『んで?お見合いの話どうなったの?はじめ君』

営業周りに出ていたわたし達四人は、ランチで混み合っているお店のテーブルを囲み束の間の休息を取っていた。
わたしに沖田さん、そして山崎くんとはじめ君…所謂営業チームと言う奴だ。
それぞれ今日あった商談の話をしながらも昼食を取って居た時。突然思い出した様に沖田さんがはじめ君に向けてそう言い放った。

『……………、』
『ああ、そう言えば斎藤さんは、部長から娘さんとお見合いの話が出ていましたね』
『あの部長そっくりの女の子でしょう?前に一度遊びに来てたもんね。はじめ君気に入られちゃって、他の女の子が凄い目で見てたから覚えてる』
『そうじゃ無くてもつい一週間前の話ですよ、沖田さん』
『一週間前なんて僕に取っては遙か昔の話だよ。一々突っかかってこないでよ山崎くん』

だんまりなわたしとはじめ君を置いて話している二人を見ていると、なんて事無い昼下がりの世間話。でもそれを聞いた時、いつも上がっているわたしの口元は固まった様に動かなくなっていた。
『どうなの?写真見てなんか部長と話してたじゃない』と言う沖田さんに『いや…、』と言葉を濁したはじめ君を見たわたしは、カチと合さった奥歯に感じたことの無い位の強い力が入って少し痛くて…それを隠す様に俯いた。周りの人にはわたし達が付き合っているのは内緒だったから何も言えなくて…でも、その時は言うつもりなんて少しも無くて。そんな事より早くはじめ君と二人きりになりたくて、早くそのお見合いの事を聞きたくて。固まった口元のままわたしは無理矢理笑った。

その日の夕方。

「…すまない。あんたに心配を掛けない様に配慮したのだが、逆に悲しませる結果となってしまった…」
「ああ、いい、いい!部長だもんね、そりゃ簡単に断れないよ」
「…………、」
「ほ、ほら!だからわたしみたいにペアリングはめておけば良かったのにっ!うちの会社緩いんだしっ!女避けだーって!あはは」

自分の右手の薬指にははじめ君とお揃いで買ったペアリング。
根が真面目なはじめ君は、仕事中に腕時計以外の装飾品を付けた事はない。それが少し寂しいと思いつつも、同僚には内緒だし、休日一緒に居る時は構わず嵌めてくれているから、わたしはそれで十分だと普段から笑ってたんだ。
何も言わないはじめ君はじっと俯き難しい顔をしている。空回りしているわたしの笑い声が狭い給湯室に響いて何だか胸騒ぎが止まない。時は既に退社時間だから、人がくる心配は無いだろう。

「…断る、よね?はじめ君、」
「すまないが…最低お見合いだけは出席せねば成らぬ…」
「え!?なんでっ!?」
「…今あんたも言っただろう。相手が部長故に安易に断れない」
「そ、そうなん…だ、」

あはは…、とやっぱり空しく零れるわたしの笑い声を聞いて、益々難しい顔をしたはじめ君は脚の横に付けられた手で拳を作っていた。
まあ、わたしの年になって見っとも無く「他の女と会うなんて許さない!」なんて事言えないし、言っちゃいけない。部長だってわたし達の関係なんて知らないし、バレたらバレたできっと何かしらの弊害が起きる。社内恋愛なんてどこもそんな物だと、誰かに聞いた。

「今週の金曜日に、予定されている」
「仕事、は?」
「部長が上司に取り計らってくださった。俺とてそれは納得が行かぬ。…しかし、」
「そっかぁ…。じゃあ、午後ははじめ君居ないんだね、」
「…直ぐ戻るつもりだ、」
「あははは、そうは行かないでしょう!だってお見合いだよ?ご趣味は…とか後は若いお二人でぇーとかやってたらいつの間にか夕方だよ!」
「…なまえ」

未だに笑顔を続けるわたしとやっと視線を合わせたはじめ君は、今までに見た事ない位眉を寄せていて「本当は、行きたくないのだ」と何度も何度もわたしに謝ってくれた。
でも、わたしが嫌だって言っても何も変わらないのがこの世の摂理。それは社会人になって何度も経験してきた。
上手くいかない、思い通りにいかない、壁は何枚も何枚もわたしの前に立ちはだかって、それを超えるのは断じて容易い物では無い。だからこそ、わたしは真っ直ぐ前を向き、泣くのをやめたんだ。

壁が高ければ高いほど。
厚ければ厚いほど、
わたしは笑顔を貼り付け登る。

「いいよ、行っておいでよ、わたしは大丈夫だから」
「…なまえ、すまない」
「うん…、あはは…」
「……………、なまえ、俺は」

一歩前に出たはじめ君が、ゆっくりとわたしの頬に触れる。この触り方はいつも二人で居る時の暖かいそれと同じだ。いつも瞼が落ちてふにゃふにゃになってしまう筈なのに、今は…今だけは、どうしても力を抜けなかった。
力を抜くと、きっとこの貼り付けた笑顔はみるみる崩れて

泣いてしまうから。

「はじめ君?どうしたの?」
「…いや、なんでもない。もう帰ろう」
「うん。じゃあ先に出るね、また駅で」
「ああ、」

給湯室を出て行く時、一度も振り向かず扉を閉めたわたしの耳にもう一度小さな声で「すまない…」と謝罪が聞こえた。

その日から、金曜日までわたし達は一度も連絡を取らなかった。
はじめ君も悪いと思っているから連絡を取りづらいんだろう…。そういう人だ。
真面目だサイボーグだなんて一部の同僚から言われているはじめ君だけど、そんな事ないんだから。照れて真っ赤になってる姿なんて凄く可愛いし、好きな事話してる時なんて子供みたいで、そして凄く大事にしてくれるし。

…そりゃ、部長の娘さんの一人や二人。
余裕で一目惚れさせちゃうくらい格好いいんだから。
だから今は笑っていよう。それでお見合いが終わったらはじめ君に直ぐ電話を掛けて、笑って「お疲れ様」って言うんだ。そしていっぱいいっぱい抱き締めて貰って、いつもみたいに甘いちゅうして貰うんだ。

だから…


「斎藤くん、そろそろ行こうか」
「…は、」
「もうホテルのレストランは押さえてあるから。それに娘ももう向っていると連絡が入った!いやぁ、楽しみだっ!」
「…そうですか、」


笑え。


「あれ、なまえちゃん、今日は指輪してないの?」
「…沖田さん」
「何?自慢の彼氏と喧嘩でもしたの?」
「あはは…そう言うんじゃないですよ?」

今日に限ってデスクワーク。
後ろではじめ君と部長がしている会話を無意識の内に聞いていたわたしは、突然隣りのデスクに戻って来た沖田さんに右手を取られそんな事を問われていた。
嫌でも時間は進んでいく。無気力に過ぎた時間をどうすればいいのかわたしには分からないでいた。兎に角先にある、これからの時間が嫌で嫌で、辛くて辛くて…。仕事も全然手に付かないのにいつも通り笑っているわたしは、一体何をそんなに悲観しているんだろう。

別に、カタチだけのお見合いじゃない。
はじめ君が、別の女の人に笑って、話して、仕事以外でいつもわたしに向けられていた言葉を…その人に、

「あ、それとももしかして…」
「あはは……え?」

「じゃあ斎藤くん、行こうか。会社の前に車は付けてあるから」
「…………はい、」

わたしの後ろを歩いて行く力強い足音は、大好きな匂いをわたしに届かせながら消えようとしている。いやだ、いやだよ。


「その指輪って男避けだったりする?」
「今日は娘をよろしく頼むよ斎藤くん」


嫌だよ。はじめ君。


「ふ、うえぇえ…っ!嫌だぁー…、」


行っちゃいやだぁー…。


「え!?なまえちゃんっ!?」

「…部長、すみません」
「え?!斎藤くんっ!?」


決壊したダムは、自分の力じゃどうにも成らなくて。心が痛くて、目が熱くて、いつもは得意な笑顔が作れなくて。
ついに声を上げて泣き出してしまったわたし。沖田さんが珍しく慌てた様にわたしの名前を呼んで「どうしたの!?」と覗き込んできたけど、何も言えなかった。

だって。


「触るな、総司。俺のだ」


ぐい、と椅子の背を掴んだはじめ君がわたしの身体ごと椅子を回転させて、いつの間にか今まで目の前にあったパソコンが消え、わたしの視界には目一杯はじめ君のスーツが映っていたんだから。

「は、はじめ君?」
「斎藤くん、何を」

わたしを包むはじめ君の匂いを肺に目一杯吸い込みながら、わたしは笑顔を作る間も無く大口を開けて泣いていた。同時に頭の後ろに回された腕が強くわたしを引き寄せて、息も出来ない位に押し付けられる。もう何が何だか分からなくて、ただここが会社だと言う事も忘れて縋りついた。
ざわざわと騒がしいオフィス内は、いつの間にか静まり返っていて、驚きを隠せなかったらしい沖田さんと部長の声が重なって聞こえた。

「すみません部長。お見合いの話は無かった事にして頂けないでしょうか」
「なっ!?」
「今日まで曖昧な返答を繰り返してしまった事は謝ります。…俺には心に決めた女性が居ります故、部長の娘さんとお会いする資格など元より持ち備えておりませんでした」
「……う、ふぇ、っ…はじめ君っ、は、はじめ、く」
「…し、しかしもうホテルに」

はじめ君にしがみ付いたまま、静かに言葉を紡ぐ心地よいBGMをダイレクトに感じながらわたしは心の中で何度も「ごめんなさい」を繰り返していた。
男避けなんかじゃない。あの指輪はわたしが世界で一番大好きな人との唯一目に見える愛のカタチなんだから。

「なまえ。何故あんたは今日に限って指輪をしていない」
「だって!だって、笑っている為にはそうするしか無かったんだもんっ!」
「泣けばいいだろう。現に今あんたは号泣している様に見えるが」
「そりゃ泣くよっ!やだ、やだからっ、はじめ君が指輪しないからじゃん!だから一目惚れとかされるんじゃんっ!ばかっ!ばかっ!」

未だ茫然と立ち尽くし何も言えなくなってしまった部長と沖田さんを尻目に、ゆっくりわたしの頭を撫でながら優しい声音で言われてしまえば、止まる物も止まらない。
ついにわたしが紡げる言葉が「ばか」しか聞こえなくなったのを呆れた顔で見下ろすはじめ君。でもその顔は、何だかとても嬉しそうに見えた。

「何を言っている。俺はいつも肌身離さず身に付けているが」
「え!?嘘だ!だって、指、」
「…………、」

そう言ったはじめ君は、訳が分からず首を傾げながら涙をこぼしているわたしの前で突然ネクタイを緩め始めた。
人差し指で広げられた輪の隙間から、左手で器用にボタンを外していくはじめ君はもう一度「なまえ…」とわたしの名前を呼んでから、ある物を取り出し笑った。

「あ、」
「皆の前で…指に付けるのは…その、照れ臭い故」


そして綺麗な首元から取り出されたのは、チェーンに通されたお揃いの指輪だった。


「いつも、こうして持ち歩いていた…あんたにはその、矢張り照れ臭く…ずっと言えなかったが、」
「は、はじめ君、っ…」
「あんたがいつも通り笑えないと言うなら…俺はいつも通りあんたの傍に居る」

そう言いながら、また両腕で抱き締めてくれたはじめ君にわたしはまた大声を上げて泣いた。



笑いながら。





涙咲いた

(部長。本日予定していた用事が中止に成ったのなら此方の企画書類に目を通して頂きたいのですが)
(え?山崎くん?え?)
(ああ、僕も丁度良かった。今日午前中に片付けた営業先でちょっとトラブっちゃいまして)
(え?え?沖田君!?え?トラブった?え?)

((まぁまぁ取り合えずあっちに(あちらへ)行きましょう、部長))




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