大きな怪我はないものの、全身打撲の診断を受けたナマエは一週間安静との指示だった。と言っても外気浴へ出たり、湯浴みをしたりとある程度の日常生活は送ってもいいとのことだったので、身体に差し支えない程度に日常を過ごしていた。
ハンジは忙しい合間を縫ってナマエに会いに来ては愛の言葉を囁いて帰って行った。時には菓子の差し入れをしたりと、求愛行動は止まらない。気が付いた時にはそれはもうナマエの日常の一部になっていたが、彼女はまだ首を縦に振ることはなかった。
「うん、身体の方も問題ないね。明日から訓練に復帰しても大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
一週間が経ち、最終診察を終えて医務室を後にする。兵士にとって短いようで長い一週間。遅れた分を取り戻す為に明日からは一層気を引き締めて訓練に参加しなければ、と心の中で意気込んでいると後ろから聞き慣れた声が響いた。
「ナマエーー!!!」
「は、ハンジ分隊長……わっ!?」
振り向くとそこにはハンジがこちらに向かって走って来ていて、そのままガバッと抱き着かれる形になった。勢いのままよろけて転びそうになったが、そうならないようにハンジがしっかりと抱き留めていてくれた。
「ナマエに会いたくなってさ!それにそろそろ身体の調子も戻る頃だと思ってね」
「お陰様で、お医者様から身体の問題はなし、と。明日から訓練にも参加出来ます」
「ん、それなら良かった。仕事を放って来た甲斐があったよ」
「……うわぁ、モブリットさんに同情します」
今頃ハンジが放ったらかした仕事でてんやわんやしているモブリットのことを思うと胸が痛んだ。ナマエは今度彼に菓子でも贈ろうと考えた。しかし仕事を放った張本人は今も呑気にナマエを抱き締めている。
「はぁぁ、私のナマエは今日も可愛いねぇ」
「まだハンジ分隊長のものになった覚えはないんですが」
「“まだ”ってことはそろそろその気になりそうってことかい?」
「……そんなこと一言も言ってません」
「素直じゃないなー、ナマエは!」
すりすり、というよりもぐりぐりと頬同士をくっつけて頬擦りするハンジに対し、最早諦めて抵抗する様子すら見せないナマエ。正直、ここまでハンジの求愛が止まらないとは思ってもみなかったのだ。
「私、言ったろ?身体が万全になったら全力で落としに行くって」
「ッ……」
先程までの陽気なハンジとは一転、声が少し低くなりギラりとブラウンの瞳が光る。ナマエはこうなったハンジに弱かった。するり、とハンジの手のひらがナマエの頭を撫でるとゆるゆると下に下がって行き、頬、顎を撫でた。
「ほら。私がちょーっとこうしたらナマエはすぐに照れるでしょ」
「……わかっててやってるなんてずるいです」
「好きな子を落とす為ならどんな汚い手段だって使ってやるよ、私は」
抱き締めていた手が解かれて、ぐい、と両肩を押されてハンジとナマエの視線が交差する。熱を孕んでいるハンジの瞳に見つめられたら、ナマエは視線を外せなくなった。
「んふ、かーわい」
「……っ」
「もうちょっと虐めたら、どうなるのかな」
「え……ッあ、」
ハンジがナマエの首元に顔を埋めると、ちゅ、ちゅ、と触れるだけのキスを首、鎖骨に落としていく。何をされるのかと驚いたナマエは思わず両手でハンジを押して距離を取った。
「あ、え……あの、」
「私から逃げるの?」
「ッ……」
「まあ、逃がさないんだけどさ」
取った距離はすぐに詰められてしまい、その上壁際に追いやられてしまった。両手首を掴まれて壁に縫い付けられる。頬、手首、首筋、鎖骨にまたキスの雨が降ってくる。擽ったくて、恥ずかしくて、身を捩らせるがハンジはそれを止めなかった。
「だ、め……人に、見られちゃいます……」
「人に見られない場所ならいいの?」
「違っ……ン、」
「ははっ、声が出ちゃったねぇ、可愛い」
「……ッ!」
人通りが少ないとは言え、ここは兵団内の廊下。人が通る可能性がある。こんなところを見られてしまったら女同士でデキているとすぐに噂は広がるだろう。
「(……でも、嫌じゃないなんて、)」
ナマエは最初からわかっていた。ハンジとの賭けに負けてしまうことを。一度好きになった人を簡単に嫌いになれるわけなんてないのだ。ハンジにどれだけ求愛されても、恥ずかしい気持ちはあれど嫌だと思ったことがなかった。しかし、それを認めることはまだ出来ないでいた。
「(賭けの期限は二ヶ月って言ったのに、まだ二週間くらいしか経ってない……チョロい女って思われちゃうかな)」
その思いがあるから、認められない。好きな人に軽いだとか思われたくない。それだけだった。
「何を考えてるの?」
「……え、っと、」
ネガティブな考え事をしているのが顔に出ていたのか、ピタリとキスの雨が止み、ハンジが少し首を傾げて問い掛ける。その問い掛けには答えるべきではないと、口篭った。
「言いたくないならいいよ。でも私はどんなナマエでも好きでいられる自信しかないけどね」
「……どうして、そこまでわたしを?」
「この間言っただろ。最初は興味本位だったけどナマエの可愛さに気付いた時から好きで好きで堪らないんだ」
「わたしがチョロい女でも、ですか?」
「ふはっ!そんなこと考えてたの?バカだなぁ、ナマエは」
ぎゅ、とまた抱き締められる。石鹸ではないハンジの香りがふわっと匂って胸が締め付けられた。
「もう一度言うよ?私はどんなナマエでも好きでいる。この言葉に嘘はないよ」
泣きたくなるくらいの優しいハンジの声。普段は騒ぐタイプの彼女だから、こんなに優しい声や艶やかな声が出せるなんて思ったこともなかった。ナマエはもう自分の心を見て見ぬふりなんて出来ないと覚悟し、ハンジの背中に手を回した。
「……この賭け、わたしの負けです」
「え?」
「やっぱりわたし、ハンジさんが好き……」
「ナマエ……」
「男でも女でも、ハンジさんが好きです」
「うん」
「わたしもハンジさんと、いろんなことを経験してみたいです」
そう伝えると、ハンジは初めて告白した日の勝利を確信した笑顔でこう言った。
「あったり前だよ。私以外とは死んでもさせてやるもんか」
そして、二人の唇が初めて触れ合った。