「なぁ、最近名前の様子おかしくない?」
「そうかぁ?」
たくさんの人が利用する資料室。たまたま3人が鉢合わせた後、蓬が突然発した言葉に納得がいかなそうな鳥頭と鬼灯。名前―――その人物とは鬼灯や鳥頭たちの教え処からの古い友人である。今でこそ就いている地獄や役職は皆違うが、顔を合わせる機会があれば昔のように話が絶えない関係である。
「そうだよ。鬼灯も思わなかった?」
「……いえ、特には」
「いつもと変わんねぇよなぁ?」
「俺の思い違いだったかなぁ」
頭の中に浮かぶ名前の姿。お香とは違ったおっとりさと綺麗さを持ち合わせている彼女。今朝会った時も変わらない様子だったはずだと、鬼灯は心配になりながら思い返す。付き合っている彼とも順調だと先日会った時にも話していたのに。そんなことを考えると少し胸の辺りにモヤがかかったような気持ちになるので、知らないフリをした。
「蓬は昔から名前が好きだよな」
「なッ……別にそういう好きじゃない!」
「今はな、今は」
「うるさいな!俺は二次元一択だよ!」
昔話を持ち出して愉快そうに笑う鳥頭に、言い返す蓬。ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てればいつもならすぐに鬼灯がうるさいですよ、と黙らせるが今日は何も言葉を発しない。それに違和感を感じた鳥頭が話し掛けようと―――
「どうしたんだよ、ほ……」
「お前、名前って子と別れたの?」
「…!」
すぐ後ろの棚で書類整理をしていた2人の男獄卒が名前の名を口にしたのだ。彼らから見て鬼灯たちがいる位置はちょうど死角になっており、気づいていない。盗み聞きは悪いと知りながらも3人とも黙って聞き耳を立てた。
「あー、あいつね。美人だしタイプだったから付き合ってたけど、何か合わないし付き合ってみたら違ったっぽいわ」
「まぁ確かに美人だって評判だけど性格もいいって噂だろ?それなのに別れるってもったいねぇことしたよなー」
「何ていうの?あれよあれ、美人は3日で飽きるってやつ。正直さ、俺名前の顔にしか興味なかったからなぁ」
「うっわ。お前ひでぇなぁ。付き合う前はあんなに必死にアプローチしてたくせに。飽きたら即ポイかよー」
「しゃあねぇだろ。身体の相性も良くなかったし、俺とあいつは元から合わなかった。それだけの話だろ?」
「身体の相性は大事だけどさぁ。で、別れる時は何て言ったの?好きな人ができちゃったーとかそんな適当な理由?」
「いや、もう興味ないって言ってんのに悪いところあったなら直すって食い下がってきてよぉ。めんどくせー女。だから天国の女好きで有名なやつのとこ行けば慰めてくれるっしょ、って言っといた」
「ハハハッ!ゲス野郎だな、お前ー」
ケタケタと悪口を面白可笑しく言い放つ男たちにふつふつと怒りを覚える3人。蓬がここ最近名前の様子がおかしいと言ったのは順調に付き合っていたはずの彼に振られたからだったのだろう、蓬の勘は的中していた。
「ッんだよあいつら!」
「ちょ、鳥頭!やめとけって!」
「離せって!一発殴んなきゃ気が済まねぇ……ってオイ!?」
昔馴染みの人を悪く言われれば誰だって腹が立つ。鳥頭が駆け出しそうになったのを蓬が止めていた横で、気がつけば鬼灯の姿がなかった。彼は迷わず男たちに詰め寄ると名前と付き合っていた男の胸ぐらを荒々しく掴んだ。
「いい加減にしろ。黙って聞いていれば好き勝手言いやがって」
「な、な、ほ、鬼灯、様…!?」
突然の鬼灯の登場に男たちは顔面蒼白。片割れの男は鬼灯に驚くあまり尻もちをついた。
「仕事に私情を持ち込みたくはありません。が、私の大切な人を傷つけた罪は重い。一発……いや、私の気が済むまで殴らせろ」
「ひぃぃ!?か、勘弁してください…!」
「鬼灯!そいつらに構ってるより名前を捜した方がよくないか!?」
「………そうします。これで終わったと思うな。貴方にはそれなりの制裁を加えてやりますから」
ドスの効いた声で言い残した鬼灯は、蓬の後押しを受けて男の胸ぐらを離すと迷わずに走り出した。
「……蓬、お前いつから知ってた?」
「さぁな」
一方、名前はと言うと彼に振られてからまだ気持ちを持ち直せていなかった。仕事には私情を持ち込みたくない為、いつもと変わらないよう気丈に振舞っていたが心は相当落ち込んでいたのだろう。悔しさもあり迷いに迷ったが、この気持ちを一時的でも癒してくれるならと男に言われた通り極楽満月へとやって来ていた。はしたないと非難されるかもしれないが、今は心も身体も癒しを求めて止まなかった。
「いらっしゃーい……あ、名前ちゃん!」
「…こんにちは」
名前の姿を見るなり、満面の笑みで椅子から立ち上がってこちらへ寄ってくる白澤。名前は店内に他の客や桃太郎がいないことを確認すると、ぎこちない動作で白澤の胸に顔を埋め、白衣を強く握った。
「ん?名前ちゃん、ものすごく積極的だね。やっと僕のこと好きになってくれた?」
「……」
茶化すように言う白澤だが、既に腕は名前をホールドして離さない。
「その様子じゃ例の彼とは別れたんだ?」
「……もう、いいの。あの人のことは。忘れさせてほしい…」
「名前ちゃんの為なら大歓迎さ!何だってしてあげるよ」
名前の額に触れるだけのキスを落とすと、店前の看板を『準備中』にしようと一度腕を解く。が、名前は白澤を離そうとしない。
「名前ちゃんってば、困ったさんだなぁ。でも大好きだよ」
その言葉は偽物であっても今の名前の心には優しく染み渡る。もう一度名前を抱き締め、顎に手を添えて顔を上げさせる。潤んだ瞳は更に白澤を欲情させた。
「その顔、イイね。そそる」
「………」
「口、開けて?」
白澤に促され、恥ずかしがりながらおずおずと口を開く名前。白澤はニィ、と怪しく笑って彼女の口内に舌を入れようとした瞬間。
「離れろ、淫獣!!!」
「ふぐっっ?!」
「え…!?」
ものすごい音と共に極楽満月の扉が砕け散り、白澤の顔面には金棒がクリーンヒット。彼はそのまま吹っ飛ばされ金棒ごと壁にめり込む形となった。
「名前さん、見つけましたよ」
「ほ、鬼灯…!」
鬼灯の登場に驚きを隠せない名前。ただの昔馴染みとは言え嫌なところを見られてしまった、と穴があれば隠れたい気持ちになる。白澤はさっさと壁から抜け出して鬼灯に文句をつけた。
「何するんだよ!?せっかくこれからだったのに!!」
「…わたしから、白澤さんに頼んだの」
「元彼を忘れる為に、ですか?」
「ッ、なんで……!?」
「あんな男、別れて正解ですよ」
「……簡単に言わないで、」
「あいつは貴女の顔しか見てませんでした」
「やめて!!!」
聞きたくない、と名前は耳を塞いでしゃがみ込む。本当は彼女自身も薄ら気がついていたが、大好きだから、本気で愛していたからこそ信じたくも認めたくもなかったのだ。
「おい、名前ちゃんを虐めるなよ!」
「真実を伝えたまでです」
「ッ……」
「あいつと言い、こいつと言い、名前さんには男を見る目がなさすぎませんか」
鬼灯は無理やり名前の手を耳から引き離す。そして抵抗する彼女をいとも簡単に抱き締めた。
「こんなに、いい男が目の前にいるというのに」
「え……」
「自分で何言ってんだよ、気持ち悪いな…」
「私は本気ですよ。貴女をずっと見てきたんですから」
白澤に引かれようが、今の名前に自分への気持ちがなかろうが、言わずにはいられなかった。小さい頃から一番近くで見守ってきて芽生えた気持ちを漸く伝える決心がついたのだから。
「好きです、名前さん」
「…!」
「貴女が傷つくのは見たくない」
「ほ、ず…きッ…!」
ボロボロと涙を流す名前を鬼灯は優しく抱き締め続けた。しかしそれを見ているだけの男は面白くなさそうに舌打ちをした。
「僕の目の前でイチャつくな!他所でやれ!!」
「言われなくとも、こんな胸糞悪いところさっさと出ますよ」
「お前は一生来るな!扉の修理代、お前宛で送り付けるからな!!名前ちゃん、そいつが嫌になったらいつでも僕のとこに来ていいからね!」
鬼灯には怒鳴り、名前にはデレデレとする白澤を放置して2人は店を後にした。
「落ち着きましたか?」
「…うん」
地獄までの道のりをゆっくりと2人で歩む。通い慣れた道だが今日はやけに長く感じた。
「鬼灯、知ってたんだね」
「知ってたと言うか、偶然耳にしまして」
「……そっか。ありがとう、鬼灯」
「お礼よりも返事を頂きたいのですが」
「…あ、えと、」
「もちろん告白の返事ですよ?」
「………」
極楽満月でのやり取りを思い出した名前は顔を赤くし、目線をさ迷わせた。
「私にしておきなさい」
「……」
「後悔はさせません」
「……ほんと?」
「本当です」
「わたしで、いいの?」
「名前さんがいいんです」
「別れたばっかりなのに…?」
「関係ありません」
「尻軽だって、軽蔑しない?」
「しないです」
「……ッ、幸せに、してくれる?」
「もちろんです」
名前の言葉に何か確信を得た鬼灯はそっと唇を重ねた。触れるだけの優しいキスは名前の心の傷を癒していく。嫌な思い出は大量の涙となり流れていった。
「絶対、離しませんよ」
「…もうあんな思いしたくない」
「させませんから。安心してください」
「鬼灯……!」
「名前さん、愛しています」
長年の片想いが実を結んだこの日。鬼灯と名前を祝福するかのように天国のうさぎたちが見守っていた。
2018 1007
mae tugi 10 / 13