僕には、お気に入りの場所がある。
新選組の屯所からは結構歩かなくちゃいけないのが難点だけど、そこに行くまでの道すがら空を眺めながらのんびり歩くのも好きだった。
誰も知らない。僕だけの。

静かな空間。


だったのに…。ついこの間までは。


「ああああ!!!沖田さんみっけ!」
「……………、」
「あれ?あれ?聞こえなかったのでしょうか…。沖田さーーん!」
「……………、」
「お!き!た!そ!う!じ!さ!ん!」
「っ、もう、…煩いなぁ、鼓膜が破れたらどうするの」

僕の耳元で思い切り腹から声を出した隣りの人物に向ってじろりと大袈裟に睨みを利かせると「やっと届いた」と満面の笑みを浮かべる女の子が一人。僕が座っているのを見下ろしながら、遠い空を背負っていた。

ここは京の外れのさらに外れ。
言っちゃえば田舎。いつも遠くに見えてる大きな山が直ぐ其処に見えるし、周りには何も無い。小さな川が一本流れていて、太陽に反射して水面がきらきらと僕を照らしている。
普段耳に流れてくるのは、その水音とずっと遠くで旋回している鳶の声。非番の日にふらっと訪れたこの場所は直ぐに僕を魅了して掴まえた。
何にも植えられてない田畑と数軒見える平屋。今の情勢、田舎に留まるのは変わり者ばかりだと言われている中、夕方になればちゃんと火だって点るし、ご飯を作るいい匂いだって感じられる。人が居るのか居ないのか最初は半信半疑だったけど、今じゃすっかり馴染み風景だ。


そして、この隣りの小煩い女の子も、いつの間にか馴染み顔になってた。

「きみさぁ…暇なのは解るけど、前にも言ったでしょ?僕を見つけても放って置いてよって…」
「沖田さんのお姿を見たら自然と身体が動いてしまうんですよ。諦めてください」
「開き直らないで。それにいつも煩い。もっと声絞ってよ」
「…それだと、永遠に気付いて下さらないかと」
「僕がわざと聞こえないふりしてるとは思わないんだね…」

初めてあった日。…いつだったかな、確か、ここに通う様になってから五回目やそこらだったっけ。
今日みたいに着物が汗で身体に張り付くくらい暑い日じゃなくて、まだ雪解けの季節…まだまだ肌寒い日だったかな。
こうやって草わらに腰掛けてぼんやりと過ごしていた時だった、この寒い日にばしゃばしゃと聞こえてきたのは、人間が川を歩く足音と水音だったんだ。

『きみ…何やってるの?』
『え、あ、こんにちは!』

女の子なのに思い切り着物をたくし上げて脚を晒して、はじめくんが見たら卒倒しちゃいそうなくらいはしたない格好をした変な女の子。僕の質問じゃなくて、元気に聞こえてきたのは、なんの変哲も無い挨拶だった。それに少し気を悪くした僕を見て、慌てた様に両手を振ったその子は、「春の河魚を捕っていたんです!」と告げて、そのまま僕の視界から消えたんだ。
まぁつまり転んだの。川辺で。びしゃびしゃになって慌ててるその子を見て、耐え切れなくなった僕は思い切り声を上げて笑ったんだ。

「もうとっくに過ぎたのに、なまえちゃんの頭の中はずっと春だね。春爛漫」
「はい!!わたしは隣に沖田さんが居て下されば、ずっと春にございますっ!」
「あはははは、褒めてると思ってる?」
「あはははは、沖田さん笑うと鎖骨まで震えるんですね!可愛いらしいです」
「また川に落ちたい?」

いつの間にか隣りに座っていた女の子…なまえちゃんの頭をがしりと掴んで、そのまま草わらに倒す。女の子らしい悲鳴も上げず、未だに笑い続けながら空を仰ぐなまえちゃんは、絵に描いた様なやんちゃ田舎娘って感じだった。
どうやら僕の事が好きらしい。
あの日、一頻り笑った僕が助けに行くと顔を真っ赤にして礼を言われた、自分はびしょびしょだし、ただ手を貸してあげただけだったのに「ありがとうごいます!」と頭を下げられくしゃみで飛んだ唾を顔面にお見舞いされた。
次の非番に足を運ぶと、またなまえちゃんは其処に居て僕の事を気に入ったと悪びれも無く言い放ったんだ。

「沖田さんって、京で何してる人なんですか?いつもはぐらかすから気になって夜も眠れません」
「きみ仮にも女の子でしょ?またそう言うこと言って。それに知った所でどうするの?関係ないじゃない」
「はい!でも沖田さんの事なら何でも知りたいんです」
「僕は教えたくないからいつもはぐらかしてるんだよ。実際、おきたそうじって名前だって嘘かも知れないし?」
「ああ…だとしたら悲しいです。でもわたしと居る時は沖田さんは沖田さんじゃないですか」
「…やっぱり変だね。僕も結構変わり者だって言われるけど、きみも相当だよ」

いつの間にか引っこ抜いた雑草をくるくると手で遊んで居たなまえちゃんは寝転がったまま僕を見上げていた。静かな場所を探していつもさ迷い歩いていた筈の僕だったけど、今この状況はどう見ても求めていた其れじゃない。だったら別の場所を探せばいいじゃない。とは思うけど、どうしてか非番の日になるとここに足が伸びてしまう。
この煩い笑い声も、詮索も。僕が嫌がるものには変わりないのに。

世間知らずの田舎娘。これ程厄介なものは無いでしょ。
だってこうして見ても、京で擦れ違う女の人とは全然違う。あっちでよく見るお化粧とか髪飾りとか無縁そう。僕だってそういう事するなら、それなりに美人がいい。
ちらりと視線で上から下まで眺めてみる。なまえちゃんはお世辞でも美人って部類じゃないと思う。顔も童顔で、小さいし。胸だってお尻だって…小さいし。

「今変な事考えてましたね…沖田さん」
「変な事ってなあに?」
「助兵衛な事です」
「助兵衛な事って?」
「あ、でもそれってわたしを女として見てくれたって事じゃないですか!?わ、わ!それならやっぱり大歓迎です!もっと見てください!さあ!」
「身体だけじゃなくて、頭ももっと成長したら見てあげる。じゃあそろそろ僕行くから」

よっこらしょ、と何故か疲弊している腰を持ち上げて草を払うと、着物の裾がつんと僅かに引かれる感覚。
なまえちゃんの少し焼けた指先が僕の着物を抓んで居たんだ。この反応は初めての事。

「もう…帰っちゃうんですか…?」
「うん、どうしたの…?」
「いえ、あの…ちょっと、寂しくて」
「ふうん、でも僕やる事あるし、きみにばかり構ってなんて居られない、」

「あれ!?総司!?」


その指を払って土手から退散しようとしたその時だった。聞き慣れた声とともに一つの足音が聞こえてきたのは。
振り返るとそこに居たのは、浅葱色の羽織りを羽織った平助君だった。まさかこんな屯所から離れた場所で僕に会うとは思わなかったのか、元より大きな目をもっと見開いて僕を指差して素っ頓狂な声を上げていた。

「ああ、平助くんお疲れ様。今帰り?」
「おう。ってかいつも非番の日居ねぇと思ってたらこんな遠くまで来てたのかよ総司」
「うん、静かでいい所でしょう」
「まあなー。って隣りの、」

「浅葱色の、羽織り…って、」

平助くんがなまえちゃんに向けて発した言葉に重なるように後ろから聞こえてきたのは、小さく唸る様に言った彼女の言葉。
そうだ。いつもはぐらかしていたって言うか、知られるのが嫌だったんだろうか。僕は。

「あの、沖田さんって…新選組の方、なんですか…?」
「そうだよ。僕は新選組一番組の組長なんだ。それなりに名は上げてきたつもりだったんだけど知らない?それと、彼は藤堂平助くん。八番組の組長だよ」
「よ、よよよよろしくな!」
「…………、」
「平助くん。紹介するね、あっちに見える家に住んでる変わり者のみょうじなまえちゃん。多分きみやはじめ君と同い年くらいじゃないかな」
「へえ…。総司が女の子となぁ。って言うか、か…可愛いじゃん…っ!」
「平助くん、趣味悪いね」
「…………、」


ああ。もう潮時かなぁ。
そうだよね、辺鄙な場所といえど、京の噂が此処まで流れてきていない訳が無いし。人斬り集団なんて言われてる僕達をなまえちゃんが知らない訳が無いんだもん。僕の袖掴んだまま黙っちゃって、よっぽど恐がってる証拠だ。

「でも何でこっちに居るの?土方さんに言われた巡察経路とは真逆の方向じゃない。外れすぎてるよ」
「あー、いや。こっちにも人は住んでんじゃん。だから念の為っつーの?其れより総司みょうじの様子変だけど、オ、オレ…恐がらせちゃった?」
「ああ、そうじゃないと思うよ。この子変わってるんだ」
「おおおお前!本人の目の前で言うなよっ!」

明らかに様子がおかしいなまえちゃんを見ておろおろと視線を漂わせる平助くんの顔は真っ赤だ。あーあ、僕達が新選組だって知った時点で、無駄な事だと思うんだけどなぁ。って言うか、僕だけしか知らないと思っていた場所を知っていた…、そして、

俯いたままのなまえちゃんを気遣う平助くんに

何だか、心が燻ぶった。


「………平助くん、帰りなら一緒に」
「う、」

「…う?」

歩み寄ってきた平助くんに「帰ろうか」と促す僕の耳に、後ろから篭った様な呻き声が聞こえてきた。泣く程だったんだ。そんなに嫌いなの?仮にも「好いてる」だの、僕の事を「知りたい」だの散々言ってきた癖に。噂の人斬り集団だって知った途端、そんな…。

あれ、なんだろう。
何なんだろう…さっきからずっとちくちくしてる場所は。


「沖田さんが、」
「なあに、大丈夫だよ。もう此処へは」
「沖田さんが…っ、」


ぼろぼろと涙を零して僕の名前を連呼しているなまえちゃんと、それを見て言葉を失ってる平助くんと、彼女に背を向けて眉間に皺を寄せている僕。
次の瞬間、突然熱の篭められた二つの手の平が僕の冷え切った右手を取った。


「沖田さんがわたしの名前全部覚えてくれてたっ!!!」

「「………はあ!?」」


はらはらと涙を零してそう言い放ったなまえちゃんは「嬉しいです!」と僕の手の平に額を寄せてそう苦しそうに笑っていた。
何、この子。

思わずひっくり返った声を出した平助くんも、余りの勢いに何も言えなくなっている。少なからず興味を持っていたらしいなまえちゃんの突然の号泣と可笑しな発言に、今は若干引き気味だった。
僕も固まったままなまえちゃんのつむじを見下ろして口を開けていたけど、いつの間にか「嬉しい」のその一言に寄って、身体に感じていたちくちくと痛む感覚は消え失せていたんだ。


「僕が新選組だって知って、幻滅したんじゃ…ないの?」
「え?何でですか?格好いいじゃ無いですか。それにどんな仕事してても沖田さんは沖田さんでしょう?あ、って言うか何のお勤めしているか知れました!加えて嬉しいです!どうしましょう!」


「……………、」
「オレ眼中に無いじゃん…」


佇む僕達を知ってか知らぬか、じたばたとその場で悶えているなまえちゃんを、


「ねえ、なまえちゃん…」
「はい?」


僕はこの時初めて、



「また、次の非番の日にさ、」



可愛いと思ったんだ。



「逢いに来てもいいかな…」



でも、もう誰にも見せたくないからさ、



「はい!お待ちしております!」



だから、僕ときみとで、





お気に入りの場所を探そうよ


(なあなあ、あの子さあ)
(あげないよ)
(へ?)
(平助くんには、あげないよ)
(…は、はい)



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