「平和…ですねぇ」
「はい。まったくです」


縁側と言うものはとてもいい物だと思います。
そこに腰掛けてこうして静かにお天道様を見上げて、お茶を飲んでいると目の前を小さな小鳥が羽ばたいていきました。
目を薄っすらと細めながらもう一口お茶を啜ると、隣りの大きな影が同じ様にお茶を啜りました。

影がふたつ。並んでいます。
こうしてみると、人間が作った文明に触れ、我々鬼がそれに紛れて生きていると言う事自体が未だに夢なのではないかと思う事もありました。
正月が過ぎ、形だけとは言え一つ歳をとりました。月は流れ、春が来て、桜が散って、そろそろ雨季へと移り変わるだろう陽気。それにじっと身を委ねていると、自分が一体何者なのか、解らなくなってしまう事が多くなってきました。


「時にみょうじ。貴女は何故ここに?」
「あら、天霧こそ何故ここに?」
「…いつも問いを問いで返すのは貴女の悪い癖だ」
「こうしていつもお流れになりますからねぇ」

ちゅんちゅんと聞こえる鳴き声を割る様に笑ってみると、いつもの恐い顔が更に歪んで恐くなる。隣にいる天霧は問う為にこちらに寄越した視線を戻すと、いつもは余り開け閉めをしないその大きな口を再度一文字に結んで見せました。

本当は、風間に言われたから此処に居るのだけれど、それを自分が別段重要視していた訳じゃないですし…どう応えれば正解なのかがわたしには解りませんでした。
取り合えず同じ問いを返したのは、今こうして並んでお茶をしているのが珍しいからに他ならない。

「いつも風間の横にくっついて居る貴方がここに居る方が余程可笑しな話ですわ」
「不知火が着いている様ですから、問題は無いと判断したまでです」
「そうですか…今日も、風間はあの人間の元へ?」
「…まったく、困ったものです」

肯定はしなくても、その物言いからして当たりでしょう。

「いい玩具を見付けた」と笑った風間は不知火でも連れて今日も紛れ遊びを楽しんでいるみたいです。其れなのにあの人は悪びれも無く「昼過ぎには戻る。そこで待っていろ」なんて、子供みたいな事を言うから面白い。
出迎えが無いと帰った気がしないなんて、まるで人間の様な事をさらっと高飛車な態度で仰るから、いつぞやか不知火と顔を隠して笑ってしまった。

でも、それが楽しいのです。わたし達は。

「風間が独り楽しいだけの様な気がしますが、珍しく不知火も着いていったと言う事は彼もまた何か面白いものでも見つけたのでしょうか」
「…私は巻き込まれたくは無いので知り得ませんね」
「でしょうね、」

天霧はいつも何を考えているかわからない節がありますが、こうして人間の話をして居る時はどこかまた違っているとわたしは思います。それが一体どんな変化なのかはわかりませんが、恐らく彼も…。



「今帰った」
「おーっす、んだよ。なまえおめぇ本当に待ってたのか。律儀な奴だなァ」
「お帰りなさいませ、風間、不知火」
「お帰りなさい」

いつの間にか音も立てずに庭に立っていた二人鬼に視線を向けると、風間は出て行く時よりずっと不機嫌で、隣りの不知火は出て行く時とはうって変わって水を得た魚の様に上機嫌でした。
ずかずかと足を鳴らしてわたしの隣り、天霧とは反対側に座った不知火がわたしの飲んでいたお茶を一気に喉に流し込んでしまったので、思わず「ああ」と声が漏れてしまいました。油断も隙も無い…天霧の淹れたお茶と言えば里でも評判だったのに。
風間はと言うと、折角待っていたわたし達の出迎えも知らん顔で座敷に上がり、いつもの定位置に腰を降ろしてむっつりしています。

「何があったのですか?」
「いや、何も無かったんだよ」
「と、言いますと?」
「意気揚々登場したは良いが、あの女鬼が不在ってんで門前払いされたんだよ、あっちの大将さんになァ」
「ほう、彼等もいよいよ風間の扱いが解って来たみたいですね、見事な」
「天霧、笑い事じゃないですわ」

揃えていた膝を離しくるりと振り返ってみると、未だ顔を顰めて扇で己を仰いでいる風間が見える。その膝は着流しの折り目が離れてしまい脚を露出するのもお構いなしで、少し溜め息が零れそうになってしまいましたが。


そんな姿を見ていると、
わたしは、こう思うのです。

彼も、きっと…。


「不知火貴方はどうしてそんなにも晴れた顔をしているのです」
「ああ?天霧の旦那ァ、聞くのか?聞いちまうのか?」
「いえ、話したく無いのなら無理にとは言いませんが、」
「つれねぇなァ。いいから見てみろ、ほれ!」

我等が大将が拗ねている中、対極に晴々していた不知火が天霧に見せたのは小さな包みでした。わたしも気になり其方を見ると、一瞬お天道様が反射してきらりと光る何か。
目を凝らしてみると、そこでも彼の秘めたる想いが詰まった物がこちらを見上げていた。

「まぁ、お団子ですね」
「旨そうだろ?帰りに買って来たんだ。どっかの誰かさんは食わねぇみたいだがなァ」
「こんなに沢山独りで食べると夕餉が入りませんよ。みょうじが困ります」
「俺独りで食やしねぇよ。お前等の分も買ってきたんだっつの」
「わあ!いいのですか?」
「それはそれは…」

温かな春の陽気の中で食べるお団子はまた格別でしょう。
目を輝かせたわたしと相変わらずの人相を翳している天霧に挟まれて不知火は「ふん」と得意気に鼻を鳴らしました。
風が吹くたび、視界に一つ増えた影の銀髪がわたしの視界で揺れていました。

こうしていると、本当に何も変わらない。
彼等と。


「おーい、風間ーどうすんだよ、一応お前のもあるぞ」
「…いらん」
「じゃあ俺が食っちまおう」
「…おいなまえ」
「はい?」
「酒…いや、茶だ。この間里から届いた上等な音物があるだろう。淹れて来い」

日向に出ると輝く金色は、日陰でわたしにそう言った。
なんだ、やっぱり食べるんじゃないですか。と思わず笑みが漏れそうになったけれど、そこは大人しく「分かりました」と腰を上げます。触らぬ鬼に祟り無しとはこの事なのですね。

「おい、天霧」
「なんです。風間」

そして足音を立てずに勝手場方に歩き出したわたしの耳に、風間の透き通った声が聞こえてきました。

「お前は何故来なかった、」
「………………、」

今わたし達が住まいとして借りている御母屋の縁側に小さな沈黙が降りた。
角を曲がった日陰でわたしがそっと歩を止めると、不知火が持っていた団子の包みがかさりと音を立てて揺れていました。

「何故でしょう。私にも分かりません」
「…そうか」
「まぁ。別にいいんじゃねぇの?どうせ遊びに行っただけだしな」
「貴様は遊びだろうが、俺は遊びでは無い」
「へいへい」


分からない。と言っているけれどわたしには何と無く分かってしまいました。

きっと、ここに居る同胞は皆同じ事を思っているから。
でも、それを認めてしまうのは意に反する事ですし、己で納得し消化することも出来ないでしょう。わたしもその一人なのですから。

「なまえ」
「は、はい!」

盗み聞きして居た事はやっぱりお見通しだったらしい風間から声を掛けられ思わず背筋を伸ばしてしまった。少し垂らした髪が首筋に触れ、まだ暑いとは縁遠い温度の中わたしはごくりと喉を鳴らしました。

焦がれると言う感情は本当にここに来て分かる様になった。
あの人間達に会う様になってから分かる様になった。

あの雪村千鶴と言う人間も、恐らく同じ。


「団子には熱めの茶が良く合う。手を抜くな」
「は、はい!」
「ならば、私も手伝いましょう。みょうじ」

ぎ、と大きな身体が縁側の床板を軋ませ此方へやってくる。
背後に立っている天霧をわたしは見れないまま歩き出しました。「分かりません」と応えた天霧は、何を思いわたしの隣りに居たのでしょうか。

「みょうじ」
「はい」

そして二人で歩き出すと、後ろから小さな声が掛けられました。


「いいのですよ。我々鬼の一族と言えど、生きとし生けるものの一つなのですから」


その言葉で、やっぱり彼も同じだと核心が持てました。
「そうですよね」とだけ返したわたしは、再び足を止め、ずっと遠くまで続いている空を見上げました。


「わたし達は人間にはなれないけれど、共存しているんですものね。だったらそれでいいのです。天霧も、ですよ?」
「ええ、」
「同じ道を歩いていけばきっとわたし達の道は一本に交わる気がするんです」


外ではそれを隠して居なくてはいけないし、同じ考えの同胞なんて恐らく里には少数しか居ないでしょう。でも、こうして集ったわたし達はどこまでも同じ道を歩いて行けたいいいと思いました。

だって、世界はこんなにも。


「広く永いのですから…」


振り向くと、天霧の肩に小さな小鳥が一羽止まり
焦がれ鳴いていた。





ひとに触れた鬼


(うめぇ!やっぱりこれはいいもんだな!)
(ふん、口に合わぬのだったら店ごと潰す所だったがな。見逃してやろう)
(風間。素直に美味だとそう言えばいいのでは)
(天霧の言うとおりですよ、)
(貴様等揃って煩いぞ)
(あんたが一番騒いでるがな…)



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