それは次の壁外調査に向けて、調査兵団の団長であるエルヴィンを筆頭に分隊長以上の上官らが集まる会議の最中だった。ドタドタと騒がしい足音が聞こえたかと思うと会議室の扉がノックもなしに勢い良く開かれたのだ。そこには息を切らした男性兵士がいた。
「おい、今は会議中だろうが」
リヴァイは不機嫌そうに眉間にシワを作り、会議の資料を机に投げ捨てて言う。男性兵士はろくに息を整えないまま口を動かした。
「ッ、はッ、申し訳、ございません…!でも緊急事態です!ナマエさんが…ッ!!」
「ナマエ…?一体あいつがどうした!」
ナマエの名前を聞いた瞬間、リヴァイは席を立ち上がり素早い動きで男性兵士に詰め寄った。後ろでちょっと落ち着きなよ、と宥めるハンジの声は彼には届いていない。
「お腹が痛い、と……それで、とりあえず馬車を…!」
「チッ……おい、エルヴィン」
「ああ、行け」
「悪いな」
行くな、と言われてもリヴァイは聞かないだろう。エルヴィンも状況を理解し、一言残して走っていく彼の背中を見送った。
リヴァイが会議室を出た頃には既にナマエを乗せた馬車は出発した後だった。きっと誰かが同乗してくれているのだろう。リヴァイは自分の愛馬に跨り、馬車を追った。
「ナマエ、大丈夫?今着いたからね!」
「は、ッ、ぁ……はッ…!」
陣痛のせいでまともに歩けないでいるナマエに寄り添うのはペトラだった。建物の中からは年配の助産婦らが飛び出てきて、彼女を担架へ乗せて中へと誘導してくれた。
「大丈夫だからね、ゆっくり息を吸って吐いてごらん」
「ぁ、はッ……ふ、ふぅ…ッ」
ナマエはそのまま部屋の中へと消えていく。ペトラは無事に子どもが産まれてきてくれることを願うのみだ。
それから十数分後にリヴァイが到着した。彼の姿を見たペトラは涙目になりながら振り返る。
「ペトラ」
「兵長…!」
「ナマエは?」
「今、中に…!」
リヴァイが分娩室の扉を叩くと中から若い助産婦が出てきた。事情を話すと旦那さんはこちらへ、とキャップや手袋を手渡されて中へ誘導される。部屋の中では分娩台の上で苦しそうに息をするナマエの姿が。髪の毛は汗で額に張り付き、相当な痛みから歯を食いしばっている。
「ナマエ!!」
リヴァイはナマエの右手を取ると、力強く握る。言葉で返事は出来ないものの彼女の手にも力が込められたのがわかった。
「頭出てきてますよ!もっと力める?」
「はッ、はぁッ、あ…はッ、ふ、はッ…!」
「そうそう。呼吸はゆっくりね」
助産婦の声にナマエは更に力む。リヴァイはただ彼女の手を握って待つしか出来ないことにもどかしさを覚えたが、今はそれしか出来ることがない。リヴァイはナマエの名前を何度も呼んだ。どれくらいそうしていたかはわからないくらい。そして───
「おぎゃあああ!!!」
元気な産声と共に取り上げられたリヴァイとナマエの子ども。ナマエは薄らと開いた目でそれを確認すると力なく笑った。
「おめでとうございます、元気な女の子ですよ!」
「おんな、の、こ……」
タオルに包まれた我が子を見てナマエは安心したように笑顔を零す。人差し指で小さな頬に触れればふにふにと柔らかな感触。
「ナマエ、よく頑張ったな」
「…ん」
「女、か……」
リヴァイもやっと会えた我が子に嬉しさが止まらず、思わず口元が緩む。我が子に会えたことも嬉しいが何よりも命懸けで出産してくれたナマエが愛おしくてたまらず、もう片方の手のひらで頬を撫でた。
「リヴァイさん……名前、ずっと考えてたんですけど」
繋いでいる手はそのままに、ナマエはリヴァイを見て言葉を紡いだ。
「わたし、どうしてもあなたの"リヴァイ"から一文字取りたくて……この子の名前、"リィシャ"なんて、どうですか?」
「"リィシャ"………悪くねぇ。リィシャか…」
提案された名前にやっと父親になれたんだと実感が湧いてきたリヴァイ。ナマエが想いを込めて付けてくれた名を数回オウム返しのように呟いた。
分娩室から先に出てきたリヴァイを待っていたのはペトラだけでなく、エルヴィンとハンジもだった。会議を中断して駆け付けてくれたのだろう。
「兵長!」
「リヴァイ、無事に産まれたか?」
「…ああ。女だ」
「や、やったぁああ!!おめでとう!!!」
「おめでとう」
「おめでとうございます…!」
「……ありがとうな」
仲間たちからの温かい祝福を受け、リヴァイは表情こそ変えないもののどこか嬉しそうにお礼を告げた。
*
あれから幾日が経った。調査兵団内は次回の壁外調査があと8日に迫っている中、緊張やピリピリ感があるがそれとは違った雰囲気もあった。特にハンジは落ち着いていられないのか、先程から部屋の中を行ったり来たりと忙しない。
「分隊長、落ち着いてくださいよ」
「この状況で落ち着いていられる!?無理だよね!!」
「ハンジらしいな」
「予定ではもうそろそろのはず…」
一向に落ち着かないハンジをモブリットが宥めるが、依然としてハンジは歩みを止めない。その様子をエルヴィンやミケたちは口元を緩めて笑った。
すると控え目に扉をノックする音が聞こえて、エルヴィンが返事をした。開いた扉の先には───
「ただいま戻りました」
兵団服ではないラフな服装のリヴァイと、赤子を抱いたナマエの姿が。そう今日はナマエと子どもが退院する日でリヴァイはそれを迎えに行っていたのだ。
「ナマエ!おかえり!!」
「リヴァイにナマエ、待っていたよ」
2人を囲うようにして仲間たちが周りに集まって、子どもの顔を覗く。ぐっすりと眠っているようで目はぴったりと閉じられているが時折、口をもぐもぐさせるように動かしている。そんな仕草が何とも愛らしい。
「はぁあ〜、かっわいいなぁ!」
「黙れクソメガネ。ガキが起きちまうだろうが」
「出た〜!リヴァイの親バカ!」
「…削ぐぞ」
「まあまあ。落ち着け」
子どものようなやり取りをしているハンジとリヴァイを宥めるエルヴィン。何年経っても変わらない関係だと知っているミケやナマエは小さく笑った。
「名前は…?」
「えっとね、リィシャって言います」
「いい名だな」
「由来とかあるの?」
ミケの質問に対してナマエが少し照れ臭そうに答えて、リィシャの額を優しく撫でる。純粋に由来が気になったハンジが今度質問すると、ナマエは更に照れながらも答えた。
「……どうしても、リヴァイさんの名前から一文字入れたくて。リヴァイさんのように仲間想いで、優しくありながら強く生きていけるように、と想いを込めて、名付けました」
「ほう……」
「リヴァイみたく、目付きや口が悪くならないように願うばかりだよ」
あはは、と部屋に笑い声が響く。リヴァイも表情には出さないが内心は仲間たちに囲まれて嫌な気持ちではないはずだ。
「リヴァイ、ナマエとリィシャを……幸せにするんだぞ」
「言われなくたってわかってる。こいつらを守るのは俺の役目だからな」
そう言ってリヴァイはリィシャを抱くナマエごと肩を抱き寄せて、自信ありげに笑った。