昨晩おかしなことがあった。
幹部が揃いも揃って俺の所に来たと思ったら、皆口を揃えてこう言った。「何とかしてくれ」と。

俺は連日の徹夜明けで殆ど頭が回ってはいなかったが、あいつ等がとにかく切羽詰ってる事だけは理解できた。しかし、一体何の事を言ってやがったんだ…?
それだけ。本当にそれだけ言って、あいつ等は勝手に部屋を出て行っちまったから俺はそのまま布団に身を横たえた訳だ…。まぁ、幾日も寝てなかった俺は考えるより先に睡欲に負けちまったから、気付いたら朝だったんだが。

そしていつも通りの褻の日。
俺に非番なんてもんは無いからこうして減った仕事の合間に縁側に出て茶をする位だ。
とは言っても、ずっと出られなかった朝の稽古で総司をたっぷり絞って、心ばかりの朝食を取り、巡察に赴く前の隊士達に喝を飛ばす程度の事だが。それすら出来なかった昨日と比べると、恐らく平和な部類に入るんだろう。

それと。

「歳さん、これ良かったらどうぞ?」
「ああ、悪いな」
「いえいえ〜、そろそろ仕事も大詰めの様だったので、落ち着くのを狙って買って参りました!」
「なまえの出す茶請けは毎度、出所が気になって仕方ねぇ」
「ふふ、じゃあ今度は共に買いに行きましょうか」
「すまねぇな、いつも…」

何としても昨日までに積まれたたくさんの仕事を片付けたかったのは、こいつが本日非番になっていたからの他無い。
普段より袴を穿いて腰には二本差、特徴的な眉をきりと寄せる様はまるで役者の様だが、こいつはこう見えてれっきとした女だ。名をみょうじなまえと言う。
この男衆に混じり新選組隊士となったなまえは、いつもは俺達よりずっと男らしいと誰かが言っていた。敵陣に乗り込む時だろうが、厄介なお抱え毎に関する事件だろうが、その表情を崩さず真っ直ぐ前だけを向くと。

だが、実際俺がこの目で見ているのは…。

「歳さん、口の横に食べかすがついてますよ?」
「おお、」
「あ、駄目ですっ!わたしが、わたしが取りますっ!じっとしていてください!」
「あ、ああ…」

その情報とは真逆の姿ばかりの気がしてならない。
確かに隊編成の時も同じにはならない事が多いが、まさかあいつ等が嘘を吐く訳もないだろうとも思っている。だからこそ、今のこの緩み切った頬を見ているとそれが僅かに信じがたい。

俺の口端を指先で撫で、嬉しそうに笑顔を溢したなまえを眺めつつ、出された茶に口をつけた。

「はぁ、うめぇなぁ…。いや、やる事が無いからそう感じるんだろうが…、こういうのも悪くはねぇ」
「歳さんは働きすぎですからねぇ、この間永倉さんや原田さんが賭け事をしてましたよ?歳さんがいつお倒れになるのかと、」
「あいつ等…」
「ふふ、大丈夫ですよ。わたしが伸しておきましたから」
「そうか。…は?」
「あ、歳さん!見た事の無い小鳥が」

何だか物騒な言葉が聞こえた気がしたが、まぁいいだろう。庭にある木を指差したなまえの横顔を見ていると、いつも肩に圧し掛かる思い荷物が少しだけ軽くなった様に感じる。その重い荷物を降ろす事なんぞ、これから先有りはしないだろうが、今こうしている間にも俺の身体は確実に癒されているんだろうな。

例えば、その細っこい腕で支えられている様な…そんな気が、


「うおーい!土方さーん!居た居た!」
「あ?どうした平助」

物思いに耽っていると、何処からとも無く忙しない足音と共に平助が俺を呼ぶ声が当たりに響いた。

「あのさぁ、ちょっと聞きてぇ事が…」
「おう、どうした」
「……………………、」

俺の元へ駆け寄って来た平助がしゃがみ込み顔を上げた所で、突然顔を真っ青に染め固まる。それはなんつーか、まるでこの世の終りと表現するのが打倒だろうと思える程に見事な物だった。俺の後ろ…つまりなまえが座っている方へと視線を合わせ目を見開いているのを見て、なんだと振り返るが、あるのはなまえの緩んだ笑顔のみ。
なんだっつーんだ。

「おい、平助…」
「あ、ああああ!!!あのさ!いいや!やっぱり後でいいや!オレ、あの、なんか…ごめんなさいっっ!!!!」
「はあ!?あっおい!」

ばたばたと来た道を再び走り去っていく平助の後ろ姿を見ながら首を傾げるばかりだった。
最近はめっきり暖かくなってきたから浮かれてるのかと思い、明日からまた気持ちを締めなおす為に稽古に精をださねぇと、と呆れ顔で一度だけ頷いた。

「平助ってばどうしたのでしょうね?ね?歳さん」
「ああ、まああいつはいつもあんなもんだろ…」
「ふふ、困った人ですね」
「まったくだな。…お、ありゃ、」

再びなまえと何気ない会話を始めた所だったが、庭を歩くでかい図体を見つけて言葉を止める。なまえも「はい?」と俺の視線を追って身を屈めると、それに気付いたのかそのでかい図体がぴたりと足を止めた。

「総司じゃねぇか。あいつも非番だったな」
「……………………、」
「どうしたんだ?あいつ、ぴくりとも動かねぇぞ」

怪しげな行動に不信感を持ち、取り合えず口を開かずに総司がどう動くのか見ていたが、暫くした後真顔のまま踵を返したのを見て思わず「はあ?」と声が出た。
いつもだったら、あのふざけた笑みを称えて「あれえ?土方さん何してるんですかぁ?」等と、皮肉の一つでも言ってやろうかと寄って来やがる癖に。それが無いって事は何か悪さでもしてるのか。だが、その場合だとあからさまに態度に出るんだが(いや、業と出してるのか)今日は違った。明らかに俺じゃなく…。

「沖田さんも行ってしまいましたね。ふふ、皆さんどうしたんでしょうか」
「ああ、どうもくせぇな…」
「まぁまぁいいじゃないですか、折角久方ぶりに二人でのんびり出来ているんですから…ね?歳さん」
「う、ま、まぁな」

そうだ。まぁ言ってみれば、こいつとこうして二人で話すのももういつぶりだろうな。
いつもいつも仕事が忙しいと突き放してばかり居たから、たまにはこうして構ってやらねぇととは常日頃から思っては居た。
恋仲と言うには程遠い扱いだが、なまえは普段文句ひとつ言ってこねぇ。だからこそ、俺がちゃんと見ててやんねぇと。
再び二人になった所できょろきょろと辺りを見回してみる。よし、誰の気配もねぇ。

「おい、」
「はい」
「お前は…寂しいか?」
「え、」

俺を見上げる様についと上げられた頬にそっと手を添えてみる。
木目細かい肌に滑らす指先は、もっともっと触れていたいと駄々を捏ねる。まるで幼子の様に。

「歳さんが…、偶に、こうして触れてくだされば、わたしは…それだけで、幸せにございます」
「…そこは、素直に肯定する所だと思うがな、」
「ふふ、それだと歳さんが困ってしまうでしょう?」
「まぁな、だが俺も男だ。甲斐性はねぇが…それでも、」


ぐ、と顔を近づけた時だった。


「副長、あっ!」


今度は俺の背後から斎藤の声がした。いつも足音と気配を消しやがって。と言うか「あっ!」ってなんだ。「あっ!」って…。

「何だよ、」
「あ、いえ、その…」
「……………………、」
「悪いが取り込み中だ、何か用があるなら…」
「も、申し訳ありませんっ!!!!みょうじもすまなかった!だからその表情で睨むのはやめてくれ…っ、」

「はあ?」

そう吐き捨て、あいつには珍しく足音を立てて去っていくのを見送る事もせずすぐさま振り向く。

すると。

まるで聞き及んだ通りの凛とした真顔が其処にあった。軽く殺意すら見え隠れしているその影った目元が間近にあった事で、俺も思わず息を飲んだくらいだ。
今の今まで見た事は無かったが、そりゃあいつ等も逃げるよなぁ。と瞬時に理解出来ちまった。


「…お前、そんな顔してあいつ等を牽制してやがったのか、」
「え、あ、いえ、何の事でしょう」
「もう遅ぇよ」
「うう、忘れてくださいっ!わたし何故か歳さんに構って頂けない時間が長ければ長い程この顔になってしまうんですっ!」
「それは、つまる所…」

両手で顔を覆ったなまえが蚊の鳴く様な声でそう溢すと同時、俺の両腕は真っ直ぐ彼女の背中へと添えられていた。
そのまま強く引き寄せると、少しの抵抗と、小さな悲鳴と、俺の名を呼ぶ可愛らしい声。

よしよし、と頭を撫で背中を擦ってやると大人しく身を預けてくる。俺も首を倒し彼女の耳に己の耳をくっ付けると、合さった胸から鼓動が感じられた。余りにも見事な固まり具合に、耐え切れず笑いを漏らすと「歳さん…」と恨めしそうな声が聞こえた。

「あいつ等が挙って言いにきたのは、此れか。くっくっく、いや、すまねぇ…」
「何がですか?」
「いや、なるほどな。お前、普段俺に構って貰えねぇからって、あいつ等に当り散らしてんだろう」
「あっ、当り散らしてなんて…っ!!!」


がばっと俺の腕の中で反論をしようと口を開いたなまえだったが、じっと見下ろしていると観念したのか「ちょ、ちょっとだけ…」とついに口を開いた。
あいつ等も苦労してんだな。あの総司があの様だから、そうとう厄介なんだろう。

「しかし、何故俺に言わねぇ。俺に当たればいいだろうが」
「あ、当たれません…っ!」
「何故だ、」

「だ、だって…」


普段、あいつ等の前では評判通り、きりっとした顔しか見せねぇんだろうな。この男所帯に置いて置くのは若干の不安があったにはあったが…、どうやらいらぬ世話だったらしい。


「歳さんの前では、いつまでも可愛らしい女子で…居たかったんです、」


真っ赤になり俯いたなまえをまた強く抱き締め、頬を寄せると擽ったそうに身を捩り華が咲いた様な笑顔で抱き返してきた。俺達を隔てる着物すら邪魔臭いが、今は明るいからこれで我慢しておいてやるよ。
そっと身体を離し、視線を合わせると、お互いに微笑みあって寄せ合う。

唇が付く寸前、俺は斎藤の足音より小さいだろう言葉を溢した。


「だったら、俺の前でだけ見せればいい。これからもだ。いいな?」
「はい…歳さん、」


重なった唇が小さく音を立てた代わりに、辺りの風がぴたりと止んだ気がした。

仕事が片付いて真っ先に浮かぶ顔はこれからも、俺の前でだけ見せると言うこの緩んだ顔でいい。それが、いい。暫くこのままで居てやろう。荷にはならない。
だが多少なりと俺が背負っているだろう荷が軽くなっているのは、細い腕ではなく意外にも逞しく構えたその腕のお陰らしい。

そう思うと、何だか自然と笑いが零れてきた。





二重の面

(しかし、あいつ等もびびっちまうんだから普段相当酷い当たり方してんのか?)
(し、してませんしてません!ちょっと無言になってしまうくらいで…あ、あと)
(…なんだよ)
(稽古で偶に、永倉さんを気絶さ、)
(もういい。これから仕事配分には気をつける…)



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