一番手は、沖田さんだった。

「ひっじかったさーんっ、美味しいお団子が手に入ったんですけど、食べたいって言うなら分けてあげても良いですよ」
「いらねぇ」
「じゃあ、沢庵」
「……いらねぇ」

二番手は、原田さんだった。

「よお、土方さん入ってもいいか?」
「どうした、」
「いや、特に用事があるって訳でもねぇんだが、」
「じゃあ悪いな。俺はやる事があるんだ。後にしてくれ」

三番手は、藤堂さんだった。

「土方さんっ!土方さんっ!」
「…なんだよ」
「今日さ!新ぱっつぁん達と島原に行くんだけど、たまには土方さんも行かねぇ?」
「いかねぇよ。それよりお前等…門限過ぎたら切腹だからな」
「…は、はぁい」

四番手は、永倉さんだった。

「おい土方さんっ!!」
「声がでけぇっ!」
「そ、そりゃすまねぇっ!」

五番手は、斎藤さんだった。

「副長。斎藤です」
「おお、どうした」
「………いえ、何も」
「はぁ?」
「失礼しました」
「あ、ああ…」

六番手は千鶴さんだった。

「あ、あの…土方さん、」
「何だ、今日は代わる代わる…俺ぁ忙しいって言ってんだろうが、」
「す、すみませんでしたっ!!!」


慌ててこちらへ駆けてくる千鶴さんを、こっそり柱の影から伺っていたわたし達は「やっぱり駄目か…」と肩を落とした。
この角を曲がった所にある土方さんのお部屋からは、ずっと紙を丸める音と筆を走らせる音が響き続けている。…幾晩前から今までずっと。
数日前から行灯の灯りは消えないし、偶に換気の為と開かれた障子の前を通るとずっと文机に向う背中が丸まって見えていたが、その背中は日を増すごとに低く曲がっていった。今となっては換気も忘れ去ってしまったのか、その硬く閉ざされた障子の奥は窺い知れない。
仕事尽くしの我等が副長を心配してこうして集ったのはいいけれど、悉く門前払いならぬ障子前払いで退散する幹部の方々。

「しかし、ありゃ働き過ぎだぜ…いくら俺達新選組の為とは言え…いの一番にぶっ倒れそうだよな…土方さんが」
「ここぞと言う時に動けない土方さんをからかって遊ぶのも楽しそうだけどね」
「総司…。滅多な事を言うものじゃない。副長は俺達の為に身を粉にして働いてくださっているのだ、からかうなど…」
「でもよ、斎藤。そろそろこの辺で誰かが止めねえと、回るもんも回らねぇ」
「そうだよなー、総司は兎も角さぁ、千鶴でも駄目はじめ君でも駄目となると、やっぱり…」
「ですね…、」

「う、」

こそこそと身を隠す様に土方さんの部屋の方を見ていた視線が、一斉にわたしに向けられ思わず仰け反ってしまった。
つい一刻前、部屋で洗濯物を畳んでいたわたしの元へとやってきた沖田さんと永倉さんに寄って半ば強引に連れてこられ、訳も分からぬ内に巻き込まれてしまったわたしに化せられた使命は「働き詰めの土方さんに休憩を取らせる」事だった。

休憩と言いましても。あの方が好きでやっているのだから、そのままでも良いのでは?と言ったわたしに斎藤さんが「だが、ここ近日の背中を見ていると…いつもより断然お疲れに成っている。このままでは明日にでも倒れてしまう…」なんて、神妙な面持ちで言ってくるもんだから少し怖かったのと「確かに…」と納得し、心配してしまった。

「なまえだったらさぁ、土方さんの扱い上手いだろ?何とかなんねぇ?」
「…と、言われましても。お仕事の最中は何を言っても無駄だと思うのですが」
「でも、最近ずっと夕餉の時間も姿見せない土方さんの事、君も心配してたじゃない」
「まぁ、心配する位だったら、邪魔になりませんし…」
「なまえちゃんよぉ…、好いてる男が過労死なんて末路…見たくねぇだろ?見たくねぇよなぁ?」
「永倉さん、不吉な事言わないでくださいよ!」

困った様な笑顔で見守っている千鶴さんと、土方さんの部屋の方角を見て心配そうに胃を掴んでいる斎藤さんの傍らで、わたしは他の幹部の皆さんに背中を押されて居た。どうやらわたしは最後の切り札だと…そう言う事らしい。

それに、好いてる男…と言われると何も言えない。
確かにここ最近の土方さんは、とても忙しく毎日欠かさなかった剣術の稽古にも姿を現さなかった。それに加え、飯時になると誰かが呼びに行かないとそれに気付かないし、例え呼びに行ったとしても「後で食う」と門前払い。広間に置かれた一膳分はすっかり冷めて、見かねたわたしが部屋まで運ぶの繰り返しだった。
運んでいっても、行儀悪く筆を持ったまま箸を取るなんて言う器用な事までやってのける始末。呆れたわたしが盛大に溜め息を付いても、文机に向ったままうんうんと唸っているだけなのだ。

ここで、わたしが用もなく行ったところで。

「じゃあ、退陣覚悟で行って参ります…けど、もし駄目でもわたしを責めないでくださいよっ!」
「なまえちゃん頑張って!」
「はぁ、千鶴さんありがとう…」

ぐ、と拳を作った皆さんをじとりと見据えながらも、わたしは沖田さんに渡された温めのお茶を二つ手にゆっくりと土方さんのお部屋まで進んだ。
いつもだったら、前に立つだけで気配を察してくれて「入れ」なんて声を掛けてくれるのだけれど、それも今は望めない事。

「土方さん、なまえです」
「…………………、」
「土方さん?入りますよ?」
「……駄目だ、今忙しい」
「…お茶をお持ちしたんですけど、そうですか。ではこれは庭にでも撒いてしまいましょう」
「…………ちっ、入れ」
「失礼します」

取り合えず、飯時と同じ様に言葉の牽制に怯まず障子を開ける事は出来た。ちらりと角を見据えると、何だか嬉しそうな皆さんの笑顔。「よくやった!」と言わんばかりに、各々が音も立てずに手拍子しているのが見えた。

それに苦笑いを返しながらも、ゆっくり色褪せた畳を踏み締める。

「…今日は何の日だ。一体今度は何を企んでやがる、」
「…何も企んでいませんよ。皆さん…働き詰めの貴方を心配してるんですよ。健気ですねぇ」
「お前ぇは何でそれに便乗してんだよ。知ってんだろ、俺達には余裕がねぇんだよ」
「知っていますよ?そんな事はこの身を持って…重々に」

こちらも向かず不機嫌そうな声で「うるせぇ、挙げ足取るんじゃねえよ」と言った土方さんは、やっぱりいつもより背を曲げわたしを迎え入れた。会話こそ出来ているが、その手元は引っ切り無しに文字を綴り続けている。何度も掻いたのか、自慢の黒髪も眉間の辺りが乱れてまるで山篭りでもして居るのではないかと思うくらい。
でも、こんな彼の姿を見るのは別に珍しい事じゃない。そうは思えど、幹部の皆さんが心配している位だからいつもよりは相当な長丁場なんだろう。今回も「またか…」くらいで気に留めなかったからわたしは知らなかった。

「お茶、冷めちゃいますよ」
「…冷めたくらいが丁度いいんだよ」
「そうですか?以前は熱くないと淹れ直せと五月蝿かったと、わたしの頭は記憶してますが」
「…お前、何しにきたんだよ」
「……………、」

曲がっている背中の脇に腰を降ろしたわたしは、その言葉に少なからずむっとした。
まったく…先ほどの永倉さんでは無いですけど…好いた女にこの言い草は無いんじゃないでしょうか。
確かに、新選組副長と良い仲と言う位置づけを貰っているわたしだけれど、それなりに寂しいと言う気持ちはある。寄り添うと決めた時「俺は寂しい思いも平気でさせるぞ」と先に言われていたから、本当はここで潔く引き下がるところなのだと言う事も知っている。

けれど、

「じゃあ、取り合えず此れを飲みましょう」
「だからそこに置いておけ。後で、」
「飲め」
「…………、」


やっぱり、心配くらいさせて欲しいのです。


「だから嫌だったんだよ。お前が来ると毎度こうなっちまう…」
「それはすみませんでした。でも、今回はやりすぎですよ」
「…俺が土台組まなきゃ、あいつ等が歩いていけねぇだろうが」
「そんなの知ったこっちゃないですよ。己の道を己で作れない軟弱者は新選組には居ないんじゃないですか?」
「…言ってくれるじゃねぇか」

ここでやっと筆を置いた土方さんは、降参だとばかりにこちらをじろりと睨み上げた。降参するならもっとそれなりの面持ちをして欲しいものです。ゆっくりと伸びていく背筋は、いつも通りの引っ張る背中で。わたしはいつもそれに寄り添って心臓の音を聞いていたいと、そう思ってしまう。
しゅるり…と着物が擦れる音がして、綿が潰れてしまった座布団の上で身体を此方へ向けた土方さんとやっと対面する事が出来た。

その顔は、まあ。
役者顔負けとも言われる土方歳三には、似ても似つかない位疲れた顔をしていて。もう何日寝ていないのだと、溜め息が出そうになる。

「何度も言いますが、皆さん心配していました。土台を作る方が…歩く者を不安にさせてどうするんですか?」
「……そうは言ってもな。どうにもやる事っつーのは、次から次へと沸いて出てきやがる」
「まあ貴方の言う事もわかりますよ。わたしだって…」

お盆に乗っていたお茶を差し出すと、それを利き手で受け取りじっと見下ろす土方さん。
難しい顔で見ているのは、筆を持ち過ぎて震っている己の指先だ。まったく、そんなに成るまでお仕事をして、いつか本当に誰よりも先に倒れてしまいそう。初めは、こんなに放って置けない人だとは思わなかった。

腰を降ろしたまま少し近付いてみると「それ以上こっち来るな」と視線で止められたが、聞いてなんてやらない。
足も崩さず座していると言う事は、これを一気に飲み干しまた出て行けと言うつもりなんだろう。そうはさせません。

「土方さん、あの」
「…なんだよ」
「頭を、」
「は?」

膝と膝がぶつかる位の距離で、向き合うように目を合わせたわたしに一瞬息を詰まらせた土方さん。そんな彼に旋毛が見える様背を曲げ頭を下ろすと、わたしの視界にいつの物か零れた墨の染み跡が映った。


「頭を撫でてはくださいませんか」
「…………はぁ?」


一拍置いて返って来た言葉は素だった。
わたしも、何故今この状況でこの言葉が出てきたのかは分からない。けれども、今はこの疲れた手に触れて欲しいと身体が動いてしまったんだ。
そのままの状態で静まり返った部屋の中目を閉じると、暫くしてゆっくり茶を受け皿に置く音が聞こえた。

ふわりと降って来た手の平が、わたしの髪を優しく撫でる。

「お前はおかしな奴だよ、」
「それは馬鹿にしているんですか?」
「いや。そう言う訳じゃねぇよ。…ただ、」

そこで言葉を止めた土方さんの腕が、するりとわたしの肩まで降りて来る。そう感じた時には、もう逆の腕がわたしの肩を包んでいた。

「誰に言われても置けねぇ筆が、お前に言われると自然と手から離れちまう…。だからお前を部屋には成るべく入れたくねぇんだ。調子が狂う」
「そ、それは喜んでも…?」
「素直に喜べばいい」
「は、はい…」

頭を擡げたまま上から抱き締められると、いつもの彼の匂いではなく墨の独特な匂いが鼻を掠めた。

「いつもすまねぇな。その代わり…全部終わったらきちんと構ってやるよ」
「期待、してます…」
「だから今はこれで勘弁してくれ」


そう言って頬を掴まれたと思った次の瞬間には、わたしの唇に土方さんの唇が触れていた。


「今度は俺がお前に命じる。なまえ。さっさと構って欲しけりゃあいつ等をここに近付けるな」
「承知致しました土方副長」


惜しむ様に離された唇を凝視しながら、返事を返すと。満足そうに頷いた土方さんが髪を直しながら茶を手に取った。
もう冷めてしまっているだろうそれを持つ手は、もう震ってなど居なかった。そこはやっぱり土方さんだと…そう思う。


「もう十分休まった。お前も待ってくれるってんなら…こうしてだらだら休んでる訳にはいかねぇよ」
「はい。土方さん…頑張ってくださいね」
「ああ、」


最近では見られなかったその微笑に、わたしは己の道を見た。





進むも仕事、待つも仕事



(ぶっ!!!げほ!げっほっ!!!!)
(ひ、土方さん?)
(おいなまえ……この茶淹れたのどいつだ)
(え、多分沖田さんが…淹、)

(総司ぃいいいいいいてめぇええええ!!!!!)

(………あれ、簡単に部屋出て行っちゃいましたけど、)



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