砂糖菓子より甘い月夜



出会いは、エルヴィンに連れられてやって来た酒場だった。

山積みだった仕事も一段落し、たまには外に飲みに行こうと珍しくエルヴィンからの誘いだった。リヴァイは正直面倒くさいと思いながらもここのところ書類の山ばかりを相手にしていた為、気分転換にと付き合うことにした。ラフな服装に着替えて本部を後にする。
その店は市民街の大通りとは少し外れた裏道を通った先にある。そこは広くもなければ狭くもない感じだが酒の種類も豊富で、真ん中には何やらお立ち台のような少し広めのスペースがあった。通された座席はそのステージのすぐ近くだった。酒と適当なつまみを頼んだところでリヴァイが口を開く。

「ここへは初めて来るのか」
「ああ。憲兵の方で噂を聞いたんでね」
「ほう…」

清潔感の漂う店内に悪くないと心の中で評価していると注文していた酒が届いた。早速グラスを持ちカチンと合わせて口をつける。疲れた身体に酒が沁みた。

「噂では綺麗な踊り子がいるそうだ」
「踊り子?」
「酒を飲みながら綺麗な娘を見れるのが、ここの酒場の売りらしい」

エルヴィンからの情報にリヴァイがステージに目をやると、そのタイミングで拍手や口笛が鳴り始めた。そちらへ視線を移すと綺麗な衣装に身を包んだ少女がステージへと向かっていく最中だった。少女はステージへと登ると一礼し、偶然かリヴァイらが座る座席の方へ顔を向けた。

「……!」

その少女はとても可憐で、かわいらしかった。思わず見とれるリヴァイは酒が入ったグラスを握り締める。中でカランと氷が崩れる音がした。

「こんばんは、皆さん。ナマエです。今日も楽しんで行ってくださいね」

ナマエと名乗った少女が微笑んだ後ポーズを構えると同時に音楽が流れ始める。薄暗い店内をよく見回せば四方に楽器を奏でる奏者がいることに気づく。あくまで楽器はサブでメインは踊り子らしい。ナマエは音楽に合わせてしなやかな踊りを披露する。白い肌、束ねられた長い髪、薄ピンクの唇、華奢な身体───その全てがリヴァイを魅了した。

「素敵な舞いだな」
「………」
「リヴァイ?」
「あ、ああ。悪くねぇ」
「ふ……そうか」

エルヴィンが話しているというのに、彼の方には目もくれずステージで踊り続けるナマエに釘付けになるリヴァイ。エルヴィンは意味ありげに含み笑いし、届いたつまみを口へ運んだ。

どれ程、見入っていたかはわからないがナマエは一礼をするとステージから降りて客に手を振りながら裏方へ向かって行く。その際にリヴァイと一瞬だけ目が合ったような気がした。やがて姿が見えなくなり、ようやくリヴァイの目線がグラスに戻る。大きかった氷も半分程度に小さくなっていた。

「少女が気に入ったのか?」
「別に」
「その割には食事が進んでいないが」
「うるせぇな。悪くねぇと思っただけだ」

心臓が締め付けられるような感覚を覚えながらもエルヴィンにからかわれることが面白くないリヴァイはそれを知らないふりをし、少し水臭くなった酒をぐいっと飲んだ。

「(…ナマエか、)」

その日はもうナマエの姿を見ることは叶わなかったが、リヴァイは彼女の綺麗すぎる踊りを忘れることが出来ずにその後も忙しい合間を縫ってはこの酒場へ訪れるようになっていた。日によっては座席はバラバラであったがそれでもナマエの姿を見ることが出来るだけでよかった。身に纏う衣装も日替わりらしく、露出が多い衣装の日もある。何度通っても話すことは叶わずリヴァイの心はうずうずと見ているだけの名すらない関係に飽き始めていた。

リヴァイが酒場へ通い始めてひと月経った頃。今日もまたナマエの踊る姿を見に行こうと酒場に向かっていた途中、曲がり角で急に飛び出してきた女とぶつかった。

「す、すみません…!」
「おい、気を付け…ろ……」

不機嫌そうに睨み付けて相手の顔を見れば、そこにはいつも届きそうで届かない距離にいるナマエがいた。見間違えるはずもない、何度も何度も見て来たのだから。リヴァイの目が一気に見開かれた。

「ナマエ…?」
「どうして、わたしの名前を…?」

自分の名前を発せられたことで驚くナマエだったが、後ろから聞こえてきた声にびくりと肩を震わせた。そちらに目を向ければ柄の悪そうな男2人組が立っていた。

「ナマエちゃん、逃げてんじゃねぇよ〜」
「い、いい加減にしてくださいってば…!」
「ケチだなぁ。いいじゃんちょっとくらい。俺らと遊ぼうぜ?」
「ほんとに嫌だって言ってるじゃないですか!め…迷惑、です!」

話の内容からするとナマエがこの男らに追われているのは間違いないだろう。リヴァイはそれに苛立ちを覚え、ナマエを守るように背後にやり男たちの前に立ちはだかり、睨みつける。

「あ?なんだ、チビ」
「こいつが嫌がってんのがわかんねぇのか」
「テメェには関係ないだろ」
「痛い目みたくなけりゃさっさと退きな」
「断る」
「なっ…!?」

リヴァイは片方の男に組手を仕掛け地面に押し付けてやる。突然のことに対応しきれなかった男は呆気なく彼の手によって倒れる形となった。残された男は反撃しようとするが、リヴァイにそんなチンケな技が効くわけもなく、投げ飛ばされる形となり地面に転がった。

「逃げるぞ!」
「あっ…」

すぐに立ち上がれない男たちをいいことに、ナマエの手を引いてリヴァイは走り出した。しばらく走り続けて、あの酒場からも少し遠くへ来てしまった。彼女の手を離して足を止めると後ろで息を切らす声が聞こえる。

「ハァ、ハァ……」
「急に悪かったな」
「いえ……助けてくださって、ありがとうございました」

息を整えながら笑うナマエ。ひと月の間も話してみたいと願い続けたのに初めて交わした会話がこんなものかと、リヴァイは嬉しいような残念なようなそんな気になる。

「あ、あの……」
「なんだ」
「さっきは、どうしてわたしの名前を?」
「…ああ」

そう言えば思わぬ神の巡り合わせに驚きすぎて無意識に近い形で名前を呼んでしまっていたことを思い出す。リヴァイは何も隠さず正直に話すことにした。

「酒場でお前の踊りを見たことがある」
「あ、そうでしたか」
「お前はどうして追われてた?」

今度はリヴァイが質問すればナマエは困ったように笑ってゆっくりと答えた。

「仕事柄なのかはわからないんですが、わたしの踊りを見て言い寄ってくるお客さんがいて。好きでこの仕事をしてますけど、やっぱり仕事は仕事だし……その、お付き合いとかしたことなくて、わからないし……さっきの男の人はいつもしつこくて。困ったものです…」

ぽつ、ぽつと零されるナマエの言葉。リヴァイは相槌を打つわけでもなくただ黙って聞いた。心の底から黒いモヤのような正体のわからない感情が芽吹いたのがわかった。

「すみません、聞いてもらっちゃって」
「いや、構わん」
「そういえば貴方のお名前は?」
「…リヴァイ、だ」

名を告げればナマエは笑ってリヴァイさん、と呼んだ。たったそれだけのことなのに先程の黒い感情が一気に浄化されていく。

「わたし、今日はお休みをいただいてるんです。なのでもしリヴァイさんさえ良ければ、助けてくださったお礼をさせてくれませんか?」

そう申し出てくるナマエに断ろうなんて考えもせず、リヴァイはイエスと答えた。あんなに焦がれていた少女が今目の前にいて会話をしていることが奇跡だと。

「(この歳にもなって、情けねぇ)」

今までまともな恋愛をしてこなかったリヴァイにとって初めて芽吹いた純情な恋愛感情。それを理解するのに時間はかかったが、今ナマエの姿を見て確信した。自分は彼女に恋をしたのだと。

「この道を真っ直ぐ行ったところにオススメのお店があるんですよ。リヴァイさんもきっと気に入ります」
「………」
「リヴァイさん?」
「あ、ああ。悪い」
「お疲れなんですね」

くすくすと小動物のように笑うナマエにリヴァイは急に恥ずかしくなってそっぽを向いた。けれど、やっと手にした彼女との2人きりの時間を目一杯楽しもうと思った。


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