壁外調査後の混乱も落ち着き、兵士らは今日も今日とてそれぞれに与えられた職務を全うする。
ナマエはと言うと、リヴァイが用意した少し広めの部屋で娘のリィシャを抱いて外を眺めていた。生後2ヶ月とちょっとでまだ首も座っていないリィシャは自分の拳を吸うのに夢中になっている。
「綺麗な青空…」
ぽつりと呟いた言葉はすぐに消えた。ナマエは子育てに勤しんでおり、外に出る機会がめっきりと減ってしまった。リヴァイも手伝ってくれているが、仕事でいないことの方が多い。大変な分、毎日が光のような速さで過ぎているせいか、元々シンプルで物の数も少なかった部屋が心做しか以前よりも更に質素に思えてきた。
「いい天気だよ。少しお外に出てみようか」
リィシャに視線を移して語り掛けるがもちろん返事はない。けれど返事の代わりに拳を吸う音が聞こえる。ナマエは娘にタオルケット1枚巻くと抱いたまま部屋を出て外へと向かう。幼子は珍しいのか建物内ですれ違う兵士たちに声を掛けられたりすることが増えた。でもそうやって声を掛けてくれることはやっぱり嬉しくて、ついつい何度も足を止めて立ち話をしてしまった。
ナマエとリィシャが建物の外に出たのは、部屋を出てから15分後のことだった。気温も暑すぎず、爽やかな風が吹いている為絶好の外気浴日和だ。
「気持ちいいねぇ」
リィシャも風に頬を撫でられて気持ち良さそうにうっとりとしている。ふと顔を上げると少し遠くの方に見慣れた小柄な人物が歩いているのを見つけた。言わずもがな、それはリヴァイで、周りには彼の班員であるエルド、オルオ、ペトラ、グンタがいる。今日の掃除は終わった頃だろうかと考えていると、偶然こちらに気がついたペトラが大きく手を振った。わりと彼らとは離れているがここは兵団の敷地内であり、兵団服を着ていない為に目立ったのだろう。
「ペトラだ…!」
同期であるペトラとも最近は会えたとしてもなかなか落ち着いて話をすることがなかった為嬉しくなり、リィシャを抱いている手で振り返せば周囲のエルドたちも手を振ってくれた。するとリヴァイが班員たちに何かを告げるとこちらに向かって歩いて来る。班員は今まで進行していた方向とは逆に向き直り、足早に去って行った。
「リヴァイさん!」
「こんなところで何をしてる」
いつの日か、まだリィシャが産まれる前にもこんなやり取りをしたことを思い出してくすくすと笑えば、リヴァイの眉間にシワが増えた。
「ごめんなさい。外が気持ち良さそうだったから少し外気浴を」
「……まぁ、ずっと室内じゃお前もこいつも気が滅入るだろうしな」
「うん。あと少ししたら、部屋に戻ろうと思ってます」
「俺も少しなら時間を取れる。一緒にいよう。ちょうどいいしな」
「…? 嬉しいです」
ちょうどいい、という言葉を不思議に思いながらも笑えば、リヴァイはこっちへ来いと目配せして近くにあったベンチへ座るよう促した。ナマエが座ったのを見て、彼も隣に腰を下ろした。兵士長であるリヴァイは忙しく、壁外調査の処理等が落ち着いた今でもやらなければならない仕事は山ほどある。そんな中で少しでも時間を見つけてはこうして家族3人での時間を取ろうとしてくれる。ナマエはそれが嬉しくてリヴァイの肩にそっと頭を預けた。
「……ナマエ」
「はい」
「お前に言わなきゃならねぇことがある」
「……?」
ナマエは預けた頭を元に戻してリヴァイを見るが彼の視線は真っ直ぐに向けられたまま。そんな前置きをして一体次にどんな言葉が出てくるのか、不安な気持ちになり思わず問うてしまった。
「……嬉しくない、報せですか?」
「………」
「…リヴァイ、さん?」
ここでようやく2人の視線が交差する。リヴァイの表情や言いたいことが読めずにみるみる不安が膨らんでいく。ナマエの不安の色を感じたリヴァイはそっと頬を撫でてやった。
「……俺たちの、新居が出来た」
「え…!?」
思ってもみなかった報せにナマエは鳩が豆鉄砲をくらったような表情になる。てっきりリヴァイの言い方や表情からしてあまり良くない報せかもしれない、と思っていたから拍子抜けしてしまった。
「し、新居……なんて、いつの間に…?」
「新しい部屋を用意してすぐくらいか」
「えっ、そんな……わたし…」
「場所は本部のすぐ側だがな。荷物の移動はエルドたちに手伝ってもらうよう言ってある」
淡々と進められる話にナマエは着いていけず言葉が上手く紡げない。新居だなんて、そんな話はおろかリヴァイは素振りさえ見せてくれなかったとおろおろする彼女を見て彼は表情を少し緩めた。部屋が質素に感じたのも少しずつ完成した新居へ荷物を移動していたから。リィシャはと言うと今日はまだ眠気が来ないのか腕の中で相変わらず拳を吸っていた。
「最近、部屋が質素というか、寂しいなって思ってたのは……勘違いじゃなかったんですね…?」
「ああ。いつも頑張ってるお前を喜ばせてやりたくてな。黙ってた」
「もう……ずるいです。わたしばっかり、驚かされて…!」
今の部屋を用意してくれた時も、指輪を嵌めてくれた時も、と不満そうにぷくっと頬を膨らませて見せればリヴァイはすまないと一言言ってナマエの唇にそっとキスをした。そうすれば彼女の機嫌が直ることを知っているから。しかし今日は唇を離した後もナマエの表情は晴れぬままで。
「…ッ、」
「仕事仕事で、全然手伝えてねぇんだ。これくらいは俺にさせてくれ」
「リヴァイさんがお仕事頑張ってるんだから、わたしが家事育児を頑張るのは当たり前です」
「それでも両立は大変だろう。痛い思いして産んで傷もまだ治ってねぇのに無理するな」
「大変ではあるけど……リヴァイさんだってこうして時間を作ってくれたり、手伝ってくれたりするじゃないですか。わたしは、それで十分なのに。3人でいれたらそれでいい。多くは望みません」
「ああもう。うるせー口だな」
「んんッ!?」
普段と違って珍しく折れずに自分の気持ちをぶつけてくるナマエに痺れを切らし、リヴァイは噛み付くようにキスをした。間にいるリィシャが押し潰れないように顔だけを近づけて。ここが外だということを忘れて大胆すぎるキスを交わす2人は遠目から見ている兵士なんかには最早気づけない。
「ぷぁ…ッ!」
「はッ……どうせお前のことだ。多くを望んで手に入れると失う時が怖いって言うんだろう」
「…は、はッ………リヴァイさんは、何でもお見通し…ですね。適わないや」
「あ?俺がどれだけお前のことを見てきてると思ってる」
「……そう、ですね」
今までも、そうやってリヴァイに救われてきた。リィシャを身ごもった時も、マタニティブルーに陥った時も。いつでもリヴァイがナマエに手を伸ばし、抱き締め、包み込んでくれた。
「一人で気張るのも悪くねぇが、俺はリィシャの父親であると共にナマエの夫だろう。俺も一緒に気張る理由がある」
こつん、と額をくっつけて告げられた言葉。無愛想であるがリヴァイはナマエが望む言葉を与えてやれる。笑ってこそいないが優しさを含んだ声色はナマエとリィシャの耳、心にしっかりと溶けていく。
「……うん。ありがとうございます」
「俺の方こそ、いつもありがとうな」
リヴァイがふっと一瞬だけ零した笑みをナマエは見逃さずに、己も笑う。ナマエはリヴァイの隣で、リィシャと共に3人で生きていたいと願った。
「……元々、荷物はあまりない部屋だ。今日中には作業も終わるだろうよ」
「みんな仕事があるのに…手伝ってもらって、ちょっと申し訳ないな」
「エルドたちはともかく、ハンジは当然だな」
リヴァイの言葉にハンジはまた彼に対して何かをやらかしたのか、とナマエは思わず苦笑を零す。2人のことなのにたくさんの仲間が手伝ってくれていることは素直に嬉しいと感じた。
「今からはとりあえず俺の執務室にいろ。今夜仕事が終わったら、一緒に向かおう」
「はい」
「執務室まで送る」
「…ふふ、お願いします」
ベンチから立ち上がるとリヴァイは自然な流れでナマエの腰に手を置いた。そろそろ眠たくなってきたリィシャがふにゃふにゃと言い出したので、少しだけ踏み出す足を早めて執務室に向かった。
そして夜。兵団本部を出てすぐのところに完成していた新居を見てナマエは感極まって泣くこととなる。