睫毛が絡んでいるのか、僅かに感じた抵抗感と腕にある重みと痺れ。
いつもだったらまず目が覚めて一番に挙げ額に当てる腕が動かず、俺は違和感と気だるさを感じ身を捩った。
捩った時点でそのおぼろげだった違和感は核心へと変わり、絡んだ睫毛がぷつりと抜ける程勢い良く目を開いたんだ。


「……っ!?」

ここは俺の自室だ。
っつーか、最近引っ越したばかりの街…その一角にあるこのアパートは、以前住んでいたところよりずっと広く、未だに荷物の整理が終わっていない。視界の所処にある引越し業者の名前が入った段ボールを見る限りここは俺の部屋で間違いないだろう。
だから俺はこの街に知り合いなんて居やしねぇし、近くに住む友人も居ない。なのに、俺が焦点を合わせているのはベッドの隣り…正確には俺の腕の上だ。

少し奮発して買ったこのセミダブルのベッドは、何度も何度も家具屋に足を運んで購入した物だ。俺が足を伸ばしてもまだまだ余裕がある。
そのベッドの半分にも満たないスペースで、どうやら脚を折って眠っている誰かが居る。見間違いでも寝ぼけてる訳でもねぇ。居る。

何が起こった。
何があった。
何でここで寝てるんだ。女が。


「…おいおい、マジかよ、」

どうやら腕に感じていたのはその女の頭の重みで、完全に肘で血液を止めてくれているらしいこの温もりは、何も纏っていない俺の肌にダイレクトに伝わった。

「………………、お、思い出せねぇ、」

まずこの状況下に置かれた男は、真っ先に思う事がある。
これは誰にだって共通するだろう。

起きて隣りに女が寝ている。

シーツが半分を覆っては居るがこの寝顔にやっぱり見覚えはない。そもそもこんなべっぴん…知り合いにいねぇ。いや…居たとしても、同じベッドで目を覚ます様な仲の女は今はいないんだ。
その女が寝息を立てる度に、男の俺とはまた違うふっくらとした肩が揺れ、長い睫毛が震えている。化粧はしていないが、とても綺麗な肌をしていた。


「……………、」

取り合えずまじまじと伺っていた視線を逸らした俺は、昨夜の自分の記憶を辿ってみる。
昨日は確か、こっちに遊びに来てた新八と飲み屋で飲んでて…。




「ん…、ん〜〜…」
「っ、」

新八の顔がぼんやりと浮かんできて、朝からなんで野郎の顔なんて思い浮かべなきゃなんねぇんだとゲンナリしたところで、俺の腕の上に置いてあった小さな頭が動いた。
やべ、と頭で思った時にはもう目の前の大きな瞳は俺を映していて、何度も確かめるように瞬きを繰り返している。逆に目を見開いて、どう言い訳をすればいいんだ。と青褪めている俺の思考とは裏腹に、再び大きな瞳が細められたと思ったらそのままにこりと笑顔が俺を見上げていた。

「おはようございます」
「あ…ああ、はよ、」

その笑顔を見て一瞬にして暑苦しい新八の顔が頭から吹っ飛び、俺は情けない程掠れた声で返事をした。

「ふあ〜…、まだ朝は寒いですねぇ、」
「そ、そうだな」
「今何時ですか…?」

俺の腕を枕にしたまま思い切った伸びをしてごしごしと目を擦る女を見て、俺はただ引き攣った笑いを溢し目を丸くするだけしか出来ない。時間を気にしだしたこいつに変わって、まだ真新しい艶を残すフローリングに置きっ放しの壁掛け時計を見下ろすと、時間は既に昼前。
幸い今日は休日で特に記憶にある予定もない。あえて言うならば大きなラックと本棚が欲しくて見に行こうと思っていたくらいだ。

しかし、どうしたものか。
起きたところでやはりこの女の顔に見覚えは無い…。俺は自分で言うのもなんだが、記憶力は頗るいい筈だ。女に関しては尚更。

「左之さん?」
「あ?ああ…えっと、まあ何だ、取り合えず起きるか」
「え、あ!すみません腕を!」
「いやいや、いい。それは…いいんだ、」


…名前即答かよ。

そこでやっと気付いたらしい俺の腕枕から勢い良く起き上がった女の姿がスローモーションの様に俺の視線が追っていて、その白い肌に目を奪われそこで思い出す。

「あっ!!お前…っ!」
「え?」

止まっていた血液がまるで思い出した様に腕に巡り始め、ジンと熱くなる指先には見向きもせず俺は大きな掠れ声で大口を開けていた。


「お、お前…っ!土方さんの…っ!」
「え?え?歳兄さんが何かっ!?」
「……っ、」

しまった。やっちまった。
やっちまったって言うか、ヤっちまったぞ!俺!

その無防備な背中にパラパラと落ちてきた髪色に見覚えがあり、更に言えばまだ俺が現役大学生だった頃に一度だけ顔を合わせた記憶が蘇る。土方さんが「この大学に妹が入りたいなんて言いだしてよぉ、今日は見学に来てんだ」と言うあの時の台詞が鮮明に脳内で再生された。

目の前でぱちぱちと瞬きを繰り返し首を傾げているこいつはまだあの時制服を着ていて、土方さんの後ろでおどおどと、野次馬で群がる俺達を見上げてた。
そうだ。そうだ。思い出してきた。
でもそうだったらなんでこいつが此処に居る。
なんで俺のベッドに居る。何で裸…。

確か、名前は、


「………なまえ、」
「はい?」

俺も勢い良く身体を起こし、起き上がった所為で視線が上下入れ替わる。
シーツを手繰り寄せ身を隠すなまえとは反対に腰まで落ちたシーツをそのままに俺は頭を抱え込んで冷や汗を滲ませていた。
「お前等興味津々なのは良いが…なまえに手ェだしたら切腹させんぞ」と、まるで鬼の様な形相のこいつの兄貴が脳内に現れたからだ。

そんな俺を見て戸惑っているらしいなまえが、俺の曲がった背に触れ「大丈夫ですか?」と控え目に聞いてくる。一度しか聞いた事の無いその名前を一発で思い出した俺の頭はやはり優秀だと思うが、何で肝心な事が出てこねぇんだよ。と自分で自分を攻め立てる。

「あの…もしかして、左之さん…昨夜のこと覚えて、」
「………………、」
「無いんですね、」
「……………悪ぃ」
「………………、」

顔を上げずに、胡坐を掻いたまま前のめりになっている俺の隣りから重い沈黙が降って来て思わず身体が固まった。
そりゃあ何度も何度もこういう事はあった。若気の至りだと言われたらぐうの音も出なかったが、今は昔とは違う。もう俺は大人だ。
いい年した大の大人が、行き当たりばったりの…しかも知り合いが溺愛してる(多分)妹に手を出しちまったと言うのだから救えない。


「……あの、わたしごめんなさいっ、あの、」
「いや、お前が謝る事じゃねぇよ…俺が悪いんだ。何も覚えてねぇ俺が悪い」
「そんなっ、」
「土方さんの妹だとかそんな事じゃなくてよ…。女一人傷付けておいて何も覚えてねぇじゃ済まねぇよな…」
「え?…あの、左之さん…、」

頭を抱えていた腕を重力に任せてそのままベッドに落とすと、やはり高かっただけあって良くスプリングが聞いて甲が弾む。
そのままゆっくり頭を擡げたまま隣りを見上げると、先程よりずっと困惑しているなまえが居て。カーテンから差し込んだ昼間特有の強い太陽の光りに薄っすらと照らされていた。

こいつ、こうして見ると土方さんとはまた違った顔の作りをしてる。
土方さんが強面だとしたら、こいつは甘い。
眉を下げたら尚更だ。

あの日、兄の後ろを付いて回っていた後姿からじゃ想像も出来ない成長っぷりと、いい女になったなぁと言う感情。
守りたいと男に思わせる力と、いい女だと瞬時に心を奪う力も持ってると思う。実際に俺が、そうだ。

今更痺れが襲う腕を擦りながら、ここでやっと身体を起こし切った俺を見上げて何かを言いたそうな目をしっかり視線を合わす。


「これも何かの縁だ…。俺はそう思うぜ…?なまえ、」


そう言うと、自然と零れる笑顔。
一目惚れなんて信じては来なかったが、この出会いはいつまでもふらふらとしている俺への運命の巡り合わせか何かだろう。そうとまで思い始める俺の寝起きの頭は、昨夜の記憶も無いままなまえへと芽生えた感情に染まりつつあった。

男なんてなぁ、
いつだって単純で、豪快で、それでいて…繊細なんだ。
だから馬鹿なんだろうなぁ。

す、となまえの頬へ伸ばした手がその白い肌に触れようとしたその時。
なまえの口が開き、俺は浸っていた夢から現実へと引き戻される事となる。


「あの、左之さん…忘れているみたいなので、改めて謝らせて貰います、」
「…は?」

ぴたりと止まった腕が微かな風を感じて、何だ?と思った時には既になまえが顔を真っ赤にして頭を下げていた。

「ごめんなさいっ!!!昨夜はご迷惑をお掛けしましたっ!!!」
「は、はあ!?」
「わたし、あんなにお酒飲んだの初めてでしてっ!!!永倉さんビール瓶で殴ったり、原田さんの携帯奪って歳兄さんに悪戯メール送ったり、あっ、あとお二人に送って頂く途中で永倉さんを側溝に落としてその場に放置したり…し、仕舞いには盛大に、その、」

「……………、」

涙目で謝罪をするその高く可愛らしい声は段々小さくなり俺の耳に届く。
ちょっと待て。待ってくれ。
新八を殴り側溝に落とし放置してきた?あと聞き違いだと有り難いんだが、土方さんに…悪戯メールを…。待て。

「ちょ、ちょっと待て!そもそも俺と新八と会ったのは」
「あ、ちょっと仕事で嫌な事があってふらっと一人で入ったお店に、お二人が居て…その、一緒に飲もうと言ってくださったので、」
「………お、思い出してきた、」

そう、説明をされると酒で飛んじまった記憶っつーのは簡単に戻ってくるもんだ。

今も言葉一つで安易に想像が付き、それが現実に起こった時の映像が一気に流れ込んでくる。そうだ、新八が遊びに来てやがって…たまたま見つけた店で飲んでたら、女が一人で飲んでて「いい女がしけた面してんなぁ…」なんて、身振り手振り話す新八の話なんてそっちのけで見てたんだ。
そしたら、その顔に心当たりがあって…どこか懐かしい様な。そんな。

「そうだ…っ、そこで気付いたんだ…っ、思い出したっ」
「あ、思い出してくれました?」
「ああ、思い出した。んで新八に聞いたらあいつが土方さんの妹だっつーから、やっぱりそうかと声掛けたんだ」
「わあい、」
「そっから、お前が暴れて飲み潰れて帰りも泥酔状態で手に追えねえって俺が、」

家が、近いからと…。

「そうだ、その時お前が…吐、」
「えへ」



その日、何もかも思い出し飛び起きた俺が、悲惨な姿で捏ねてある昨日着ていた服達を見つけ真新しいドラム型洗濯機を昼間から動かす羽目になったのと、慌てて見た俺の携帯の着信履歴一杯に土方さんの名前が並んでいて、更に真っ青になったのと。

「なまえ、」
「はい?」
「服…俺の貸してやるからよ、取り合えず遅い朝飯でも食うとするか」
「はい!」

「お詫びに何でもいう事聞きます」と言ったなまえに俺の部屋の家具選びに半日付き合わせ、いつの間にか余計な物まで買わされ、部屋が俺の趣味じゃない物で賑わい笑ったこの日

俺達は確かに新しい何かを始めていた。


「ちゃんと土方さんの誤解解いてくれよな。実際にあのまま服脱ぎ散らかして二人とも寝ちまったんだから…」
「はい、歳兄さんは話せば解ってくれる人ですよ、」
「でも、あれはねぇよ、俺が殺される…」
「え?じゃああの嘘を本当にしちゃえばいいんですよ、そうすれば何も言われません」
「お前なぁ…」



“土方さん。俺にあんたの妹をくれ”




こんなハジマリどうでしょう

(わたし、ここから少し歩いたところにあるアパートで一人暮らししてるんですよ)
(そうか。だったらいつでも…、)
(はい?)
(いつでも会えるな。なまえ)
(…はい!)



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