撤退命令の煙弾が上がる中ガラガラ大きな音を立てながら、馬車が壁外の広い草原を駆け抜ける。荷台には大怪我を負ったナマエとリヴァイが乗っていた。
「へ……ちょ………わたし、死ぬ…の、かな…」
「バカ言うな!お前は死なない……死なせやしない」
弱々しいナマエの声は馬車が走る音でほとんど掻き消されてしまうが、リヴァイはその僅かな音を必死に拾い彼女の手のひらを握る。
冬を目前にした年内最後の壁外調査だった。リヴァイとナマエは恋人であり婚約者。今回の調査を終えて一段落したら結婚を予定していたのだ。何がなんでも死ぬ訳にはいかないと臨んだ調査だったが、仲間を助けようとしたナマエは巨人の手の中に落ち、その際に身体を強く握られてしまい骨が折れ、口からは血が溢れた。喰われる寸前にリヴァイによって助け出されたがもう戦えぬ程の重症を負ってしまった。
「へぃ……ちょう…」
「もう喋るな。黙れ」
「………わたしが、死んだら……貴方は………違う人、を……見つけて…ほしい、ん、です」
喋るな、とリヴァイの言葉を無視して尚話し続けるナマエ。その内容は彼にとって残酷なものだった。
「…黙れ。お前は死なねぇ…」
「……兵長………リヴァイ、さんには…ッ、幸せに、なって……ほしい…」
「おい」
「おね、がい……です、から……わたしの分も、幸せに、なって…ッくだ、さい…」
「いい加減にしろ…!!」
一方的なナマエに対し、声を荒らげるリヴァイ。いくら彼女が己の幸せを望んだとしても、2人でなければ意味がないと。
「弱気になるんじゃねぇ。ナマエも生きて幸せになるんだ、俺と一緒に…!」
「………でも……わ、たし、は…もう…」
「ナマエ!!!」
「…ッ!」
普段は滅多に感情を露にしないリヴァイが声を上げ、悲しそうに眉を寄せている。ナマエはただ浅い呼吸を繰り返した。そして力を振り絞って握られていない方の手をリヴァイの頬にそっと添えた。
「……!」
「………リ、ヴァイ、さん………やだ、よ…」
「……」
「リヴァイさんが………他の、女の人、と、結婚……するなん、て……嫌だよ…」
「…俺だって、お前以外には考えられねぇよ…」
「やだ……嫌だッ……、死に、たくない…!もっと、リヴァイさんと、一緒にいたい……巨人のいない、世界を……一緒に、見たい…!」
やっと本音を零すナマエにリヴァイは喉の奥がツン、となるのを感じた。
「ずっと……一緒が、いい…」
「ああ」
「…でも、ね……もう……」
「……ナマエ?」
「………」
「おい、ナマエ!!」
「………」
「返事しろ!!」
頬に添えられていたナマエの手が重力に従って落ちる。ぴったりと瞳は閉じられていてもうリヴァイの呼び掛けにも反応はない。
「───ッッ!!!」
声にならない悲鳴はただ広い壁外に響いた。
──────
痛い
痛い
でも、暖かい
パチ、と目を覚まして最初に映ったのは木で出来た天井。暖かいのはきっとブランケットが掛かっているから。まだ覚醒しきっていない頭でここがどこなのか理解しようと首を横に向けるとリヴァイが椅子に腰掛けて眠っていた。
「……へい、ちょう…?」
絞り出した声は虫の音のように小さく、リヴァイは不安定な体勢で眠り続けている。身体を起こそうと力を入れたが激しい痛みに襲われてそれは叶わなかったが、木製のベッドがギシッと音を立てた為浅い眠りについていたリヴァイが目を覚ます。
「……ナマエ?」
「兵長…」
「ナマエ!!」
ナマエの目が覚めたことに気づいたリヴァイは慌てた様子でベッドに駆け寄った。
「…生きてるな?」
「………はい」
「……よかった、」
「心配かけてごめんなさい…」
「三日三晩眠った上に骨を折ってんだ。無理はするなよ」
リヴァイはナマエが生きていることを確認すると安堵の溜息と共に少しの笑顔を見せる。あの兵士長である男がこんなにも感情を出すことは極めて珍しい。ナマエは寝転んだまま彼の顔を見上げた。
「わたし、もうダメかと思いました…」
「………俺は信じてたぞ」
「兵……リヴァイさん」
「なのにお前は、俺だけに幸せになれと言った」
「……」
少し不貞腐れたようなリヴァイの表情。確かに激痛で馬車に揺られる最中に己の死を覚悟してそんなことも言ったとナマエは思い出し、目を伏せた。けれど本心は───
「……ごめんなさい」
「もう一度、聞きたい」
「え?」
「ナマエの本心だ」
「………」
リヴァイの幸せを願うからこそ、言った言葉だったが本心はその後の言葉。あの時は死ぬかもしれないと思っていたから本音も吐けたが面と向かって本心を伝えるのは恥ずかしい。けれど死に際を彷徨った結果、こうして生きることを許されたのならば、伝えたいと決心する。ナマエは怪我のせいで自由の効かない身体を鬱陶しく思いながらも、瞳はしっかりと愛するリヴァイを捉えた。
「……わたしは、リヴァイさんじゃないと、嫌なんです。他の人と幸せになんて……なってほしくない…」
「…ああ、俺もだ。ナマエ以外の女と一緒になるつもりなんてねぇし、幸せにもならねぇ。俺もお前がいい」
「ッ……リヴァイさん…!」
「ナマエ、改めて言おう」
「……」
「俺と結婚してくれ」
「…は、い……お願いします…!」
ナマエの返事を聞いて満足気に笑ったリヴァイは、触れるだけのキスを唇にした。
「…やべぇな」
「へ?」
「……怪我、治ったら覚悟してろよ」
「ッ、リヴァイさんったら…!」
完治にはまだまだ程遠いが、生きている喜び、リヴァイの隣にいることが出来る喜び。残酷な世界にも幸せはあるのだとナマエは笑った。
2019 1205
mae tugi 22 / 60