寂しかった―――ただそれだけ。
名前は心の中で呟いて、隣で眠る神獣の背中に抱き着いて目を閉じた。
次の日。いつもと同じように出勤し、本日分の仕事をこなしているとばったりと鬼灯に出会した。
「名前さん、おはようございます」
「おはようございます」
「おや?昨日と同じ服ですね、どうかしましたか」
ドキリ、と嫌に心臓の音が大きく聞こえた気がした。そこは突っ込まないでいてほしかったと思うと同時に何故ただの上司が自分の服装を覚えているのか不思議に思った。しかしここはとにかく回避しなければと背中に流れた冷や汗を無視した。
「実は昨日、急遽友達の家に泊まることになって、着替えもなくこのまま…」
「ほう……そうでしたか」
咄嗟に無難な言い訳をしたが、疑われるようなこともないだろうと名前は普段と変わらずの態度だった。別に昨日したことが悪いことではないが如何せん、この鬼神様とあの神獣は相性が悪い。神獣の名は出さない方が安全だろう。
「それでは、仕事に戻りま…」
「臭い」
「え…?」
「名前さんから、嫌な臭いがします」
「っ…!」
鬼灯の隣を通り過ぎようとしたが腕を強く掴まれてしまいそれは叶わなかった。それに加えて絶対に気づいてほしくなかったことに鬼灯は気づいていたのだ。
「あいつの、淫獣の、嫌な臭いがします」
「え……そんな、こと……」
たらり、と冷や汗が流れる。誤魔化そうと言い訳をしようとしたが鬼灯の鋭い目を見てしまっては何も言えなくなってしまった。名前は何故バレたかと考えることに必死だった。神獣との行為の後、同じベッドで眠ったが朝にはシャワーを借りて全身を流したし着物には消臭スプレーをこれでもかというくらいにぶっかけた。それなのに何故、匂ってしまったのかと考えても考えても思考が追いつかない。
「名前さんって、見た目に反して結構尻軽なんですねぇ」
「……」
何も反論できないでいる名前を見下ろす鬼灯。以前付き合っていた彼に他に好きな人が出来たという理由でフラれ、その寂しさを紛らわしたくて白澤を頼った。一時の感情だとしても心にぽっかり空いた穴を埋められるのであればと付き合ってもない好きでもない人と行為に及んだ。
「はぁ……」
鬼灯がついた溜め息が今の名前にとってはとても恐怖に感じた。彼に責められるようなことをした訳ではないのに怒られる、見放されるという恐怖が名前を支配する。もしかすると獄卒もクビになるかもしれないと目を固く閉じた。が、次の瞬間、頭に柔らかく大きな手が優しく置かれた。
「ずっと、名前さんのことを狙っていたのに、こんなことになるならもっと早くに手を出しておくべきでした」
「へ……?」
思ってもなかった展開に名前は目を開けて鬼灯を見上げた。相変わらず表情はないが頭を撫でる手つきは優しい。
「あんな淫獣ではなく、私にしておきなさい。後悔はさせません」
「それは、どういう……」
「私は貴女のことが好き、と言うことです」
「なっ…!?」
急すぎる展開に頭が追いつけず、言葉も出なくなる。そんな名前を鼻で笑った鬼灯。一度尻軽だと軽蔑しておいて好きだなんて、どういうつもりをしているのか、とぐるぐる考えるが今はもう頭を整理できない。
「どうして、ですか…?」
「好きという感情に理由がいるのですか」
「そうじゃなくて、何故わたしなんですか」
「ふむ……」
鬼灯は顎に手を当てて考える素振りを見せる。からかう為に言ったのなら人として軽蔑するし、仮に本気だとしても特に接点のない自分をどういう理由で好きになったのか詳しく聞いてみたいと思った。
「恐らくずっと前から、名前さんのことを気にかけていました。恋だと気づいたのは先程ですがね」
淫獣に抱かれたことを想像すると腹が立ちました、と表情一つ変えずに鬼灯は言い切った。名前は訳がわからないままぽかんと口を開け、ただ鬼灯を見つめるしかない。すると彼の大きな手は彼女の頬を優しく撫で耳元でいやらしく呟いた。
「今夜、私の部屋においでなさい。あんなやつよりも名前さんを満足させてあげます。身体も、心も、ね?」
「…ッ!!」
では、と何事もなかったかのように去っていく鬼灯の背中を名前はうっとりと見送った。先程の出来事を思い返してみればいたたまれない気持ちにもなるが、それでも名前は今夜彼の部屋へ訪れることを決意するのだった。ぽっかりと空いたはずだった穴には既に鬼灯でいっぱいになっており、単純な自分を嘲笑いつつも今夜を楽しみに、持ち場へ戻るべく踵を返した。
2018 0925
mae tugi 2 / 13