「いやあ、うん。それがね、すっごく楽しかったんだよ」
「……………………、」
「すっっっごくだよ?ねぇ、はじめ君」
「……………それは、」
「よかったな…とか言うんでしょ?違う違う、そうじゃなくて」
朝から意欲満々とした総司に捕まり、俺は本日提出予定の企画書に目を通しながら相手をしていた。
普段なら適当に相槌を打っていればこいつはその内飽きて別の者に寄生する所だが、今日は執拗に言い迫られていた。その内容は…
「やっぱりブカブカのシャツ着て“総司さんのシャツはやっぱり大きいね”とか僕に笑ってる彼女見てると癒されるって言うかさ、苛めたくなるって言うかさぁ…はじめ君もなんか擽られない?」
「…あんたの癖(へき)にとやかく言うつもりでも無いが、俺にそんな趣味は無い」
「とか言って、はじめ君は結構そう言うの好きだと思ったんだけど」
「…興味が無い、」
「そう、残念」
クシャリと音を立てて企画書が皺を作り俺をじっと見上げている。
隣りから来る這うような視線に居心地が悪くなり視線を逸らすと、小さな溜め息の後「あーあ、つまんない」等と言う失礼極まりない呟きが聞こえてきた。
丁度その時、始業を告げる号令が掛かり総司に限らず皆各々の仕事に取り掛かる様をぼんやりと見つめながら俺は先程総司に聞かされたその単語を頭の中で繰り返していた。
「…成る程、」
「はい…?どうしたんですか?斎藤さん」
「いや、」
す、と視線を逸らすと風呂から出てきたOLさんが此方を見て首を傾げ「あ、いいお湯でした」と思いついた様にパッと笑顔を咲かしたのが空気で解った。
本日は金曜日、例にも漏れず仕事帰りにOLさんと飲みに向った俺達は酔いもそこそこに居酒屋を後にした。俺の毎度の忠告の甲斐あってか最近はOLさんも潰れ吐くまで飲まなくなった。それ故にいつも駅で解散する事が増えてきていたが、今日は違ったのだ。
「でも行き成り土砂降りなんてついてませんねぇ、わたし達…」
「雨は明日から降ると新聞に書いてあったのだが、まったく…よりにもよって居酒屋を出た途端降られるとは、な…」
「あー、でも助かりました!流石にあの服で電車には乗れませんでしたから」
「いや、店が最寄駅でよかっ…、」
俺の歯切れが悪いのは目の前の彼女の姿の所為だ。
先程思わず感慨の声が漏れてしまったのだが、総司が言っていた癖の話を今ならわかる気がした。
雨の中駆け込んだのは俺のマンション。飲んでいた居酒屋が俺の最寄駅にあった為止む終えず「寄っていくか」と招いたは良いが、俺達はまだ付き合いだして日が浅い。何度も擦れ違い先日やっとそういった関係へと落ち着いたが、やはりお互い気恥ずかしさが勝ってしまい、どちらかの家に足を踏み入れるのは付き合う前以来だ。
「でも斎藤さんのシャツ借りちゃってすみませんでした…、良い匂いしますね、ぐへへ」
「は?」
「あ、いえいえ。聞かなかった事にしてください、ちょっと口が滑ってしまいました。スルースキル、スルースキル」
「あ、ああ…」
ちらりと振り返ると、タオルで髪を拭いつつ俺のシャツにその身を収めているOLさんが居て、更に風呂上り特有の赤みが肌を染めていた。シャツから覗く二本の足はすらりと伸び俺の部屋のフローリングを踏み締めていた。
「……………、」
何故、下を履かないのだ、あんたは…。
「何故だっ!」
「ええっ!?」
「OLさん待て、俺はあんたにスウェットのズボンを貸した筈だ、何故履いていないのだっ!?」
「え?え?だって!大きくて!落ちてきちゃうんですよ!」
「紐で締めれば良いだろうっ!」
「紐無かったんですよっ!斎藤さんこそ何をそんなに焦ってるんですか!?やだ恐い!」
「…っ!す、すまない、」
総司の言っていたのはまさに此れだ。
巷で流行り(総司談)の「彼シャツ」と言うらしい。
俺が渡したのはいつもスーツの下に着ているワイシャツより少し素材が柔らかくストライプ柄の物だったが、OLさんの白い肌には良く馴染んで居た。俺はスーツの下に柄物のシャツを着るのを好まず、これも就職活動中に店員に進められ買わされた物だったが、一度しか袖を通した事が無かった。
薄いラインが入ったシャツは、OLさんの身体のおうとつを薄っすらと透かしやはり俺の目には毒だった。本当はTシャツの方が良いのだろうが、生憎ゆったりとした物を俺は持っていなかったのだから仕方ない。
先程漁ったクローゼットの中が悲惨な状態になってしまったので、お陰で明日の休日…まず俺が成すべき事は自ずと決まった。
「…ならば代わりの履き物をっ、」
「斎藤さんっ!」
俺が寝室に駆け込もうとしたところで、未だ入り口で佇んでいたOLさんが俺のTシャツの袖を掴まえた。
「…い、いいじゃないですか、これでも」
「は…、」
「その、もうほら…折角、仲良しになれたんですから、その…たまには、それっぽい事…したいなぁって、」
「そ、それっぽい、事…とは、」
「あーえっと、斎藤さん知りません?今日沖田さんが自慢してたでしょう?」
あいつはOLさんにまであの馬鹿馬鹿しい話を聞かせていたのか…。そうは思えど、目の前で実際に俺の愛しい人が俺のシャツを一枚纏い微笑んでいる。その頬の赤は、風呂上りの所為か、それとも照れているのか…。しかし、そんな事はどうでも良く、込み上げてくる何かに俺は己の身体を止める事は出来なかった。
一歩前に出ると、そのまま薄い身体を抱き締めた。
俺の使うシャンプーの匂いと、OLさんの匂いがしない俺のシャツに、小さな独占欲。
「斎藤さん?」
「ああ、そうだな。…俺の家だ、恋人のあんたが脚を出そうが腕を出そうが…俺が慌てる様な事では、無かったな」
「はい、そうですよ。わたしだって斎藤さんの恋人なんだから“彼シャツ”の気恥ずかしさなんて、そのまま便所にぽいですよ」
「……あんたは少し時と場所と、あと余情を考え発言すると尚いい…」
「すみません、」
恐らく下着も濡れてしまったのか、布一枚隔てて伝わってくる人肌の感触にむずむずしながらも俺は思い切り首筋の匂いを肺に取り入れた。
腰の辺りを少し強めに抱き寄せると、OLさんもそれに応える様に俺の背に腕を回して来た。愛しい、とはきっとこの感情の事を言うのだろう。
「今日は、泊まっていくのだろう?」
「無論、そのつもりですが、」
「そうだな。あんなに長湯して…この様な格好をしておいて、帰るなどと言われたら、どうすればいいか解らぬ」
「ふふ、久し振りの斎藤さんのベッド、くっ付いて寝ようっと」
俺の胸元に頬を摺り寄せるOLさんを見て、今朝方総司が言っていた言葉が頭の中で再生された。
『やっぱりブカブカのシャツ着て“大きいね”とか僕に笑ってる彼女見てると癒されるって言うかさ、苛めたくなるって言うかさぁ…はじめ君もなんか擽られない?』
「苛めたく…は、良く分からぬが、癒されるとはまさにこの事だな、」
「へ?」
「時に、OLさん」
「はい、」
両肩を掴みOLさんと視線を合わすと、風呂上りで何度か拝見した事がある無化粧の幼い瞳が俺を見上げている。それにそっと近付き一度頬に唇を落とすと、擽ったそうに身を捩ったOLさんに耳打ちをした。
「サイズは、どうだ、不便無いか…?」
「え?サイズ?」
少し漂う俺の視線に、首をことんと倒したOLさんは「ああ、これ?」と両手を上げて見せた。
それを視界の隅に置きつつ、総司が「良い」と豪語していた言葉を待つ。恐らくこの後俺が風呂に入ってしまえば、後は脱がすだけ故…今聞いておきたい。ここまで来てしまったらどうしても聞きたかったのだ。
『大きいね、』と。
しかし。
「ああ、斎藤さんってやっぱり他の人に比べると少しサイズ小さめなんですね!わたしでもピッタリでバッチリで、良い匂いしますっ!ご馳走様でした!」
「………………、」
俺は、その言葉と悪びれない笑顔に対して。
「そ、そうか」
としか返事が出来なかった。
明日、店に言ってサイズが大きめのワイシャツでも買うとしようか。趣味では無いが淡い白桃や、俺が着ている真っ白でもいいだろう。
ふらふらと風呂場に向った俺に手を降るOLさんは、「あ、冷蔵庫にあるビール飲んでもいいですか?」と抜かり無い様子で笑っていた。
取り合えず、俺はそれに頷きながらも静かにズボンのポケットからあるモノを取り出し彼女に向けて構えた。
カシャリと、小さな音が鳴り画面に映ったのは
“彼シャツ”でビールを煽る、男らしい姿の愛しい人の姿だった。
「ぷっはぁ!あれ?斎藤さんまだ居たんですか?早く入らないとお湯冷めちゃいますよ?」
「…ああ、行ってくる、」
「行ってらっしゃーい!」
総司には、言えん。
L寸が正解
(へえ、はじめ君良かったじゃない。それで?どうだったの?楽しめた?OLさんちゃん可愛かった?)
(、…枚……、した、)
(え?)
(その後、一回り大き目のワイシャツを三枚購入した、)
(え…………?あっ!)
(………毎朝牛乳も飲みだしたのだ、)
(もう手遅れ……いや、はじめ君僕は応援してるよ、ブフゥッ!)
あとがき→