───この世界は残酷だ。
『ど、どうして…?』
ひやり、と背中に冷たい壁が触れる。目の前には鋭く光るナイフを手にしたリヴァイ。彼の瞳はナマエの背中に触れている壁よりも冷たく、恐ろしいものだった。人気のない場所、辺りは暗いそんな場所に2人きり、もう絶望しかなかった。
『………』
『や、やめ、やめて…ッ!』
『………』
『人が人を殺すなんて……お願い、やめて…』
『…ナマエ』
『ッ?!』
低い声がナマエの名を口にし、逃げられないようにリヴァイは距離を詰めた。そしてナイフを握る手に力を込める。
『 愛してる 』
『 リヴァイ…ッ!! 』
血が溢れ、ナマエの視界はブラックアウトした。
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いつもは愛らしいと思えるナマエの瞳は今は恐怖でしかなかった。リヴァイは抱き締めていた腕を解いてほんの少しだけ彼女と距離を取る。
「ッ…」
「だって、リヴァイ兵長がわたしを無理やり抱く時は決まって知られたくない何かがある時でしょ」
そうだよね、と不気味な笑みを浮かべるナマエにリヴァイは否定出来なかった。ハンジと出会ったことをなかったことにしたくて抱いた今日も、巨人や他人に殺されたくない一心で愛しい彼女を自らの手で殺めようと決めた遠いあの日も、無理やり激しく抱くことでナマエに自分の思いを悟らせないようにしていた。それ以外にも前世では壁外調査後に無理やり抱くことが多かった。壁外調査では必ず多くの犠牲者が出る。仲間が死んでいく様を見ていくら人類最強だからと平気なわけがなく、恋人や部下に弱っちい自分を見せたくないリヴァイはナマエを無理やり、何度も激しく抱くことで必死に隠そうとした。ナマエには全てお見通しだったようだけれど。
「……思い出したんだな」
「……」
「あのクソみてぇな世界のことも、お前が死んだ理由も…」
情けなく、震えた声で言えばナマエはただ黙って頷いた。ハンジとの電話でもしもいつかナマエが前世の記憶を取り戻した時は全て自分の口で説明をしよう、彼女に何を言われても罵られても受け入れようと誓ったはずだったのに、唇が震えてしまう程怖かった。だって“もしもいつか”がこんなにも早く訪れるなんて思わなかったから。
「リヴァイはさ、あの日も夢の中でも……何度もわたしのことを殺したよね」
「………」
「少し前にわかってたの。続けて見る夢が虐待の時のことじゃないってこと。じゃあ何なのかって思ってた時にヒストリアやハンジ分隊長と出会って……バラバラのパズルがどんどん出来上がっていく感じで。さっきリヴァイに抱かれて全部思い出した」
つらつらと感情の起伏を感じさせない真顔で話すナマエ。最後のピースを嵌めたのは間違いなくリヴァイだった。
「ねぇ、リヴァイ」
光の宿らない瞳がリヴァイを捕らえる。この世に生まれて初めて味わう恐怖心を何とか押さえ込み、リヴァイもナマエをしっかりと目に映す。
「前世のわたしは、あなたに殺されるくらいそんなに弱っちい存在だった?」
「…は?」
「人と人との争いが大きくなって、大変な時にわたしを殺したんでしょ。あの戦いにわたしは不要な存在だったの?」
真顔から一転、寂しげな切なげな表情で紡がれた言葉。ナマエは何かを勘違いしているようだ。決してリヴァイは彼女がこれからの戦いに邪魔だから、足でまといだから殺した訳ではない。ナマエはリヴァイが調査兵団に入団してすぐに新兵として入団した兵士であり、幾度と死線を生き抜いてきた精鋭、弱い訳がない。他人に殺されて自分が保てなくなることを恐れてまた来世で会えるようにとエゴを重ねて殺したのだ。
「…違ぇよ。お前を殺したのは俺の勝手なエゴだ。今から全て話そう」
いつまでも怯えていたって仕方がない。リヴァイはようやく決意を固めてナマエに全てを話した。身勝手なエゴを掲げて殺害したこと、生まれ変わった平和な世界で愛し合いたいと本気で願っていたこと、生まれ変わっても自分はずっと記憶を持ち更に前世の仲間たち数人と再会していたこと、それをナマエに話さなかった理由、それから彼女の死後世界はどうなったのか。話を聞いている最中のナマエは視線を一切リヴァイから逸らさなかった。
「………そう、だったんだね。リヴァイはずっと記憶を持ってたんだ」
話を終えてやっとナマエの視線は下へと落ちる。様々な思いでいっぱいになっているのだろうか、服の裾をぎゅっと掴んでいる。無理もない───前世では恋人であったリヴァイに殺され、今世では自分を殺した相手と再度恋仲になり増してや相手は前世の記憶を持ちながら一緒に過ごしていたんだから。
「…どうしよう。怒りと悲しさといろんな気持ちとでどうにかなっちゃいそう」
「軽蔑してくれて構わない。罵倒されようが何をされようが、俺は取り返しのつかねぇことをしたんだ」
「そうだね。そんなことした上、今のわたしにナマエなんて名前よく付けれたよね。ほんと……意味わかんない」
気が付けば大量の涙がナマエの頬を伝って床に落ちていた。彼女はそれを拭おうともせずただ服や床を濡らしている。
「ナマエ…」
「わたしだって、あの世界で生きてリヴァイと巨人のいない日を見たかった…!死んでしまったみんなの為に自由を掴んでリヴァイと幸せになりたかった…!」
とうとうナマエは泣き崩れ、床に座り込んだ態勢で顔を覆った。リヴァイは今の自分に彼女を抱き締める資格なんてないと思いながらも放っておくことは出来ずに、小さなナマエの身体を抱き締めた。
「すまない、ナマエ…」
腕の中でまるで幼子のように泣きながら自分勝手だの気持ちを踏み躙っただの喚くナマエを抱き締め、リヴァイは謝り続けた。少し落ち着いたところでリヴァイはナマエの頭をそっと撫でてやる。
「……ナマエ。お前が俺のことを軽蔑しようが嫌いになろうが、俺はお前のことが好きだ。あの世界で幸せにしてやれなかった分、必ずナマエを幸せにする。だがお前が俺と別れた方が幸せだと言うなら、その時は受け入れよう」
リヴァイの言葉を時折鼻を啜りながら聞くナマエ。彼の気持ちに偽りはないとわかる分その言葉はとても悲しくて、切なくて、もどかしいものだった。
「………俺が嫌なら本気で突き放せ。殴ってでも、蹴り倒してでも。でも、ほんの少しでもこの世界で今後も俺といてくれようと思うなら、そのままでいてくれ」
「……っ」
それを聞いたナマエは何の躊躇いも見せずにリヴァイの胸を押して思い切りビンタをお見舞いしてやった。バチンと高い音が響くと同時に抱き締めていた腕が解かれる。リヴァイは痛む頬を押さえる訳でもなく、あんなにも酷いことをしておいてナマエがこれからも自分といることを選ぶ訳がないと諦めたように目を伏せた。自分で選択肢を渡しておきながらこの結果に心臓が締め付けられるがもうナマエとの未来は諦めるしかないと、離れていても彼女の幸せだけは願おうと覚悟をした時。
「…ッ一人でかっこつけんな!!」
「!?」
首に腕が巻き付いて、一度は離れたナマエとの距離がなくなった。油断していたリヴァイはナマエと共にそのまま後ろに倒れ込む形となる。
「…ナマエ?」
「あの世界でもこの世界でも、自分勝手すぎ!わたしの気持ち考えたことあるの!?」
起き上がってリヴァイに馬乗りになる態勢でナマエは彼のシャツの胸元を荒々しく掴んだ。リヴァイが彼女を見上げればまだ潤んだままの瞳に怒りを宿しているのがわかる。
「誰が別れた方が幸せって言った?わたしはまだリヴァイのことが好きなのに…。一度幸せにしてやるって言ったなら、ちゃんとわたしを幸せにしてよ!かっこつけたくせにそんな弱っちい部分見せてくれるなよ!!!」
叫ぶナマエにリヴァイは心がガツンと揺さぶられた気がした。こんな彼女は初めて見ると、リヴァイのグレーの瞳が少しだけ歪んだ。それは涙だなんてきっと気のせいだ。
「…ナマエ、悪かった」
「………」
「もう離したくなんかねぇよ」
リヴァイが倒れ込んだままナマエを抱き寄せると掴まれていた胸元が自由になり、そのか細い腕はまた首に回されてぴったりと身体同士が密着した。表情は見えないが一度は止まった涙が溢れたのか声を押し殺して泣いている。
「ナマエ、愛してる」