「よし、」
名前はスマホで時間を確認すると天国にある極楽満月へと向けて歩き出す。今日はいつも使用している生理痛の薬と鬼灯に頼まれた生薬のおつかい。
本当ならば極楽満月に行くにはいつも鬼灯が付き添うのだがどうしても都合が合わない日は白澤の弟子である桃太郎に連絡を取り、必ず白澤と2人きりにならないようにしている。というより2人きりになるなと鬼灯が口うるさいのだ。そこも含めて恋人に愛されていると感じる名前。桃太郎がいてくれることに安心して目的地へと向かった。
「ごめんくださーい」
やっと極楽満月へ辿り着き、中へ入るが白澤や桃太郎の姿が見当たらない。もしかして今は休憩中かと思い外の看板を確認しようと踵を返そうとするがそれは別の力によって止められてしまった。
「えっ…!」
「いらっしゃい、名前ちゃん」
「白澤様!?」
「久しぶりだねぇ」
「ちょ、やっ!桃太郎さん!?」
いつの間にか白澤の腕の中にすっぽりと納まる状態になっていた名前。これは危険だと察して桃太郎を呼ぶが上からくすくすと笑う声が聞こえる。
「タオタロー君は今いないよ」
「どうして…!?」
「名前ちゃん、1人でここ来る時は絶対タオタロー君に連絡してくるでしょ?だから上司命令で外出してもらってるよ」
白澤は笑顔で言ってのけるが名前は絶望を感じた。脳内では『あの淫獣とは決して2人きりにはならないように』と鬼灯の言葉が再生されている。逃げようともがくが相手は男でいくら鬼女でも力では敵いそうにない。
「旦那や彼氏がいる人には手出ししないんじゃ…?!」
「そうだけど名前ちゃんは別。一度は君とヤッてみたいと思ってたし何よりあの鬼神が悔しがる顔が見てみたいしぃ」
たかだか私怨で、その私怨のほとんどは白澤の逆恨みであるのに、名前を犯したとして後で鬼灯にどうされるかなど理解しているはずなのに、ハイリスクを犯してまで憎い鬼神の悔しがる顔が見たいという彼の気持ちは計り知れない。
「ちょ、やめ…!」
「やめなーい。名前ちゃんいい匂いするね」
白澤はすん、と名前の首元に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。気持ち悪さにもがくがぴくりとも動かない男の身体。これはまずいと名前の本能が警告しているがどうしようもできない状況に涙が零れる。こんなことになるのなら鬼灯の用事が済むまで待っていればよかったと、桃太郎がいるからと安心しなければよかったと激しく後悔する。
「ほ、ずき、さん…!」
「あいつ忙しいんでしょ?来ないよ」
「嫌!鬼灯さん!!」
それでも、と大好きな彼の名前を叫べば、同時に支えを失って軽くなる身体と骨が砕けたかのような轟音が響いた。
「っ!?」
よろけた身体を支えてくれたのは安心する、いつもの逞しい腕。
「名前さん、無事ですか?」
「ほ、ほお、ずき……さん…」
顔を上げれば求めていた大好きな人。
「いってーな!何するんだよ!?」
「それはこっちの台詞です」
「クソ、今日こそイケると思ったのに!」
「何やら嫌な予感がして来てみれば…。私の名前さんに手を出してタダで済むと思うな」
金棒がヒットし、頭や鼻から血が出ている白澤に容赦なく睨みを利かせる鬼灯。今回の事が事だけに本当に白澤を半殺しにし兼ねないと察した名前は私は大丈夫ですから!とグイグイ鬼灯を出入り口の方へ引っ張る。
「…チッ」
鬼灯は舌打ちをすると金棒を回収し、立ち去る前にもう一発白澤の顔面に強烈な一撃をお見舞いして、何を言う訳でもなく名前の手を引いて極楽満月を後にした。薬を買うのを忘れていたがこの際薬なんてどうでもよかった。
「鬼灯さん、あの……」
「淫獣のところは危険だと知っておきながら1人で行かせたのがいけなかったです。怖い思いをさせてすみません」
「い、いえ……抱き締められて匂いを嗅がれたくらいなので本当に大丈夫です。鬼灯さんが助けに来てくれましたし」
地獄への帰り道。手を繋ぎながらぽつぽつと先程のことを話しながら歩く。
「それに、わたしも鬼灯さんのお仕事が終わるまで待っていればよかった話ですし…」
「そうだとしても今回は私の判断も甘かった。桃太郎さんがいるからと安心していた部分もありますし何より名前さんを泣かせてしまいました」
ぐい、とまだ乾ききっていなかった涙を繋いでいない方の親指で拭ってやる。
「もうこんなことがないよう、これから薬は私が……」
鬼灯が言葉を言い終えないうちに名前は鬼灯の腕をぎゅっと抱き締めた。
「名前さん?」
「……ご、ごめんなさい。大丈夫だなんて言ったけど今になって震えが止まらなくて…」
ふるふる、と華奢な身体が震えているのが腕からよく伝わる。鬼灯は名前の頭を一つ撫でると抱き締めた。
「あの淫獣、もっとボコボコにしておけばよかったですね」
「白澤様のことはいいからっ…早く鬼灯さんと2人きりになりたい…」
「……はい、そうしましょう」
鬼灯は未だ震える名前を姫抱きにして歩き出す。勤務中だということを忘れて向かうのは鬼灯の部屋。
「私でいっぱいにして差し上げますから。安心なさい」
「………」
ちゅ、と軽いキスをおでこに落とす。名前は無言で頷いて鬼灯の胸に顔を埋めた。
mae tugi 5 / 13