※原作にはいないモブ兵士の名前が出ます。
固めのマットレスに古びた木の天井。ナマエが次に目を覚ました時には兵団内の医務室のベッドの上にいた。何度か瞬きを繰り返して目のピントを合わせていく。
「……あれ、わたし……痛っ…!」
意識がはっきりしてきた瞬間、ズキッと頭や身体が痛む。この痛みで自分がどうなったかを思い出した。
「そうか、わたし……巨人に食べられそうになったところを助けてもらって……」
落馬した女兵士を助ける為にたった一人で三体の巨人に立ち向かった。一体は駆逐することに成功したものの、残りの巨人に二人して食べられそうになったところをハンジ班に助けてもらったのだと、はっきり記憶が蘇る。あの時は必死だったがよくよく思い返せばハンジに姫抱きされていたことを思い出し、ポンッと顔が熱くなった。
「……ハンジ分隊長、女だけどやっぱりかっこいいんだよなぁ」
寝転びながら両手で顔を覆う。すると扉が開く音がして指の隙間から誰が入って来たのかを確認すると───
「やぁ、ナマエ。起きてたの。身体の方はどう?」
「はっ……ハンジ分隊長…!」
入って来た人物はまさに今ナマエの心の中を占領しているハンジだった。ハンジはジャケットを羽織らず、ベルトも留めず、ラフな服装をしており、いつもは無造作に一つに纏められている髪の毛は今は下ろされていた。普段とは違う雰囲気にナマエの胸が小さくキュンと鳴った。
上官相手に寝転んだままは失礼だと肘をついて上体を起こそうとすると、ハンジの手がナマエの肩を優しく押し返す。
「……っ、」
「そのままで大丈夫。まだ身体が辛いでしょ」
「……申し訳ありません」
「気にしないで。怪我人は寝るのが仕事だろう」
壁外調査後も変わらず温かな笑顔を浮かべるハンジ。壁外調査前と後は兵団内は必ずピリピリとした空気が漂うが、ハンジはそれをあまり感じさせない。
「軽めの全身打撲だってさ。一週間もしたらよくなるって言ってたよ」
「そうなんですね……あの、分隊長。わたしと一緒だった子は……?」
「それなら落馬した時に頭を打って脳震盪を起こしてたみたいだけど、命に別状はないよ」
「そう、ですか……あの時は助けて頂いてありがとうございました」
「あー……うん、そのことなんだけど、」
「?」
その瞬間、今まで笑顔を浮かべていたハンジからスンッと笑顔が消える。ナマエはどうしたのかと不安な瞳で彼女を見つめると、ハンジの綺麗なブラウンの瞳と視線が交わった。
「ナマエ、どうしてゼファーの言うことを聞かなかったの?」
「ッ……それは、」
ゼファーとは、壁外調査中に女兵士が落馬した際ナマエに女兵士のことは諦めろと告げた男兵士である。ゼファーはナマエにとって先輩兵士にあたるので彼女は先輩兵士の命令に背いたことになる。先程とは違って冷たさをも感じさせるハンジの声色にナマエは目を逸らして布団を握った。
「あの時、私たちが来なかったらナマエたちは巨人に喰われていた。先に来たゼファーと合流した時に落馬したカーリャをナマエが助けに行ったと聞いて肝が冷えたよ」
「……申し訳ありません。言い訳をするつもりはないですが、やっぱり生きている仲間を見殺しにするなんて、わたしには出来ませんでした」
「ナマエのその気持ちは痛い程わかるさ。私だって似たような状況を幾度と経験したもの。でも無駄死にするところだったんだよ、君は」
「……っ」
落馬した女兵士──カーリャを助けたい一心だった。けれどこの世は残酷な世界。明日生きるか死ぬかの世界線で仲間を見殺しにしたくないなど生ぬるいことを言っている場合ではないことの方が多いのだ。今回は運良く助けが来たが、次はそう上手くいく保証なんてどこにもない。ハンジが怒る理由もわかるナマエは口を噤んだ。
「命令違反の罰は受けることになるだろう」
「……はい」
「二度と無駄死にしようと思わないことだね」
「ッ、すみません……」
「っと、ここまでは上官としての話で、今からは私個人の話として聞いてほしいんだけど」
そう言うと、ハンジの瞳と声色はまた優しさを取り戻し、彼女の手のひらがナマエの頬をするりと撫ぜる。擽ったくてピクッと顔を震わせると、うっとりと恍惚な笑みを浮かべるハンジと目が合った。
「ナマエ、生きててくれてありがとう」
「え……」
思ってもみなかった言葉にナマエは目をパチパチさせた。ナマエの頬を撫でていたハンジの手はするすると下に下がって布団を握る彼女の手を上からそっと握る。
「もし間に合わなくてナマエが巨人に喰われていたら、私は私でいられた自信がない」
「……」
「ナマエが私のことを好きだって言ってくれた日から、ずっとナマエのことを考えてしまうんだ」
ナマエの手を握るハンジの手にぎゅうっと力が込められる。更に彼女の手はしっとりと湿っていて、そこから普段はあまり他人に見せることのないハンジの不安や焦りが感じられた。
「本当はね、ただの興味本位だったんだ。男と女で成り立つ世界で、女同士の恋ってどんなのだろう。女同士のセックスって気持ちいいのかなぁって」
「……」
「でもあの日の必死なナマエを思い出したら、なんて健気な子なんだろうって。そしたら君のことが可愛くて可愛くて仕方がなくなってさ」
「……」
まるで巨人の研究をしている時のように興奮気味に、でもどこか落ち着きながら話すハンジと黙ったままひたすら話を聞くナマエ。
「きっとこれが人を好きになるってことなんだって気付いたんだ。巨人への興味とはまた違うこの気持ちがすっごくむず痒くて!」
「……」
「だから私は全力でナマエを落としに行くよ」
「ッ……」
「私のことを恋愛対象にさせて、手を繋ぐのも、キスも、セックスも全部ナマエとしたい」
「ッ、ハンジ分隊長、近いです…!」
興奮冷めやらぬハンジはナマエの手を握ったままどんどん顔を近付けていく。寝転んでいるナマエに逃げ場はなく、顔を逸らすも手を握っていない方の手で頬を固定されてしまう。
「逃げないで。そもそも先に告白してきたのはナマエだろう?」
「だって、その時は、分隊長が女性だとは知らなかったから……」
「そんなの言い訳にすらならないって、もう気付いてるんじゃない?」
「え、や、だって、さっきから顔近いし、恥ずかしいし……!」
「言ったよね。ナマエのこと絶対落とすって。私本気だよ?」
好きな人の顔が近くにあるだけでも恥ずかしくてどうにかなってしまいそうなのに、それに加えてハンジは恥ずかしい台詞をすらすらと口にするのでナマエの羞恥心は限界を超えそうだった。最早、全身打撲の痛みなんて感じないくらいに。
「ナマエが私をこうさせたんだから今すぐにでも責任取ってほしいくらいだけど、まだ万全じゃないからね。もう少し我慢するよ」
「……ぁ、」
ハンジはナマエの前髪を掻き分けると、そっと触れるだけのキスを額に落とした。チュ、と小さなリップ音が響いて、それがナマエの体温を更に上げる。満足そうに笑ったハンジはすくっと立ち上がり、握っていた手を離した。
「じゃあね。また会いに来るよ」
「……」
「身体お大事に」
バタン、と扉が閉まり静まり返る室内。扉が閉まる直前、隙間から見えたあの日と同じ勝利を確信したようなハンジの笑みがナマエの目に、脳裏に焼き付いて離れない。一人になった医務室でただボーッと天井を見つめ、熱くなった顔を両手で覆った。