「…あら」
「よ、ナマエ姉サン」
下町の兄貴として慕われているユーリ・ローウェルと同じく下町出身のナマエ。偶然ナマエが買い物を終えて帰宅途中にばったり出会った。ギルド『凛々の明星』として世界中を駆け巡っているユーリとは実に3ヶ月ぶりだ。同じ下町で姉弟のように育ってきた為姉さんと呼ばれ慣れていないナマエは違和感から全身がぶわっと寒気に襲われる。
「その呼び方やめて。鳥肌立つわ」
「酷ぇ言い種だな」
「久しぶりね。ギルドの仕事は?」
「終わらせて一旦帰って来た」
「へぇ、お疲れ様」
「ん、サンキュ」
労うように言えばユーリは目を細めてニッと笑って見せた。その笑顔が久しぶりに見る自分より2歳下の幼馴染みをかっこよく見せてナマエは思わず目を逸らした。
「…あんまり無理しちゃだめよ」
「何、心配してくれてんの?」
「べっ…別にそんなんじゃないから」
「素直じゃねぇなぁ、ナマエ姉さんは」
「だから姉さんはやめてってば」
「悪い悪い」
「全然反省してないじゃない」
姉さんと呼ばれるのはやっぱり恥ずかしくてむず痒いけれど、こんな風なやり取りをするのは久しぶりだと言うこともあり懐かしくなる。ナマエは実はこういう風にユーリとやり取りは嫌いじゃないと心の中で天邪鬼が呟いた。しばらく他愛もない談笑を続けていると犬の鳴き声とかわいらしい声が聞こえた。
「ワンッ!」
「ラピード、待ってください!」
「お前、どこ行ってたんだよ」
「ワフー」
「ユーリ、帰ってたんですね」
「おう、久々にな」
「私も昨日ハルルから帰ってきたところなんです。タイミング良く会えて良かったです!」
2つの声の正体はユーリの相棒であるラピードと、その隣には帝都ザーフィアスの皇女でありながらかつてユーリらの旅に同行していたエステリーゼだった。エステリーゼはユーリの顔を覗き込むようにして嬉しそうな表情をしている。
「ギルド、評判いいって風の噂で聞きましたけど無理してないです?」
「してねぇよ」
「それならいいですけど」
本当に他愛もない話をしているだけのはずなのに黒とピンクの2人がすごく似合っていて綺麗な絵になって、ナマエは疎外感を感じると同時に心の奥底から醜い何かが溢れるような、自分が自分じゃいられなくなってしまうような、そんな感じがしていたたまれなくなりぎゅっと拳を握った。
「あの、ユーリ、こちらの方は?」
「あぁ…ナマエだよ。俺の知り合い」
「はじめまして、エステリーゼ様」
「あなたがナマエさんだったんですね」
ユーリからお話はかねがね聞いています、とエステリーゼはにっこりと笑ってナマエの手を握った。しかし笑顔の彼女とは反対にナマエはユーリの放った『知り合い』という自分たちの関係性が何故か切なくて、取り繕うような無理やりな笑顔しか浮かべることが出来なかった。
「あ!これからみんなでお茶しませんか?美味しいケーキもあるんです」
「おー、いいんじゃねぇの。俺も久しぶりにこっちでゆっくり出来るし」
「ナマエさんも一緒にどうでしょう?私、もっとお話してみたいです!」
「…っ申し訳ないですが、用事がありますので…わたしはこれで失礼します」
ナマエは頭を下げて断りを入れると足早にその場を去った。ちゃんと笑えていただろうかなんて気にする余裕もなく、ただ早く一人きりになりたいという思いで家に向かった。
「…何やってんだろ」
買った食材が入っている紙袋をその辺に投げるように置いてベッドに沈む。柔らかいマットレスがナマエの身体を受け止めてくれるが無機質の冷たいそれは先程の出来事を嫌でも思い出させた。今まで弟として、幼馴染みとして接して来たがいつの間にかユーリに恋していたことに気付いたナマエ。けれど既にエステリーゼが隣にいるなら身を引かざるを得ないが、そう考えれば考える程ズキンと心が痛んだ。
「胸が、痛いよ…」
「どっか悪いのか?」
「!?」
独り言に返って来た返事に驚いて、上体を上げればそこには窓枠に腰掛けたユーリがいた。嬉しいと思う反面でどうやって窓を開けたのか、どうしてドアではなく窓から入って来るのか、何故追い掛けて来たのかと疑問はたくさん浮かんだがベッドの上に座り直したナマエの口から出た言葉はピンク色のお姫様のことだった。
「…エステリーゼ様は?」
「またお茶しような、だってよ」
「そうじゃなくて!」
エステリーゼ様を置いて来て良かったのか、と問うとユーリは何やら考える素振りをした後閃いたようにポン、と手のひらを打った。
「もしかして、嫉妬か?」
ぴしゃりと言い当てられたナマエに芽生えた感情の答え。しかし素直になれない彼女は慌てたように反論した。
「なっ…そんな、わけ…!」
「嘘つくなよナマエ」
「う、嘘なんかついてない…!」
「隠しても無駄だっつの」
何年の付き合いだと思ってんだ?とユーリは窓枠から部屋の中に降りるとそっとナマエの頭を撫でた。その手はとても大きくて、昔のようにもう年下の幼馴染みではないと思い知らされる。
「素直に嫉妬したって言わねぇと、ナマエ姉サンのここ…奪っちまうぜ?」
頭に置かれていたユーリの手がそのままナマエの頬を伝って親指が唇に乗る。
「‥‥っ、」
「ほら、早く」
「‥‥‥」
逃がさないとばかりにユーリの瞳がナマエを捉え、金縛りにあったように身体が上手く動かせない。もう素直に告白してしまう以外に逃れる方法はないと半ば諦めたようにナマエは口を開いた。
「……ユーリの、ことが…好き、です」
「それでエステルに妬いたんだよな?」
「……は、い」
「そっか」
「え…それだけ?」
「いや、思った以上にクるなって」
「どういう意…ッ」
グッ、と唇に押し当てられる柔らかいもの。それがユーリの唇で、キスされていると理解するのに少し時間がかかった。
「…はっ、何…して…!」
「本音言ったご褒美だけど?」
「……な、んで…」
もう唇は離れているのに熱が残って熱い。ユーリは面白可笑しそうに笑って再度ナマエの頭を撫でた。
「キスでわかれって。俺もナマエが好きなんだよ。昔からずっと」
ユーリの気持ちを聞いて嬉しさから涙が溢れた。彼は大事なことは嘘をつく人ではないとわかっているからこそ、溢れた涙を止めることが出来ない。
「‥‥俺のもんになってくれませんか?ナマエ姉さん」
「…だからっ……姉さんは、やめてって…言ってるでしょ…!」
こういう時に素直に返事が出来ない自分に腹が立った。それでもユーリと気持ちが通じ合ったことは本当に嬉しくて返事の代わりに抱き着けば逞しい腕が背中に回された。
mae tugi 13 / 30