鬼滅 | ナノ


「名前、久しぶりだな!」

「名前、今日はよく晴れていて気持ちいいな」

「名前、土産に饅頭を買ってきたぞ」

「名前、身体の調子はどうだ?」

「名前!」

名前、名前、名前、と無駄によく通る声で呼ぶのは鬼殺隊に務める竈門炭治郎。温かな太陽のような笑顔で、長男気質な彼は周りの人々から慕われている。そんな彼を良く思わない人物が一人───それが名前。小さな町の貧しい家に暮らす名前と鬼殺隊の剣士として日本各地を回る炭治郎が出会ったのは半年程前のこと。偶然任務で町を訪れた時だった。今回は束の間の休息に彼女に逢いに訪れ家から離れた裏路地に近いところで姿を見つけて声を掛けた。

「……相変わらずうるさ」
「名前は相変わらず冷たいな!」
「じゃあ何で話し掛けるの」
「何でって、俺が話し掛けたいからだよ」
「…あっそ」

炭治郎の真っ直ぐな言葉や表情、気持ちは人見知りな名前の心の中にズカズカと土足で入って来るような気がしてならなかった。真っ直ぐすぎる彼が苦手だった。名前がどれだけ避けようとも冷たくあしらおうとも、炭治郎が折れることはなく名前を呼び続け話し掛けた。

「名前は俺が嫌いか?」
「…うん」
「でもそんな匂いしないけどなぁ」
「匂いでわかるなら最初から聞かないで」

真っ直ぐなところも苦手だが、一番はその感情さえも嗅ぎ分けてしまう鋭い嗅覚が駄目だった。どれだけ感情を隠そうとも炭治郎には匂いですぐにわかってしまうから。出会った頃からいつも寂しそうだのでも人とは一定の距離を保ってるだのと匂いを嗅いでは気持ちを曝け出された。

「(……嫌いじゃ、ないんだけど)」

そう、嫌いではない。苦手なのだ。優しいけれど決して甘くはない炭治郎。知り合いとして友人として大切ではあるが簡単に心に踏み込んでこようとするところが苦手で、どうしても払拭出来ずにいる感情。それが最近の悩みの種の一つであり、名前は小さく溜め息をついた。本当はそれよりも大変なことがあるのだけれどまだ誰にも話せずにいる。話したらきっと、せっかく決意した気持ちが揺らいでしまうから。

「名前?」
「………」
「…悩みがあるのか?そんな匂いがする」
「ッ、もうやめてよ!」
「い”ッ、いだだだ!?痛い!名前、痛い!」

すん、とまた鼻を鳴らして匂いを嗅いできた炭治郎が嫌でその鼻を思い切り摘んでやった。そうすれば痛い痛いと叫ぶ彼。すぐに離したが鼻先は赤くなっていた。

「な、何するんだよ、」
「……嫌なの」
「名前?何故、泣いてるんだ?」
「へ…」

炭治郎に言われて初めて泣いていることに気付いた名前は、涙を拭おうと手の甲で目を擦る。それはとても冷たかった。

「擦ったら駄目だよ」
「ッ……」
「何が嫌か、教えてくれる?」
「………」

潰れたタコだらけの大きな手が目を擦る手首を掴んでそっと止める。酷く優しい声色と、温かな笑顔のお陰か冷たく感じた涙の温度はもう忘れてしまった。

「……炭治郎が、嫌」
「俺の何が嫌?」
「そうやって、すぐ匂いを嗅いでくるところとか…わたしの心の中に入って来ようとするところとか、嫌」

ずっと心の内に秘めていた思いを吐露すれば、優しい笑みを浮かべていた炭治郎の顔は悲しいものに変わっていく。太陽のような彼にそんな顔をさせたい訳ではないのに、一度吐き出した言葉は芋づる式のように次々と出て来て止まらない。

「嫌なの。苦手なの。お願いだから、もうわたしにはあまり関わらないで…」

消え入るような小さな声で、俯きながら呟けば手首を握る手に力が入る。

「そんなの、出来るわけないだろ」
「ッ!?」

手首をグイッと引き寄せられて、気が付いた時には炭治郎に抱き締められる形になっていた。背中に両手が回ってトントン、と優しく背中を擦られる。

「…は、はな、離して…」
「ごめん。それは無理だ」
「は、離して、よ…!」
「だって、名前からはいつも『助けて』って匂いがするんだ」

そう言われたところでぴたりと名前は口の動きを止めた。

「…え、」
「出会った頃からそう。いつも名前からは『助けて』『怖い』そんな匂いがする」

初めて言われたことに名前は大きな瞳をぱちぱちと何度も瞬きさせた。涙は既に止まっていたが瞳に溜まっていた涙が瞬きすることで押し出されてぽろりと零れる。それは炭治郎の市松模様の羽織りに溶けた。

「それを知った時から放っておけなかった」
「………」
「俺は暗闇にいる名前を救いたい」
「…!」
「だから教えてほしい。何が怖いの?」
「………」

そっと身体を離して、炭治郎の手が肩に置かれる。自然と視線が絡む態勢になり、赫灼の瞳からはいつもの優しさと温かさが感じられた。

「………」
「ん?」
「……わたし、ね…もうすぐお嫁に行くの」
「え!?」
「でも、会ったこともない知らない人。この地域ではそこそこのお金持ちの家だから両親はこのチャンスを逃すなって。わたしの気持ちなんてまるでないみたいに」

ぽつり、ぽつりと名前が並べていく言葉を一言も聴き逃すものかと耳を傾ける炭治郎。彼女の肩を持つ手に冷や汗が滲んだ。

「いくら両親の為だって言っても…怖い」
「…ッ名前は!」
「!」
「名前は、どうしたい?」
「え……」
「名前はそれでいいのか?」
「……わたしは、仕方ないって思う」
「それは本心か!?」
「本心だよ。怖いの半分、仕方ないの半分」
「嘘だ!!!!」
「ッ!?」

今までにないくらいに大きな声で叫び、名前はその声に肩を震えさせた。優しかった炭治郎の瞳は大きく見開かれて怒りと哀しみを宿している。

「本当はずっと助けてほしかったんだろ!?」
「………」
「目を逸らすな!」
「ッ…」
「助けてほしいって、そう言ってる!!」

ここが!と炭治郎の拳がぐいっと名前の心臓の上を服の上から押す。

「出会った頃からずっと助けてほしかった癖に、今になって逃げるな」
「……逃げて、ない。それに助けてって、言ったところで誰も助けてくれない」
「俺が、名前を助ける。俺に助けてって言えばいいだろ?」
「…ッ、言って、いいの?」
「うん。言って」
「………た、たす、けて…!」
「ああ。もちろんだよ」
「…!」

助けて、の言葉を聞き届けた炭治郎はふわりと優しく微笑んで再度名前を抱き締めた。そして軽々抱き上げるとそのまま走り出す。

「え、ちょ、炭治郎!?」
「このまま町を出よう」
「え!?」
「後のことはそれから考えたらいい」
「で、でも…」

無茶苦茶なことを言い出す炭治郎に抱かれながら、どんどん遠くなっていく故郷の町を見つめる。きっと名前がいなくなれば両親は死に物狂いで捜し出そうとするだろう、婚約者は怒りに狂うだろう。仕方ないと諦めていたのに炭治郎のことを拒むことが出来ないどころか受け入れてしまいとさえ思う。

「名前」
「…?」
「俺は逃げるわけじゃないよ」
「え、どういう……?」
「今はこの方法しか思いつかない。でも近いうちに名前の両親に会って、説得して、俺のお嫁さんにしてもらうよう伝えに行く」
「は!?」

走りながらまるで婚姻を申し出るかのような言葉を吐く炭治郎に名前は理解が追い付かない。

「出会った頃は名前を救いたいとしか思わなかったけど、さっき気がついたんだ。俺は名前のことが好きだからそう思うんだって」
「え、え、え?」
「他の誰かのところにお嫁になんて行って欲しくない。だから俺と一緒においでよ」
「………そんなこと言って、もうわたしのこと連れてきてるじゃない」
「はは、違いないか」
「………」

楽しそうに、嬉しそうに笑う炭治郎に名前も釣られて小さく笑う。逞しい腕に抱かれながら名前はそっと彼の首に両手を回して身体を密着させる。

「えっ、名前!?」
「……ずっと炭治郎のこと苦手だって思ってたの。苦手だと思い込まないと、その優しさに甘えてしまうから」
「………」
「でも、もうやめる。わたしは炭治郎と一緒に行きたい。これから炭治郎を、好きに、なりたい…」
「うん。一緒に行こう。きっと禰豆子も喜ぶよ」

ようやく素直になれた名前と、嬉しくて堪らない炭治郎。2人にはまだまだ試練が待っているかも知れないが今はこれでいいと、寄り添うのだった。


2020 1123


mae tugi 5 / 6

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