誰かのために恋をする



「やあ、リヴァイ。今終わり?」
「………お前か」

仕事を終えたリヴァイは愛しい彼女の待つ我が家へ帰ろうと会社の自動ドアを出たところで、後ろから声を掛けられて振り向いた。声を掛けてきた人物はダークブラウンの髪の毛を無造作に一つに結い上げて眼鏡をかけた中性的な男だった。

「会社出てるし普通に呼んでいいよ」
「何か用か、クソメガネ」
「あ、そう呼んじゃう?」

やっぱりリヴァイはリヴァイだね、だなんておどけて笑う男。その正体は調査兵団に所属し分隊長後に団長を務めたハンジ・ゾエである。彼もあの巨人のいた世界で死後、現世に転生しリヴァイと同じ会社に勤めるサラリーマンだ。リヴァイとは部署は違うが同僚にあたる。

「でもすごいよねぇ」
「…何がだ」
「こうやって転生出来ただけでも奇跡なのに、前世の記憶を持ったままで、リヴァイに至ってはさ!リヴァイとして死んでリヴァイとしてまた生まれたんだろ。奇跡に奇跡が重なって、こんなことあるんだねぇ」

ふん、と鼻息を荒くして語るハンジを他所にリヴァイは迷惑そうに顔を顰めた。けれど実際、こうして今の世の中に生まれ変わることが出来たことだけでも奇跡なのに、前世の記憶を持ち、前世で共に過ごした仲間と出逢えているのは本当に奇跡なんだと思う。リヴァイは再びリヴァイとして生まれたがハンジは外見は同じでも全く別の人物として生まれたのだ。リヴァイは極々稀なケースで運が良かった。会社では今の名前で呼んでいるがこうして2人や他の記憶を持った仲間たちの前では前世の名前で呼び、その当時の関係のまま過ごしている。

「毎回毎回、テメェは落ち着きって言葉を知らねぇのかよ」
「これでも落ち着いてる方だと思うんだけどなぁ」
「どこがだ」

冷静に突っ込みを入れつつ、腕時計で時間を確認すれば18時半過ぎを指していた。ハンジに構っているより早く家に帰りたい、そう思った時再度名前を呼ばれる。

「ねぇ、リヴァイ」
「あ?」
「彼女も生まれ変わって生きてたらいいね」
「………そうだな」
「会いたいとは思わないの?」
「…あいつが幸せならそれでいい」
「何それ、リヴァイらしくない」

ハンジの言う“彼女”が誰を指しているのかわかるリヴァイは質問に答えつつもこれ以上深入りしてくれるな、と怪しまれない程度に若干はぐらかす。するとポツンと冷たい雫が一滴リヴァイの頬に当たったので、まさかと見上げてみれば雨が降って来た。

「チッ、雨か」
「今日晴れの予報だったのにね〜」
「…通り雨だろうな」
「傘持ってないや。走ろう!」

今朝のニュース番組では晴れだとお天気お姉さんがにこやかな営業スマイルで言っていたので2人とも傘は持っていない。徐々に強くなる雨、びしょ濡れになる前にどうにか走って駅に駆け込んだ。

「ちょっとで済んでよかったよ」
「…ああ」

スーツに付いた水滴を手で払う。こんな時に雨だなんて鬱陶しいと今朝のお天気お姉さんを理不尽にも少し恨みながらICカードを取り出したところで、声が掛かった。

「リヴァイ」
「…!」
「え…君は、」

聞き間違えるはずのない声の主。視線をそちらに向けるとやはりそこにいたのは愛しいナマエだった。慌ててハンジを見やるが、彼は戸惑ったようなこの状況を説明しろとでも言いたげな表情をしている。勘が鋭いハンジだから誤魔化したり嘘をついたところですぐにバレてしまうとリヴァイは諦めて舌を打った。それよりも気になるのはナマエがここにいるということ。自宅の最寄り駅からここまでは6駅、ナマエの職場は2駅離れている。本来なら自宅とは反対方向のこの駅に何故いるのか、リヴァイは問うた。

「……どうしてここにいる」
「スマホの天気予報でこの時間から傘マーク付いてたから、リヴァイ傘持ってないだろうなって…一応LINEしたんだけど、」

よくよく見ればナマエの手にはいつもリヴァイが雨の日に使用しているネイビーカラーの傘が握られている。彼女は心配して傘を届けにわざわざ来てくれたのだと理解した。スマホはLINEの通知に気づけないまま鞄に入れてしまったのだろう。有難いと思う反面で彼女の存在すら告げておらず、ずっと避けていたのにハンジとナマエが会ってしまったことが悔やまれる。

「…ナマエ?」
「え、はい…」
「ッ…ハンジだよ。わかるかい!?」
「あの…」
「おい」

ハンジは確実に彼女の正体を知っているが、ナマエは初対面の人に名前を言われて戸惑っている。無理もない────ナマエには前世の記憶がないのだから。

「リヴァイ、ナマエと出会ってたの?さっきはそんなこと一言も言ってなかったじゃないか」
「……」
「どうして何も言ってくれなかったの!?」
「…悪い」
「わっ!?」
「え、ちょっと、リヴァイ!?」

リヴァイはナマエが自分の為に持って来てくれた傘をハンジに押し付け、ナマエの手を引いて駅を飛び出した。そしてロータリーに停まっていたタクシーに乗り込んで、行き先を告げればそのままタクシーは発車する。

「リヴァイ、どうしたの?ハンジさん……置いてきてよかった?」
「………」
「リヴァイ…?」

ナマエの言葉には一切答えず、タクシーの中は無言で過ごした。家の前に着き料金を支払って玄関をくぐる。そしてリヴァイは何かの糸が切れたかのように強く、激しく、ナマエを抱いた。玄関先の冷たいフローリングの上で、場所や格好なんて気にせず、ナマエが恐怖に怯えた瞳をしていても構わずに。

以前にも、同意を得ず無理やり抱いたことがあったなとふと思い出したが気付かぬふりをした。







──────────────
──────────





『もしもし』
「……俺だ」
『うん、ナマエは?』
「今は寝てる」
『そう。話してくれる気になった?』
「………」
『話せるところからでいいよ』

ナマエが気を失うまで激しく抱き続けたリヴァイはようやく落ち着きを取り戻していた。ナマエは何度も何度も求められ達したことで今はベッドの上で眠っている。きちんと身体を拭いてやりパジャマとして使っているラグランTシャツとスウェットパンツを履かせて、無理やり抱いてしまった罪悪感から眠る彼女にたくさんキスを落としてやった。気持ちが落ち着いたところでリヴァイはハンジに電話を掛け、正直に話をしようと決めた。本当は今日のことがなければリヴァイはナマエを前世で共に過ごした仲間たちには会わせず自分の中の箱庭に入れておくつもりだったけれど。

「…お前が思ってる通り、あいつはあのナマエだ。記憶は持っちゃいねぇがな」
『そっか。ナマエは記憶を持たず、思い出しもせずにいるんだね』
「ああ……話せば長くなるが、」

リヴァイは一つずつ、ゆっくりと、ハンジにナマエのことを打ち明けた。別の人物として生まれ変わっていたこと、生まれた先の両親に虐待を受けていたこと、リヴァイと出会って現在は恋仲であること、名前を改名した理由。ハンジはしっかりと相槌を打ちながら聞いていた。

「……とまぁ、そんなところだ」
『…話してくれてありがとう』
「あの状況じゃもう隠すことねぇからな」
『ははっ、まあそうだね』

ハンジの明るい声に、あれだけウザったいと感じていたのに今だけは心地好く感じた。話すことは話したとリヴァイが電話を切ろうと告げようとした時。

「…じゃあな、」
『あ、待ってよリヴァイ』
「何だ」
『一つ聞いていいかい?』
「構わねぇが」
『よかった!あのさ、』

一拍、間が開いてハンジから切り出された言葉は────

『殺した相手との生活は楽しい?』

一瞬、息をすることを忘れた。先程まで心地好いと感じていたハンジの声が一瞬にして絶望に変わる。言い訳もいつも言ってやる皮肉も暴言も、リヴァイの口からは何も出て来なかった。

『全く別の人物として生まれたあの子にナマエって名前を授けて、一緒に暮らしてさ。殺したヤツを相手によくそんなこと出来るなぁって。私と会わせたくないどころか存在も知られたくなかったみたいだけど…それってもしかしてナマエの記憶を取り戻させない為かい?』
「ッ…!」

あくまで明るく振る舞いながら話すハンジだがトーンは一定で、きっと電話の向こう側では笑っていないだろうと安易に想像が出来た。

『エルヴィンやペトラたちにも会わせてないみたいだしね。だって困るもんね、ナマエが記憶取り戻したら!前世でリヴァイに殺されたってわかったらどう思うんだろうねぇ?』
「………黙れよ、」

ようやく絞り出したリヴァイの声は低く、掠れていた。
リヴァイは前世の記憶を思い出す。確かに自分はやめてと涙ながらに訴えるナマエをナイフで刺して殺し、兵士長の立場を利用して事故死として処理をした。エルヴィンもハンジもそう思っていると思い込んでいたが、そうではなく真実を知られてしまっていたらしい。知られているならこれ以上ハンジには隠し通せないとまだ秘めていたリヴァイの中の想いを素直に口にすることにした。

『それで、ナマエを殺した理由は?』
「………どうかしてたんだ、俺は」

ナマエを殺害する十数日前のことだった。ストヘス区でケニー率いる憲兵団にニファや仲間を殺され、リヴァイも相手を数人殺し、街中で激闘を繰り広げた。今までは巨人が相手だったが人間との戦いになり、仲間が殺されていく様を見てリヴァイは思った。いつかナマエが巨人に喰われてしまったら、ナマエが人間に殺されてしまったら、自分は自分を保てるのだろうかと。だったらその前に己の手で殺してしまおう、と。来世でまた会えるようにと自分勝手なエゴを重ねに重ね、リヴァイは恋人のナマエを自ら手に掛けた。

「……今思うと、自分がどれだけのことをしたのかはよくわかる。あの時は混乱もあって狂っちまってたんだ俺は」
『リヴァイも人の子なんだから、そういう気持ちがあるのは仕方ないよ。でも…殺してしまったのは間違ってた』
「わかってる。だから平和な今は、償いも込めて大切なあいつを俺が一生守ってやろうと必死になってんだよ…」

初めて聞くリヴァイの切なげな声にハンジは目を細めた。前世では本当に仲の良いカップルだった人類最強のリヴァイと精鋭班のナマエ。だから殺害現場を目撃してしまったハンジは信じられなかった。結局前世ではその真相を聞く前に死んでしまったけれど。

『さっきは殺した理由を知りたくて意地悪言ったけど、今2人が幸せならそれでいいと思う。でもナマエが記憶を取り戻さない保証はない………もしあの子が記憶を取り戻したら、』
「その時は全て話す。俺の口からな。嫌われようが罵倒されようが……受け入れよう」
『それでこそ人類最強の兵士長だ!』
「…もう兵士じゃねぇよ」
『あは、そうだった!』

普段通りに戻ったハンジと、ずっと張っていた気持ちが少しだけ楽になったリヴァイ。本当はナマエが記憶を取り出してあの日のことを知るのが怖い気持ちがあるが、それは口にはしなかった。全てを話し終え、電話は合図もなくどちらともなく切った。

「………」

通話終了の画面をしばらく眺める。そこには”1時間57分”と通話時間が映し出されていて、2時間近くも話していたことがわかる。体感的にはもう少し長かったような気もするけれど。話のしすぎで喉が乾き、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。それを一気に流し込めば乾いていた喉が潤いを取り戻した。

「リヴァイ」
「……ナマエ」

眠っていたはずのナマエがいつの間にか起きてきて、まだ寝惚けているのか覚束無い足取りでリヴァイの元へ歩み寄る。コップを流し台に置き、小さな彼女の身体をぎゅっと抱き締めた。

「…さっきは悪かった。乱暴にしちまって」
「ううん。でもちょっと腰が痛いかな」

あんなフローリングの上で抱くのは初めてだった。いつもはベッドやソファなどナマエの身体に配慮して柔らかいところでしか抱いたことがなかったのに、先程はタガが外れて場所なんて気にしていなかった。痛いであろう腰を詫びの気持ちを込めてそっと摩ってやると、ナマエはありがとうと告げながらゆっくりリヴァイを見上げた。

「リヴァイ兵長」
「ッ?!」

また呼吸を忘れた。そうして幸せが崩れる音がした。


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