくなって見えなくなった。結局分かり合えず終いでナマエは唇をきゅっと結ぶ。兵団に残ると決めたのは自分の意思だけれど実の母親に”娘じゃない”と言われたのは精神的にキツかった。でも今ここに立っているのは自分の意思だから。
「………兵長、母親がすみませんでした」
「気にするな」
「…でも」
「ああいうのには慣れてる」
「………」
「それよりもお前の方が辛いだろ」
「…いえ、」
「嘘つくな。震えてる」
「ッ、」
ふるふると震えるナマエの肩をリヴァイがそっと抱き寄せてやると触れ合った肩同士から温かさが伝わる。
「…こんな時に、何て声掛けてやればいいかわからねぇが……とにかく今はナマエが兵団に残ると、俺といることを辞めねぇでくれたから、それでいい」
「…すみません。わたし、兵長に酷いことを」
「そう思うならわかってるよな?」
「ンッ…!?」
リヴァイは街中だということも気にせず、軽く触れるだけのキスをナマエに落とした。不意打ちすぎるキスにナマエは目を大きくしたまま固まった。
「…目ェ閉じろよ」
「き、急すぎるんですってば!!」
ぷりぷり怒るナマエが可愛くて、それをからかうつもりで彼女の唇を指でふわっと押さえてやった。
「帰るぞ」
「……はい」
「帰ったらハンジに気をつけろ」
「え……それはどういう?」
「行けばわかる」
「?」
はてなマークを浮かべるナマエの手を引いて兵団本部に向かって歩き出す。エレンやエルヴィンたちからこの事態を聞いた時はナマエが自分から離れていくことを酷く怖いと感じたがそれは今確かに隣にあり、手の温もりが現実だと語っている。ナマエを兵団から解放することも考えたが離れ離れになるくらいなら彼女を己の命を掛けて守り抜けばいいとリヴァイの中で結論が出たのだ。
「……ナマエ」
「はい」
「俺から離れるなよ」
「…もちろんです」
「…ならいい」
「リヴァイ兵長」
「何だ」
「助けに来てくれてありがとうございました」
「…ああ」
幸せそうにはにかむナマエと、薄らと笑みを零すリヴァイ。問題が解決した訳ではないしもしかしたらまた今日のように母がナマエを取り戻しに来るかもしれない。それでも今は────束の間の安寧を味わうように寄り添って歩いた。
兵団本部に到着すると、エルヴィンらはまだ門付近に立っていた。リヴァイとナマエの姿を確認するとハンジは思い切り手を振ってこちらに駆けて来る。ナマエの帰りを待っていた104期生らも各々喜んだり安堵の溜息をついたりしている。
「リヴァイ!ナマエ!おかえり〜!!」
「わ、ハンジさん…!」
「おいクソメガネ、ナマエから離れろ」
「や〜だ〜ね〜!」
「テメェ…」
「ぎゃーー!!痛い痛い!!!」
わっと、ナマエの周りに群がるハンジらから彼女を守るように制してやる。特に離れようとしないハンジにはリヴァイからのキツい蹴りがお見舞いされ無理やり引っペがされる形になった。それをみていたエレンやジャンの顔からは一気に血の気が引いた。
「団長、ハンジさん、それからみんなも……ご心配とご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
「いいんだ。ナマエならきっと戻って来てくれると信じていたよ」
「ナマエさん、退団にならなくてよかったですね!心配したんですよ?」
「本当、急に連れて行かれちゃうからどうなることかと思いましたね」
「クリスタを泣かすのは許せねぇけど、まぁ…帰って来てくれたんだもんなぁ」
「ユミルも嬉しそうだね」
「バッ、バカ、誰が…!」
温かい出迎えにナマエは心がぽかぽかになるのを感じていた。実の家族に見放されたとしても第2の家族はここにいるんだと、実感出来た。
「ナマエ、行くぞ」
「あ、はい…!」
また引っ張られる形で歩いていく。
ナマエが自分で選んだ道。選んだからこそリヴァイや兵団のみんなが側にいる。ナマエは嬉しくてリヴァイの腕に抱き着いた。
「リヴァイ兵長」
「どうした」
「さっき、わたしのこと絶対守ってくれるって言ってましたけど……わたし、ただ守られる女じゃないんですよ」
腕に抱き着いた状態で上目遣いでリヴァイを見上げ、不服そうに言い放つ。訓練兵団を首席で卒業し、その後は調査兵としてめきめきと更に力を付ける彼女はその辺のチンピラたちよりも断然強い。彼女が強いことは充分理解しているけれど。
「お前が強いのは知っている。だが、惚れた女くらいは守らせてくれ」
「……兵長」
「いずれ……いや、近いうちにナマエには調査兵を辞めてもらわねぇといけないがな」
「え!?そんな、わたし兵長と一緒に戦えなくなるんですか…?」
せっかく母を振り切ったのに納得出来ないと言わんばかりにナマエは声を上げる。リヴァイは喉を鳴らして笑い、彼女の頭を乱暴に撫でてやる。
「うわ…!?」
「俺の子を孕め。そうしたらお前のこともガキのことも守ってやれる。俺は俺のやり方で、守ることを誓ってやる」
思いがけないリヴァイの言葉にナマエは言いたいことはたくさんあったが、喉に引っかかって言葉にならなかった。彼なりのプロポーズなんだろうが如何せんムードの欠片もない上、ナマエが調査兵団を離れる形になってしまう。
「兵士として、前線に立てなくなっちまうのは悪いが……ナマエにはずっと支えてほしいと思ってる」
「……ずるい。そんな風に言われたら。でももし、赤ちゃんが出来てもわたしは調査兵団を辞めません」
「は…?」
「前線に行けなくても、同じ調査兵として巨人の研究や新兵器の開発をして、全力でみんなを……兵長を支えます」
「……ふ、頼もしいな」
「兵長の……リヴァイさんのお嫁さん候補ですから」
不服そうな態度から一変。自信に満ち溢れ笑顔で言い切ったナマエ。前線に行けなくなったとしても大好きなリヴァイと同じ調査兵でありたいと。
「候補じゃねぇよ。もう決まってんだからな」
「ふふふ。プロポーズしてくれましたもんね」
その未来はいつになるのかわからないが、今は調査兵団の精鋭メンバーの一人として、そしていずれはリヴァイとの子を身篭ってそうなるのだとしたら。まだ彼の隣に立って戦えることに誇りを持とうと誓った。
2020 0506
mae tugi 31 / 60