いやぁ…、やってきました温泉地。

あれ?「今本編が社員旅行で温泉に言ってる」って言葉が頭に浮かんだけれど一体何のことだろう…疲れてんのかな。とガイドブックを捲っていた手を止めて顔を上げると、そこには都会では到底見られない様な広大な自然が広がっていた。

「おおおおおっっ!斎藤さん斎藤さんっ凄い眺めですね!」
「………俺は一時間前からこの景色を見続けているが、」
「あ…はい、寝ててすみません、」
「いや、出発が早かった故仕方ない。それに、その…」


もう春だと言うのに肌寒い外とは違い、暖房が入り温かな車内。
実はつい十分前まで助手席で爆睡していたわたし…。ずっと早朝から車を運転してくれて居る斎藤さん、本当にごめんなさい。
段々言葉の語尾が小さくなっていく斎藤さんは、ぎゅうとハンドルを握りこれ以上ないだろうと言う位の小さな声で「嬉しかった」と、いつも運転の時のみ掛けている眼鏡を利き手じゃない方で直し笑った。
助手席で寝るという事は安心して運転を任されている証拠だと、こちらを向かずにそう続けた彼に一発でノックアウトされてしまったわたしは、ガイドブックを口元に寄せ「ずるい…です、」と返すのが精一杯だ。…本当に、ずるい。

実は、ずっと仕事が忙しく付き合ってから一度も二人で旅行に行った事が無いと沖田さんに愚痴…話していたのを影で聞いていたらしく。斎藤さんが旅行のパンフレットを沢山持ってきてわたしに「温泉へ行こう」と鼻息荒く詰め寄られたのがつい一ヶ月程前の事だ。
突然舞い込んだ「初めての温泉旅行」に自ずとわたしの鼻息も荒くなり、あれよあれよと言う間に当日を迎えたと言う訳。所謂ゴールデンウィーク旅行と言うやつだ。

「でもホントにゴールデンウィークだって言うのに、一ヶ月前によく予約取れましたね」
「ああ、何件の旅館にキャンセル待ちを申し出ていたからな」
「へえ、さすが斎藤さんですね、仕事と同じで抜かりないっ!」
「もし取れずとも、まぁ…泊まる場所は…ある、しな…」
「うえ…っ、」

ま、真っ赤になるならそんな事言わなければいいじゃないですかっ!!!
未だ真っ直ぐ前を向いたままの斎藤さんは、自分で言った癖に照れていて…ああ、いつの間にかこんな事もさらっと言う様な関係になったんだと改めて実感して嬉しくなる。まぁ、確かにちょっと栄えた場所に行けば沢山泊まる場所はありますもんね。ラの付くアレが…。

ぶんぶんと首を振り再びガイドブックと睨めっこをしながら窓の外へチラリと視線を移すと、高速を降りた斎藤さんの愛車は温泉街と言われるに相応しい雰囲気の坂道へと車を滑り込ませていく。
沢山ある旅館の前には、観光バスやわたし達と同じだろうか車が列を成して止まっていて…旅館の人達らしき着物を着た人や、大きな旅行鞄を持った家族連れやカップル等で溢れ返っていた。
ああ、この空気。この空気凄く温泉キタって感じする!!!!!

「OLさん、」
「はい!!」
「その…一つ、あんたに言っていなかった事が、」

もう直ぐ泊まる旅館に着くと言っていた斎藤さんが、突然神妙な顔つきで言葉を詰まらせる。それに首を傾げながら「なんでしょう…」と恐る恐る問うと「いや、やはり後でいい」なんて意味深な返事をされてしまった。
実はわたしは今日泊まる宿を知らない。二人でパンフレットを見て決めた宿は案の定予約が一杯で、第二候補、第三候補も同じく撃沈。がっくりと肩を落とすわたしを見て「俺が何とかする」と言った斎藤さんは本当に何とかしてくれたし。だけどこの伏線はなんだろう…。ちょ、実は取れた旅館は凄くボロいとか…いや、斎藤さんが一緒なら何処でも天国になりますしぶっちゃけ港にあるプレハブ倉庫とかでも全然嬉しいですけども!!!でも…も、もしいわく付き…だったりしたら、

「OLさん」
「ぎゃああああああああああああああああっ!!」
「どうしたっ!?」
「いわく憑きはいやぁああああっっ!!!絶対に火曜サスペンスみたいな事になったら真っ先にわたしが殺されるーーっ!霊に殺られるーーっ斎藤さん逃げてぇええ!!!」
「何を言っているっ!旅館前で物騒な事を叫ぶなっ!」

へ?

真っ青にした顔を両手で覆っていると、手首を掴まれ広げられる。そしてわたしの目の前に広がったのは…お化けが出そうな位ボロい旅館……じゃなく、普通にテレビとかで見る綺麗な旅館で。いや、それどころか…これ普通にお高いんじゃないかと言える位に豪華で立派な旅館だった。

「え…こんな新しい旅館がいわく憑き…?」
「…OLさん、頼む。妄想するのを止めろとは言わん。だが、なるべく声には出さない様にしてくれ…」
「あ、や、すみませんっ!わたしったら!」

いつの間にか車は止まっていて、助手席の扉を開けて気まずそうな顔をしている斎藤さんの後ろには、苦笑いで「ようこそおいでくださいました」とわたしに頭を下げた旅館の従業員さんと目を丸くした宿泊客の方々のお姿。

や っ ち ま っ た !

時既に遅しとはこの事。ああ、自爆するなら未だしも斎藤さんにまで恥を掻かせてしまった。おっ死ねわたし。
顔を真っ赤にし顔を上げられないままぎこちない歩き方をしているわたしは、斎藤さんに手を引かれやっぱりぎこちない動きのまま旅館へと向う。駐車場から対して距離も無い場所にある純和風な玄関を潜ると、旅館ならではの落ち着くいい匂い。そして沢山のお客さんと従業員さん達をすり抜けてサクサクっと受付完了。
ずっと落ち込んでいたわたしの手をしっかり握ったまま、てきぱきと受付を済ます斎藤さんの顔は終始見れなかった。恥ずかしっ!

でも、一体何が言いたかったんだろう。
そうは思えど、斎藤さんはいつもの調子に戻っていて仕事のトーンで話しているし、わたし達を部屋に案内してくれる女の人は、くすくすと笑いながら「可愛い彼女さんですね」なんて笑ってるし。…初っ端から酷い凡ミスだ。わたしのばかたれ。



「では、ごゆっくり」
「ああ、ありがとう」
「あ、ありがとうございます…」

通された部屋は結構上階にある一室で、見た感じ二人用と言うより家族用と言う位に広い。一部屋じゃないらしく、襖が閉じられては居るが続き部屋があるのが分かる。やっと二人きりになったところでソワソワと落ち着き無い斎藤さん。案内してくれた女の人が淹れてくれたお茶を啜ると、おもむろに立ち上がって窓の外を眺める彼の背中がある。それを見ると何だかわたしまで落ち着かなくなってきた。

「あ、あの斎藤さん」
「あ、ああ」
「わたし旅館に着いたら一発目に温泉って決めてるんですけど、斎藤さんどうします?一緒に行きます?」
「……………そう、だな」

振り向きはしなかったけど静かに同意した斎藤さん。そうと決まればと室内にあった棚から浴衣を取り出し貴重品を金庫にしまうと「取り合えずちょっと落ち着きましょう」とわたしは笑った。折角温泉に羽根を伸ばしに来てるんだから、初めての温泉旅行と言う名目に照れてなんて居られない。来たからには楽しみますよ!わたしは!
先程犯した失態を持ち前のポジティブで綺麗さっぱり消し去ると、斎藤さんの分の浴衣を彼に差し出した。

その時。

「すまない。あんたが嫌だと言うと折角取れた宿が駄目になってしまうと思い…言えなかった事がある」
「え、」
「こっちに…」

わたしの腕を再び掴んだ斎藤さんの手は少し汗ばんでいて思わず返事をした声が裏返ってしまった。
そのままゆっくりと歩を進めたのは、閉じていた襖の先。
なんだろうと思いつつも、素直に着いて行くと斎藤さんの手がその襖を控えめに開きやったのが背中越しに見えた。


「わ…っ!すごい、客室露天風呂だ!!!!」
「…怒らぬのか」
「え?なんで怒るんですか!?え、やだすごい!わたし初めて見ましたっ!景色も絶景ーっ!山ーっ!あー斎藤さんあっちの山なんてまだ雪被ってますよぉお!」
「……そう、だな」

まさかの豪華オプションだ。
そのまま浴衣を放り投げて走り出したわたしは、襖の先にあるガラス張りの扉を開け放ちかけ流しになっている小さな露天風呂に大興奮していた。すごーい!先程旅館の前からでは周りの建物で隠れていた自然をわたしが独り占めしている様な気すらしてくる。この露天に浸かってお酒なんか飲んじゃって(※お風呂に入りながらの飲酒は危険です)、更に夜になったら眼下に広がる柔らかい灯りを眺めて優雅に…なんて!やばい風間さんなんて目じゃない位のリッチさ!
取り合えずボタボタと涎が垂れそうなのを我慢して飲み干し、満面の笑顔で斎藤さんを振り返る。

しかし、未だ部屋の中に佇んでいる斎藤さんは俯いていて。どうしたんだろう、と身体を起こして良く見るとその顔は真っ赤になっている。

そこでハタと気付く。


「…あ、な、なるほど」
「……ああ、その、どうする」
「どどどどどうするって言うか、あ、わたし」
「取り合えず…あんたが先に入れ。俺は大浴場の方に、」
「うぇっ、」

そうだ。完璧に忘れていた。これは家族や友達と来た旅行じゃない。そりゃ女同士だったり家族とだったら恥ずかしげも無くここにだって入れちゃう。でも相手は斎藤さん。付き合っていると言ったってお風呂に一緒に入るのは未知の世界であって…。そりゃ、身体を見せるのは初めてじゃないし、恋人なんだから普通じゃんとか言われそうだけど。お風呂は恥ずかしい…。きっと斎藤さんもわたしが嫌がると思って、今日まで言えなかったんだろうなぁ。気を、使わせてしまったみたいだ。

大浴場に行くと言って続き部屋へと歩いて行ってしまった気まずそうな背中を追いかけて、そのまま体当たりかと言う位に突進して抱きつく。「う、」と若干苦しそうな斎藤さんの声を頭上に受けたわたしは、そんな彼の背中に顔を埋めたまま小さな声で呟く。

顔は、負けじと真っ赤だ。


「斎藤さんと、入る」
「いや、しかし…無理を言うつもりは」
「は、入りたいんですっ!折角お部屋に付いてるんですよっ!わたし達もう恋人でしょ!」
「っ、…OLさん」
「斎藤さんと初めての温泉旅行、ですから」
「…………」

うーん…と何だか困った顔の斎藤さんを見上げると、やっぱり耳まで真っ赤で。なんでこの年になって恋愛でこんなにもドキドキしてるんだろうなんて冷静に考えている一方で、わたしの顔はニヤけ顔で。
ああ、この人の恋人になれて嬉しいなぁなんてやっぱり再確認してしまった。仕事をしている時や、普段部屋に居る時、それとはまた違った表情に出会えたのは温泉旅行効果だろうか。
クスクスと笑っているわたしの腕をゆっくり解いてこちらへ向き直した斎藤さんは「何が可笑しいのだ、」と若干弱めに凄んだ後、優しく抱き留めてくれた。

「夕食までは、まだ時間がある…。俺は温泉に浸かり運転で疲れた身体を解す」
「ぷ、何だか説明的ですね!」
「仕方ないだろう。………OLさん、」
「はい、」
「あんたはどうする。一緒に入るか?」

そしていつも愛を囁く時と同じ様に、少し落としたトーンでわたしの耳を掠めた唇は「明るい場所は初めてだな」なんて、ちょっと嬉しそうにナチュラルなセクハラ発言をしてくれた。
返事をする前にわたしの服のボタンに掛かる手を見下ろしながらわたしも笑うと、目の前にあるの斎藤さんの赤みが掛かった耳に唇を落としてこう言った。


「大浴場にも入りたいので、ここでは手加減してくださいね」


「ああ」とゆっくり動いた唇を首筋に感じながらわたしの頭の中にはある方程式が浮かんできたが、隣りの部屋から立ち上る露天風呂の零れ湯気によって、それはどこか遠くへと飛んでいった。


「…では酒でも飲んでゆっくりと、」
「はい」





露天風呂+斎藤さん+お酒=桃源郷

(うわああああ!何此れおいしいぃいいい!!!!)
(既に瓶を二本開けているが、あんたはここに来てもそれか)
(え!?いやあ、最初は恥ずかしかったんですけどお酒入ったらもうただただ気持ち居ですっ!ビール美味しいっ!温泉美味しいっ!)
(俺はもうのぼせそうだ…、)


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