日向ぼっこ、入道雲。
子供の声、泥遊び。
風の音、落ち葉の影。
いつから太陽を嫌いになったんだっけ。あんな泥んこになって走り回ったのはいつだっけ。

僕の足は、いつ止まる?
僕の手は、いつ手離す?


「総司さん、聞いてますか?」
「うーん…、聞いてるよ、どこか出掛けたいんでしょ?」
「はい、折角の非番ですし天気もいいので」

日陰でひやりとした縁側が僕が頭の後ろに回した腕に触れて気持ちいい。今日は本当に暑い、それこそ憎らしい程に。
ごろんと寝返りを打って沓脱石の前にいるなまえちゃんを見上げると、逆光で影になっているのにその表情は柔らかく僕を見下ろしている。
ちゃんと両手を前で組んで「総司さん」と呼ぶ声も、連日の洗濯仕事で焼けて薄っすら赤くなっている腕も、今は全部僕のものなのに。

「ごめん、今日はそんな気分になれないんだ。ほらそこの子供達と遊んでおいでよ」
「もうっ、そうやってまたはぐらかして…前もそう言って断られました、」
「だって朝から稽古でくたくたなんだもん」
「…総司さんは不健康です、」
「健康だよ。だからこそああやって朝から土方さんに扱かれるんじゃない」

だらしなく肘を付いて頬を支え、けらけらと笑ってみせる僕にじとりとした視線を投げたなまえちゃんは、ひとつだけ溜め息を着いて空を見上げる。ひさしにした手の平が太陽に透けて赤くなり、指の隙間からきらきらと零れていく光りが僕を照らした。

ごめんね。わざとだって言ったら君は怒るでしょう?

「こんなに気持ちのいい夏日なのに、一日こうして縁側に居るの総司さんくらいですよ」
「別にいいじゃない。気持ちいいんだから」
「…じゃあ、わたし一人で行っちゃいますよ?今日は河原沿いの神社で縁日があるんです!」
「うん、いってらっしゃい」
「後で行きたかったって言ってもわたし…知りませんよ?」
「うんうん、そうだね。その時は今の自分を怨むとするよ」
「もう!ほんとに知りませんっ!」

そして、目に涙いっぱい溜めて泣くんでしょう?

手を翳した事で少しだけ乱れた衿を直して、まるで土方さんみたいに眉間に皺を寄せたなまえちゃんが遠くなっていく。ひらひらとその背中に手を振っていた僕はふと自分の手の平を眺めてみる。
まだ少しも変化が無いのに…、この手ではもう君の事も触れちゃいけない。別に刀が握れなくなった訳じゃない、走れなくなった訳でもない。なのにどうしてこんな事で生を感じなきゃいけないんだろう。

「当たり前の事がもう直ぐ出来なくなるね、」

それは僕の行く末。待っているのは行った事も無い黄泉の国らしい。松本先生も人が悪いや…。「来る時は一気に来る。動くのは今の内だ」なんて…まったく聞きたくも無い情報くれちゃってさ。余計な事言われなきゃ今だってなまえちゃんについて河原にでも行って水遊びするのに。さっきまで庭で遊んでいた近所の子供達にだって遊んで貰うのに…。

僕の肺が病気だって言うのは何となく気付いてた。
最初は咳が酷いなぁ、とか胸が苦しいなぁ程度だったのに、今じゃそれが当然になって。
それこそ呼吸をしている事、走っている事、笑っている事、そしてなまえちゃんや他の仲間と一緒にいる事、それら全てが当然の事柄だったのと同じ様に。
今となってはそれが全部逆転しちゃって…ゆっくり違和感に変わり、そして病気だという事が何より着いて回る。

まだ時間はあるみたい。
でも僕は準備を始めなくちゃいけない。

「おう、総司どうした。んな所でぼけーっと自分の手の平なんて見つめちまってよ」
「ああ、なんだ…新八さんか、」
「んんー、俺じゃあ不服かってんだ!…しっかしいい天気だよなぁ!なまえちゃんとどっか遊びにいけばいいのによぉ」
「あーあ。何かこの暑い中新八さんが来ると辺りの気温が一気に上がって余計暑苦しいや」
「おん?おめぇ喧嘩売ってんのか?」

いつの間にか僕の後ろの部屋からひょっこりと顔をだした新八さんが、げらげらと大きな声で笑いながら覗き込んでくる。顔を顰めて振り返ると、部屋の縁に手を掛けながら、さっきのなまえちゃんみたいに太陽を見上げて眩しそうに目を細めていた。
のそりと身体を起こすと、膝立ちになって項垂れた。なんで夏ってこんなに暑いの?馬鹿みたい。

「新八さんって、無駄に汗流してそうですよね。勿体無いなぁ」
「…はあ?どういう難癖だよ、お前ぇだって汗の一つ位掻くだろ。こんだけ暑けりゃなぁ…」
「僕は無駄な汗なんて一滴も垂らしませんよ」
「くぅ〜可愛くねぇ!」

がんがんと畳を蹴って悔しがる新八さんに笑いながらも僕はゆっくり立ち上がる。

「そういや、最近なまえちゃんがお前が掴まらねぇっつって屯所内走り回ってるぞ。いつもいつも鬱陶しい位にくっ付いてたお前等がらしくねぇ」
「………たまたまですよ」
「まぁいいけどよ。あんまり悲しませんなよぉ、女泣かせていいのは一人前の男になってからだっ!」

そう言って相変わらず下品な反応で僕の肩に腕を回して来た新八さん。
一人前…って、僕からしたら新八さんだって子供が無駄に筋肉付けただけじゃない…と喉元まで出掛かって思わず飲み込む。

一人前になれる前に死んじゃう人間はどうしたらいいのさ。

「別に、泣かせたいなんて思ってませんよ」
「そうか?ならいいんだっ!」
「ほら、さっさと行ってくださいよ。今日巡察でしょ」
「へいへい、んじゃなー」

あの人と絡むと碌な事になりはしないんだから早々に退散して欲しい。こんな所土方さんに見られたら一緒になって怒鳴られるんだから。

「さ、僕は部屋で昼寝でもしてよ」

服を掃って自室に戻る時、一つだけ強い風が吹いた。大きな入道雲が太陽を覆う。

「…そのまま呑まれて、消えちゃえ」

ぽつりと呟いた僕の頭には、笑顔のなまえちゃんが映っていた。






「おいやべぇぞっ!今から探しに行こうぜっ!!」

がたがたと煩い足音と聞きなれた怒鳴り声に瞼を起こすと、いつの間にか辺りは真っ暗で、僕は昼前から今まで一度も起きる事無く寝ていたのだと気付く。
むくりと身体を起こして目を擦ると、障子を締め切った部屋の中がぼんやりと見えた。その間中どたどたと煩い足音を不快に思いつつもなんだろうと腰を上げる。畳でそのまま寝ていたから身体の色々なところから骨が鳴る音が聞こえた。


「どうしたんですか?皆揃って」
「総司っ!てめぇいつまで寝てやがんだ!」
「煩いですよ土方さん、僕がいつ寝てようと関係ないじゃないですか。今日は非番なんだから、」
「…そうじゃねぇっ!…っ、総司良く聞け」
「は、」

明りが灯った広間に行くと、何だか幹部全員勢揃いでその顔色は怒ったみたいに歪んでいて、瞬時に何かあったのだと分かった。でも、飛んできた土方さん怒声が一瞬で悲痛な物に変わり僕の胸をざわつかせる。そうだ、あの時。屯所の裏で松本先生と会った時みたいな痛い胸騒ぎだ。

「…なまえの行方がわからねぇ、お前が最後に会ったのはいつだ」
「…は、?」
「今の所最後に姿を見たのは平助だ。昼前に独りで屯所の門を潜って外に出て行く背中を見ている。言え、お前一日屯所に居やがったんだろうがっ!」

一瞬息の吐き方を忘れた。

だってもう空を見れば安易に遅い時間だって分かる。
「そんなのありなの?」ってまず思った。僕が触れられないから独りにさせて…。独りにしたらしたで、こんなにもあっけ無くその姿が遠退いていくなんて…。

「僕が話したのは、屯所を出る前…平助くんの前ですよ、」
「くそ、っ!」
「土方さん、俺達も探しに…」


そう言い掛け立ち上がったはじめ君の隣りを僕の脚が駆け抜けた。

そのまま縁側を飛び降り走り出すと、後ろから沢山僕の名前を呼ぶ皆の声が聞こえた。

準備って何?
手離すって何?
死んじゃうって僕が?

前に見た本に載ってた。死ぬってのは空にある太陽や金平糖みたいなあの星粒よりずっとずっと遠くに行くって事。そして大好きな人には二度と逢えないって事。
その時僕はまだ何も知らなくて「馬鹿みたい、」なんて笑っていた。死んじゃったらそこで御終いで…その先なんて無くて、二度と逢えない人を想うくらいなら、突き放して手離してあげた方が賢いんだって。

なのに、なんで今僕は走ってるんだろう。


裸足でさ。


「なまえっっ!!!!!」
「そ、総司さんっ!?…え、なん、で」

息が切れて苦しくて、でもまだ足は動いて止まらなかった。月明かりがまだ地面にある余熱を温めていて、不思議と裸足なのに痛くは無かった。どれだけ走っただろう、気が付いたらいつも一緒に来ていた河原に立っていた。
そして川辺に座り込む小さな背中を見つけたと同時に、ぼたぼたと僕の額から汗が地面に落ちたんだ。

「…っの、馬鹿!!何でこんな、時間まで帰って来ないのさ!!」
「っ、ご、ごめんなさい、」
「屯所は大混乱だ!君、っ、自分のした事分かって…る?」
「落し物、しちゃ…っ、て、総司さん、ごめんなさ、」

ごほごほと咳き込む僕を見て、泣きそうになっているなまえちゃんを何とか片手で掴まえる。着物の端を掴み、肩で息をする僕は情けないと思いつつも顔を上げられなかった。

「落とし、もの…?」
「うん、総司さんに…縁日でお土産、金平糖買ったんだけど、わたし落としちゃって…今までずっと探して、っ、」

ついに大きな目から涙が零れて、頬に伝ったそれにお月様が反射して映る。
それを見た途端、身体からすっと力が抜けたみたいになってその場にへたり込んでしまった。慌てて僕の身体を支えたなまえちゃんだったけど、わんわんと泣き続けるその顔は昼前に見た時よりも焼けていて、一段と真っ赤になっていた。今日は日差しも強かったから、きっと暑かっただろうに。

「あっはは、はぁ…っ、こんなに全力で走ったのって久し振り…しかも寝起きだからすっごい、全身心臓になったみたい、」
「本当にごめんなさい、それに金平糖見付からなくて、」
「いいよ、それはまた今度買えばいいでしょ?ありがとう、」
「最近、総司さん元気が無かったから…わたし」

驚いた。
笑っていたけど、僕の変化に気付けていたなんて。多分…僕の身体の事を知っているのは土方さんと近藤さんはどうだろ…、あとはじめ君辺りかぁ。あの人達はそう言うのに敏感だから仕方ないとしても、君はそう言うの一番気付かなさそうなのにね。

まだ涙を流して謝るなまえちゃんの頭をゆっくりと撫でると、そこでやっと呼吸が落ち着いてきた。普通に喋れる。まだ僕の心臓は動いてる。

「いいから帰ろう。皆待ってるよ」
「はい…」
「大丈夫。僕は最期まで君を手放す気、無いから…」
「え…、」

よっこらしょと腰を上げると、草むらにつけていた僕の足を見て更に泣き出してしまったなまえちゃん。まあそうだろうね。裸足で外に出るなんて僕じゃ絶対にありえないから。

「ねぇ、なまえちゃん」
「はい、」
「次…僕の非番の日は開けておいてね」
「え、はい」

遠くからみんなの声がする。
あの人達はやっぱりじっとして居られなかったみたいだね。


「いっぱい話をしようか。今までの事と、これからの事…太陽が昇ってから、沈むまで一緒に居たい」



もう色々考えるのは止めよう。新八さんの言う通り。僕はまだこの子を泣かせちゃいけない。泣かせるのは僕があの月の裏側に逝く時にしよう。

それまでに、やりたい事は全部やって笑って「ありがとう」と「すきだよ」を言える様に。

太陽をまた好きになって。
泥だらけになって遊んで。

「おーい!総司ーっ!なまえ居たかーっ!」
「てめっ!履物忘れてんじゃねぇよっ!」
「総司!あんたは少し人の話を聞くと言う事を覚えろ!」
「お、ありゃなまえか?よかった見付かったか」
「ったく、面倒掛けさせやがってよぉ…」


そして何より大切ななまえちゃんと、この裸足の足が地から離れるその日まで。


「行こう、走れる?」
「はい!」




駆け抜ける

(と、その前に)
(っん、そ、総司さ、)
(帰ったら一緒に土方さんのお説教聞こうね)
(一緒に……、はいっ!!)


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