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「あのね、V。わたし、ひとつ聞きたいことがあるの」

 ななしは不安げに瞳を揺らして、震える声でそう言った。一体どうしたんだろう。何があったのだろう。ななしがこんなにも弱ってしまうことをした心当たりは、今回は、ない。どうしよう。僕が力になってあげられればいいのだけれど…。優しく肩に手を添えて、今にも涙を溢しそうな目を覗きこんで、心が落ち着くようにゆったりとした声色を心がけて、問う。

「どうしたの?」
「あの、あのね。わたしの、弟のことなの」

 ななしの弟の…? あの件はこれ以上どうにもならない。犯人も彼の行方も分からないまま。それでお仕舞いのはずだ。ななしだってもう諦めかけてる。一生彼を忘れることはないにしても、僕のことを以前よりずっと好きになってくれたから、それで良かったのに。まだ足りないの? 僕からの慰めがほしいの? それならいくらだってあげる。そうすれば僕のこともっと好きになってくれるでしょう? どうして今になってと思わないでもないけど、そのために拐ったんだからななしが僕を好きになるなら、それでいい。
 続きを促すように一度頷く。ななしは言葉を選ぶように唇を薄く開いては閉じ、視線をさ迷わせることを幾度か繰り返して、ようやく言葉を発した。

「わたし、聞いたの。さらったのは、あなただって」

 喉の奥から絞り出すよう途切れとぎれに、でも、確かにななしはそう言った。言葉を選んだ割には随分とストレートな物言いだったなと思う。でも問題はそこじゃない。拐ったのが僕だって? 絶対バレるはずもないのに、一体どこから漏れたんだ。すぐにでも犯人探しをしたくなるけれど、今すべきことはそんなつまらないことではない。
 ななしの目からはぽろぽろと涙が溢れ出して、整った眉も、柔らかいくちびるも、ぎゅっと力を込めて歪められていた。潤んだ目は僕をまっすぐに見つめていて、まるで睨んでいるようだった。でも、その目は何かに縋っているようにも見えたし、肩に置いた手を振り払われることもなかったから、ななしは僕がやったと断定しているようではなかった。まだ僕を疑ってるだけ。僕がしたことが知られてしまうかもしれないのに、疑われているのに、何故だか胸の底からじわじわと嬉しさが込み上げてきた。あぁどうしてだろう。嬉しいと思ってることなんておくびにも出さず、ただななしをまっすぐに見て、告げる。

「ななしは、僕の言うことを信じてくれる?」

 ななしは返事をせず、くしゃりと泣き顔を歪めただけだった。すごく、悲しそうな顔。なのに嬉しい気持ちはどんどん広がって、それに伴うように鼓動も早くなる。でも本当に、どうして嬉しいんだろう。疑われるのは悲しむべきことの筈なのに。だから僕は辛そうに、悲しそうに、言葉を紡がなくてはならない。本当はとても嬉しいのに…!

「もし、信じてくれないのなら、悲しいけれど、僕が何を言っても仕方がないね」
「っちがう、ちがうの…!」

 途端にななしは酷く取り乱して、僕の胸のあたりの服をぎゅうっと握った。あぁほら、そう! これだよ! 内心、ななしに負けず劣らず興奮する。真っ赤な頬をぼろぼろと伝う涙がとても綺麗だった。僕の服を握る少し小さな手がとても愛おしい。

「わたし、信じてる…しんじてるから、あなたのこと! だから…!」
「ななし…」
「だから、おねがい…見すてないで……!」

 あぁ、僕は今、とってもしあわせだ。だってななしが泣いて縋って、見捨てないでって! そっと抱きしめてあげると、ななしは僕の背に回した腕にぎゅうぎゅうと力を込めて、ちょっと苦しいかなって思うくらいにしがみついてきた。かわいいなぁ、ほんとに可愛い。ななしがこれ以上不安にならないように、僕もぎゅっとしてあげる。ぼかんと爆発してしまった嬉しさに、唇が笑みを形どるのを止められない。
 どこの誰から僕がやっただなんてことを聞いたのかは知らないけれど、ななしは僕のことを選んでくれた。こうなることを心のどこかで分かっていたから、だからきっと僕は嬉しかったんだ。好きな人を疑うってことは、それなりに信憑性のある情報を提示されたのだろうけど、それでも最後には僕を信じてくれる…! ふふっ。嬉しいなぁ、うれしいなぁ! ああ、大好きだよ、ななし!

「あなたしか、いないの…!」
「ななし、」

 嗚咽を漏らしながら肩を震わせて、必死になって僕に訴えるななしが可愛くてたまらない。僕が君を見捨てるわけなんてないのにね。こんなに追いつめられて、泣きじゃくって、可哀想なななし!
 腕の力を緩めて、もう一度肩に手を添えて、まっすぐにななしを見つめる。伝える声音は自然と優しいものになった。

「僕はやってない。信じてくれる?」

 声は出さずにただ大きく頷いて、再び縋るように僕に抱きつくななし。そんなななしを僕は抱きしめ返してあげた。それから未だに滴をこぼれさせる目許に順番にキスをして、赤くなった鼻の頭にも、それから唇にもキスをした。
 ななしが僕のことを信じてくれる。それって僕のことを好きってことでしょう? 僕はななしのことが大好きで、ななしのことを信じてる。僕のことを信じてくれるって信じてたのも、ななしのことを好きだから。普通なら僕のことなんて信じないような状況で、それでも僕を信じてくれるってことは、僕のことを最大限に好きでいてくれるってことに違いない。
 今までたくさん酷いことをして、傷付けて、僕を好きになってもらってきたけど、それはもう必要ないかもしれない。僕は、僕のことをすっごく好きになってくれたななしをもっと好きになったけれど、今のななしはきっと一緒に居てあげるだけで僕のことをもっと好きになってくれるから、だからその繰り返しでお互いをどんどん好きになっていけると思うんだ。好きの差は縮まらないかもしれないけど、ななしがこの先僕のことを好きじゃなくなるなんてことは絶対にあり得ないのだから、何も心配することなんてない。
 ななし。これからは、二人で幸せになろうね。そんなことを思いながら、深い深い口づけを交わした。