みょうじなまえ。
社会人一年目。好きなモノ甘い物全般。特に苺とか乗ってるケーキとか目の前に出されたら胸が躍るどころか身体全体で踊りだす。たとえそこが場所が何処だろうと。
『一番ホーム列車が参ります、ご注意下さい』
嫌いなモノ。
それは、
「うわああああ!!!今日もギッリギリィイイ!!!!!」
『駆け込み乗車は危険です、お止め下さい』
電車。
ガンガンっとヒールでは余り鳴らないだろう鈍い音を響かせて風を切ったわたしは、両手に死ぬほど重い荷物を持ってホームへの階段を駆け上がる。擦れ違う人達の視線が痛いかと思いきや、朝のこの通勤ラッシュの時間帯には他人を気にする人なんて居無いのが普通。だからこれも毎度の事なのだ。誰も見て居無いからと言って、ここまでスカートを捲りあげて髪を乱しながら走る女って相当痛い部類に入るだろう。
何とか人ごみを掻き分け階段を上りきった所で、見えたのはまさに今乗ろうとしていたお目当ての電車。
これを逃すと、駅から会社まで全力疾走しなくては間に合わない。
手を伸ばして「乗りますっ!待って!」と叫んだ所で、民間のバスとは違い止ってはくれないのが電車の辛い所だ。
わたしは何度も何度も此れに乗り遅れては、疲れ切った身体と瞼を落とし次の電車まで腕時計を見ながら時間を潰さなくてはいけない。
でも今日は!
今日はそうも行かないんだ!
朝から会議が入ってて、少し早めに出勤しなくちゃいけないの!それに気付いた時は既にいつも家を出る時間だったんだから、悪いのはわたしだけど。月曜日早々、会社に行って一発目で怒られるなんて絶対に嫌だ!!!
今にも閉まりそうな扉目掛けて大疾走。
耳には既に発車するベルが鳴り響いている。
電車を降りてきた人達の流れに反すようにただ手を伸ばし駆けるけど、もう扉は半分まで閉まっていた。きっとこのまま飛び込んだら車内アナウンスで個人的に『駆け込み乗車はお止めください』と切れられるんだろう。
でも、わたしは!!!!!
「行くしかないのっ!」
でも無常にも扉は、プシューと大きな音を立ててわたしと車内を別つ。
ああ、万事休す!今日はお説教だーい!!!ハハッ!
「あんたっ!早く!」
ほぼ諦めて、開き直った様に満面の笑みを作ったその時だった。
ガンッ!と閉まりそうだった僅かな扉の隙間に差し入れられたのは、白い手袋…で。その瞬間ガクンと揺れた扉が、安全装置か何かに寄って再び開いていく。直前でブレーキを掛けたわたしの視界には、その手袋と再び開いた扉の中から此方を覗く沢山のサラリーマンの視線。
「え!?きゃああっ!」
そしてどうやら急ブレーキの所為で、履いていたヒールの踵が折れてしまったらしく、わたしの身体は前のめりに傾く。ああ、折角誰かが扉を開けてくれたのに、ここで転んだらわたし、明日からこの電車乗れないっ!!
やばい。と思った時、その手袋がわたしの腕を掴み支えた後、力強く引っ張ったのが解った。
「わっ、」
「明日からは止めてくれ、」
「わああ!!」
そのままポーンと放り投げられる様にして車内に飛び込んだ(投げ入れられた)わたしは、一番手前に居たサラリーマンの身体にぶつかる様にして、止まった。
思わず腰が抜けそうになったけれど、スローモーションの様に再び閉まっていく扉の先に居た手袋の人物を、これでもかと言う位目を見開き、じっと見ていた。
その人は長い前髪を靡かせて、列車の前方に「発車オーライ」の敬礼をしいていた。その額に当てた手の袖には白いライン。そして本人もきっとこの電車に乗るのだろう、そのまま小走りで手前の方へと消えていった。
「え、駅員さん…?違う、あの制服、車掌…さん?」
ぽかんと口を開けたままその場に立ち尽くすと、いつの間に放り込まれたのか、扉の所にわたしの踵の折れたハイヒールがコロンと転がっていた。
「…惚れた、」
それが、わたしと彼の出会い。
「ねえねえ、斎藤さん。今日はちゃんと早起き出来たよ」
「………そうか、」
「夕方からはホーム業務なんだね、塵取りと箒もってる斎藤さんも格好いいよ」
「……………、」
あの日から一ヶ月。
助けて貰った日の次の日には、バッチリ早起きして名前までゲットした程の行動力。わたしにこんな大胆さがあったなんて自分でも驚いたくらいだ。
そこで知ったのは、斎藤はじめさんと言う名前と、わたしの使っている路線の一つ目の駅で彼が今年から働き出した事。つまりまだ新米らしい。社会人一年目のわたしは何だか親近感が沸いて思わず「一緒だね!」なんて最初からタメ口だった。
そんなわたしに付きまとわれる事になった彼はと言うと、
「あんたは…毎日毎日こうして押しかけて来るが、邪魔をしないと言う約束だったではないか…」
「え、わたし邪魔してる?」
「明らかに俺が今集めたゴミの上に立っていると思うのだが、」
「あっ!ごめんなさいっっ!」
じっとりとした視線の先を辿ると、今し方斎藤さんが集めたらしいゴミやらがこんもりと山になっている。それを踏み締めていたわたしが一歩後ろに下がると、やれやれと言わんばかりの大きな溜め息が聞こえて、手にしていた塵取りと箒でゴミを片付けに掛かる斎藤さん。
そう、どうやらこの人は、言ってみればとても寡黙な人らしい。
今は草食系男子が流行っていると言うが、そんな可愛いもんじゃない。本当にわたしとは真逆な性格だ。草食系なんてつまりは控えめで草ばっか食ってる兎みたいな感じでしょう?違う違う、斎藤さんは違う。例えるなら無機物…ロボット?全然喋らないし、笑った顔なんて見た事もないし、明らかにわたしの事は目に入ってい無い。あ、ロボットとかより輪ゴムでいいや、輪ゴム系男子だよ。びょーん。
「…あの、斎藤さん」
「なんだ、」
「えっとー、わたし今日のお仕事もう終わってるんですよ」
「…終わって居なければ、此処に居る事自体が疑問だが、」
「う、え、あ、そうなんですけどー…そうじゃなくて、」
「何だ、俺は忙しいのだが」
はい。この言葉もこの一ヶ月の間で既に何十回と聞かされています。
でも今日はここで引き下がる訳には行かないの。なまえ行くのよ。
「お仕事って何時まで、ですか?良かったらわたしとデート、じゃない…お食事にでも行きませんか?」
「………、何故」
「な、なにゆえーー!?」
何故と言われても、行きたいから行きたい訳であって…。え、ちょ、どう返せばいいの?輪ゴム系男子にはどう返事をすればわかって貰えるの!?輪ゴム語わからないよわたし!?
思い切ってお食事に誘うなんて、もう何年もしていない事を言った所為で若干パニック状態のわたしは、俯いてだらだらと汗を掻いていた。荷物を持っていた片手がぶるぶると震えて必死に頭の中で「何故だろう何故なの?」と自問自答。
目の前で佇んでわたしの答えを待っているらしい斎藤さんは、チラリと腕時計を見やってから静かに手袋を取り上着のポケットに入れている。
「ちょっと、待ってくださいね、えっとぉ」
「いや、いい」
「え、あ!あのっ、」
言うが否や近くに置いてあったゴミ袋に塵取りを突っ込んだ斎藤さんは、わたしに背を向けて駅長室へと歩いて行ってしまう。
あ、此れも聞いたんだけど。
どうやら新人の車掌さんはホーム業務も手が開いていたらやるって決まりらしいよ。いやあ、どこでも新人の扱いって同じだよね。わたしも毎日毎日お茶運びからコピー取りまで扱き使われて文句たらたら…ってそうじゃない!!!
「あの!!!」
一歩前に出ると、先程新調したヒールの裏に感じていた塵の感覚は無くて、しっかりと両足を着けて斎藤さんに向って声を張り上げていた。
「わたし、斎藤さんが好きですっ!だから、もっと知りたいから!だからわたしとお食事に行きませんか!!」
一世一代の告白とはこういうことか。
気付けば身体が動いて、そして言葉が…感情があふれ出して止まらない。
それが、恋と言う物だろうか。
きっと今あそこにあるベンチの上に、苺が乗ったショートケーキが置いてあっても気付かないだろう。
「あ…」
今は既に十八時を過ぎた辺りで、駅には沢山の帰宅する人達で混雑している。朝とは違い、沢山の好奇な視線が刺さってハッとする。
足を止める人、口を開けているサラリーマン、内緒話をする学生、そしてその視線は足を止めた斎藤さんの背中にも刺さっているだろう。
ああ、やっちゃった。
俯いて、動かなくなった脚を見るとぴかぴかのヒールの爪先がわたしを見上げていて「はやく逃げちゃいなよ」なんて笑っていた。それに映る自分の顔がとても情けなくて、やっぱりわたしは電車関係は何事も苦手なんだと再確認した。
「あ、ご、ごめん。こんな所で、…迷惑だったよね、あのわたし、」
まだ動かない目の前の背中にぽつりと言葉を掛けると、同時。
ガサリとゴミ袋が揺れた音が聞こえた。
「二十分、」
「え?」
顔を上げると、こちらに顔だけ向け帽子の鍔を持っている斎藤さんが居て。
ぐいっと深く被ったその帽子の下から少しだけ覗いている白い頬は、薄っすらと赤みが掛かっていて、思わず息を飲む。
「あと二十分で今日は上がり…故、その、直ぐ着替えて来る。待っていてくれるだろうか、」
「………え、」
「俺も、その…あんたと、なまえと話を、したいと…。兎に角!待っていてくれ、日誌を書いたら直ぐ来る!」
「は、はい!!!」
そのままわたしと目線すら合わさずに去っていく斎藤さんは、初めて会った時よりずっと小走りで。きっと周りからの視線が痛かったのだろう、最後の方は駆け足で駅員室へ飛び込んでいった。
取り残されたわたしは、その姿が見えなくなった時、
「っ!やったぁああ!!!」
ホームの真ん中で思い切りガッツポーズをしていた。
それと同時に滑り込んできた電車が、わたしの髪を靡かせてゆっくりと止まる。そして聞きなれたアナウンスがわたしの耳に入り込んできて、あの時の斎藤さんの横顔が蘇ってくすりと笑いを溢した。
「発車おーらい!」
真似事の様に額に腕を置き、笑うと扉を閉め走り出そうとしていた電車を見て思った。
「…わたし達を巡り逢わせてくれてありがとうね」
恋列車間も無く発車します
『白線の内側までお下がり下さい…』
(なまえ!早くしろ!あんたは毎朝毎朝!)
(うわああーーーん!はじめくん!ごめんんん!)
(間に合ったか、ではまた帰りに…)
(うん、はじめくんもお仕事頑張ってね!行ってきます!よしっ!行ってきますのチュウをくださいっ!)
(…っ!?馬鹿を言うな!!!)
(うわーん!扉閉まったー!はじめくーーーん!)
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