───この世界は残酷だ。
巨人に支配され、人々はその脅威から身を守る為に50メートルもの硬い壁の中での生活を強いられていた。しかし、いつか壁外への自由を求めて自らの心臓をも捧げ巨人と戦う“調査兵団”という組織が存在した。この世界で最も“死”に近い奴らだ。明日生きていられるかもわからない恐怖と戦いながら一分一秒を確かに生きている。
「ど、どうして…?」
ひやり、と背中に冷たい壁が触れる。目の前には鋭く光るナイフを手にした男。彼の瞳はナマエの背中に触れている壁よりも冷たく、恐ろしいものだった。人気のない場所、辺りは暗いそんな場所に2人きり、もう絶望しかなかった。
「………」
「や、やめ、やめて…ッ!」
「………」
「人が人を殺すなんて……お願い、やめて…」
「…ナマエ」
「ッ?!」
低い声がナマエの名を口にし、逃げられないように男は距離を詰めた。そしてナイフを握る手に力を込める。
「 愛してる 」
「リ──── 」
血が溢れ、ナマエの視界はブラックアウトした。
───────────
────────
「……ッ!!」
パチ、と目を開くと爽やかなグリーンのカーテンの隙間から朝日が射し込んでいた。ナマエはデジタル時計で時間を確認すると額の汗を腕で拭った。すると扉が静かに開いた。
「ナマエ?」
「…リヴァイ」
「魘されていたようだが」
「悪い夢を見たみたい…」
「最近多いな」
「…うん。でも内容はもう覚えてないの」
視線を下に落とし、夢の内容を思い返すが嫌な夢だった割にほとんど思い出せない。頭に残っているのは“殺される”ということだけ。ここ最近同じような夢を見ることが増えたのだが起きれば忘れてしまう為、特に気にしないでいたが起きた直後はやはり気持ちの良いものではない。
「覚えてねぇことに越したことはないが、何年経っても昔の記憶は消えねぇもんだな」
「………」
「飲め」
「…ありがとう」
「朝飯、作ってやるから待ってろ」
リヴァイは水の入ったコップを渡すとキッチンへと向かった。渡されたぐいっと飲めば冷たい水が火照った身体を冷ましていく。ナマエは飲み干して一息ついてから空になったコップを両手で握り締めた。
「……」
リヴァイの言う“昔の記憶”とは、ナマエが小さな頃の話。当時僅か6歳だった彼女は親に虐待され殺されかける寸前で命からがら逃げ出し、児童養護施設に保護されて生きてきた。両親は自分たちの子どもを返せ、と何度か施設にやって来たが何年にも渡る酷い身体的虐待、ネグレクトからナマエの身柄を当然彼らに引き渡すことはせず両親は後に逮捕された。ナマエは高校卒業と同時に施設を去り、フリーターとして昼はカフェ、夜は居酒屋に勤務しており、リヴァイがたまたま居酒屋に訪れたことが2人の出会いのきっかけだった。当時19歳のナマエは9つ上のリヴァイの魅力に惹かれそこからはトントン拍子でことが進み恋人関係に至ったのである。深い仲になってから1年が経った頃、虐待された親に付けられた名前が嫌だという彼女にリヴァイが新たに現在の“ナマエ”という名を授け、正式な改名まで行った。
今年で2人が出会って3年。ナマエは22歳、リヴァイは31歳になり、つい一月前に同棲を始めたのだ。
「出来たぞ………って、ナマエ?」
「…あ!ぼーっとしてた。今行くね」
昔の記憶を思い返していたナマエは我に返ると慌ててベッドを降りてリビングに向かう。ダイニングテーブルには美味しそうに香りを立てるフレンチトーストとサラダ、紅茶が置かれていた。
「…わ、美味しそう」
「さっさと食うぞ」
「うん」
席に着いて挨拶をした後紅茶に小さめの角砂糖3つを放り込み、フレンチトーストを口に頬張った。甘くて少し焦げ臭くて、でもとても美味しいそれにナマエは思わず唸った。
「ん〜〜〜!美味しい!」
「そりゃあ良かった」
「リヴァイは本当に料理が上手ね」
「これくらい普通だろ」
「そんなことない。お金取れちゃうよ」
目を輝かせて頬張るナマエにリヴァイはふ、と小さく笑みを零した。
「ふふ、リヴァイの彼女で良かった」
「俺はお前の料理人じゃねぇぞ」
「料理が上手なところも、怖そうなのに実は優しいところも、ぜーんぶ引っ括めて良かったってことだよ」
恥ずかしげもなく伝えられた言葉にリヴァイはフレンチトーストを刺したままのフォークを置き、椅子から立ち上がると目の前に座るナマエの胸ぐらを少し乱暴に掴んで引き寄せてキスをする。朝からするにしては濃厚なキスにナマエはドキドキ胸を鳴らしながらもそれを堪能するとメイプルシロップの甘い味がお互いの口内に広がった。
「ぷぁ…!」
「…あんまりかわいいこと言うな。朝から持たねぇだろうが」
「ほんとのこと言っただけじゃない………リヴァイ盛りすぎ」
「うっせぇよ。煽ったのはナマエだからな。今夜は覚悟しとけ」
「んむッ?!」
リヴァイは先程置いたフレンチトーストをナマエの口に半ば無理やりねじ込むと仕事用の鞄を持ち、玄関へ向かう。フレンチトーストを急いで咀嚼しながら慌ててその後を追い、リヴァイの腕を軽く引いた。
「リヴァイ…!」
「………」
「行ってらっしゃい、気をつけてね?」
「ああ」
「…!」
見送りだけは毎日欠かさずに行っている。そうしないと何だか気持ちが入らない気がして。ナマエからの挨拶に短く返事をすると、リヴァイはするっと彼女の頬を撫でて顔を近付ける。またキスされるとナマエはぎゅっと目を閉じてその時を待つ。しかし───
「んん?!」
待っていたキスは降って来ず、変わりにウェットティッシュで唇を乱暴に擦られた。何事かと目を開けるとニヤニヤと面白げに笑うリヴァイと目が合った。
「唇、シロップ塗れだぞ」
「〜〜ッッ!!!」
「キスされると思ったか?」
「元はと言えばリヴァイのせいじゃない!」
「知らねぇな」
「バカ!リヴァイの大バカ!!」
「そんなに怒るな。続きは夜にしてやるよ」
とん、と怒るナマエの唇に人差し指で軽く触れるとリヴァイはすぐに仕事へ向かった。バタンと無造作に閉まった扉の前で立ち尽くすナマエは唇に僅かに残る熱にそっと指先で触れ、リヴァイとのキスを思い出す。
「……ほんと、リヴァイのバーカ」
年上である彼の言動は読めないことが多々ある。付き合って3年弱になるがそれでもまだリヴァイの知らない部分はたくさんあるような気がした。知っているのは年齢と誕生日、酒に強いこと、ドイツと日本のハーフであること、それから大手企業に勤めていて、目付きが悪く怖そうな外見をしているが本当は優しい性格の持ち主だということ。
「もっと知りたい…」
人からの愛情をきちんと受けずに育ったナマエは彼のことをあまり知らなくても“好き”という恋愛感情だけでやっていけると思っていた。けれど実際に付き合うと相手のことをもっと知りたいと最近になって思うようになり、自分の貪欲さに薄ら笑う。
「……わたしも仕事行こっと」
ナマエは夜に彼とたくさん話そうと決意し、空っぽになった食器類を洗って仕事へ向かう支度を進める。以前は昼はカフェ、夜は居酒屋と掛け持ちで仕事をしていたがリヴァイからの強い願いで居酒屋を辞め朝から夕方までのカフェ勤務に変更している。
「行ってきます」
支度が終われば2人の愛の巣に挨拶をし、軽い足取りで職場へと向かった。