それは、たまたま鬼灯が現世へ赴いた時だった。
時は終戦後。まだ混乱の残る日本だが少しずつ立て直しに向けて人々が励んでいた。そんな中で一人、何をする訳でもなく川に入り、腰まで浸かっている少女を発見した。鬼灯はその少女に何故だか興味が湧き、声を掛けた。
「そんなところでどうしたんです?」
「……だれ、」
振り向いた少女は綺麗な顔立ちをしていたが、その表情は暗かった。
「名乗る程の者ではないのですが、貴女がどうしてそんなところにいるのか気になってしまいまして。夏と言えど川の水は冷たい。風邪を引いてしまいます。それとも流されて溺死したいんですか?」
一定のトーンで話すと、少女は切なげに笑った。その笑顔が何とも言えない儚さと綺麗さで、思わず息を飲んだが次に出てきた言葉で鬼灯は眉間に皺を寄せた。
「出来るなら、そうしたいなぁ」
「……は?」
理由を聞いてみれば、先の戦争で両親や姉弟を亡くし、稼ぐ為に赤の他人の家へ住み込みで仕事をすれば奴隷のように扱われ、反抗して殺されかけたところを命からがら逃げて来たのだと言う。少女の顔に気を取られて気づかなかったが、よく見れば白い肌にはいくつもの鬱血痕や切り傷があった。
「こんなに辛いなら、いっそ死んだ方が楽になれそう」
「それは」
「でも」
鬼灯の言葉を少女は遮り、話し出す。
「貴方みたいな綺麗で優しいお兄さんに会えたことって、すごく幸せだと思うの。この戦争で死んでいった家族の為にもわたしは生きなくちゃいけないから」
切なく笑う少女のお下げ髪が、風に揺れる。
「鬼灯」
「え?」
「鬼灯です。私の名前です」
「ほお、ずき……さん」
「はい」
「わたしは、名前です」
「名前さん。素敵なお名前ですね」
「ありがとうございます」
微笑む名前に鬼灯が手を差し出せば、少し躊躇った後に川岸へ戻ってきてその手を取った。長時間浸かっていたのだろう、小さな手は雪のように冷え切っていた。岸へ上がると服の裾を絞り、水分を落とす。その仕草が何ともいやらく感じた。
「私のことは誰にも話してはいけませんよ」
「何故です?」
「こういうことだからですよ」
鬼灯は隠していた角を見せる。もっと驚かれると思ったが名前は思いの外動じていない。
「私は鬼なんです」
「そうだったんですね」
「だから、決して話さないように」
貴女の記憶を消したくはありません、と告げると名前は目を細めて笑う。
「話さないですよ。当たり前じゃないですか、そうでないと鬼灯さんを独り占め出来ないです」
「……貴女はそのまま人生を全うしてください。そして来るべき時が来れば、その時は、」
ふい、と鬼灯は名前から顔を背けるがそのまま言葉を繋げた。
「地獄へ来て、私の嫁になりなさい」
「……もちろんです」
出会ってたった数分の間なのに、この少女に惹かれていた自分が少し恥ずかしくなった鬼灯。だが名前からの言葉を聞いて胸が弾んだ。
「わたし、鬼灯さんのお嫁さんになる為に生き抜いてみせます。だから忘れないでくださいね」
「はい。楽しみにしていますよ」
鬼灯は振り返ることなく、名前に背を向けて歩き出す。
鬼灯と名前が地獄で再会するのはまだ何十年も先の話。
mae
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