針を布に通しくぐらせ、また布から切っ先を誘い出す。
ちくりと肌を刺す針に肩を震わせていたのはもうずっと昔の話で。

唯一、自分に出来る事は何かと考えたとき、その敗れた隙間を丁寧に閉じる事が出来る人になりたいと思った。

それは布だけではない、例えば人との隙間だったり。そして心の隙間だったり。少しでもお役に立ちたい。見ていただきたい。そればかり考えても破れ目はまだまだずっと先。

どれだけ張り切ろうが、空回り。
出来る事はやりつくしたのだから、あとはもう願うだけなのだ。


「けほっ」

雨が降るとわたしの身体は、わたしの言う事を聞いてくれなくなってしまう。
今に始まったことじゃないんだけれど、やはり床に伏してばかりのこの身体を恨めしく思ったりもする。
元より体力が人一倍無いわたしが、たとえ万全だとして「ここに居るみんなと同じ様に何か役に立つか」と問われたら何も言えなくなってしまうけれど。じゃあどうしてそうまでしてこの場所に留まり続けているのか。

そんなのは簡単な事であって、自分の中ではもう結論なんてとおの昔に出ているのだ。

「…なまえ、気分はどうだ」
「さ、さ、斎藤さんっ」
「無理をして起き上がらずともそのままで良い。そろそろ薬の時間だろう。白湯を持ってきた、入ってもいいだろうか」
「あ、は、はい!大丈夫ですっ、どうぞ…っ!」

まだ影しか見えないその声の主は、部屋の中がまるで見ているかの様に柔らかい気遣いをする。
起き上がろうとするわたしは慌てつつも返事を返し、先程までだらしなく投げ出していた腕を慌てて布団の中へと仕舞い入れ、唇を尖らせる。それと丁度同じ拍子で襖がすらりと音を立てた。
そこには予想通り、盆に一つ湯飲みを乗せ立っている斎藤さんが居て、わたしは込み上げた咳を飲み込み布団を口元まで引き寄せ小さな呻いた。

足音一つ聞こえませんでした。どうしてここの方々は皆さん気配を消すのが上手なのでしょうか。

そんな事を思いながら挨拶をすると、静かに襖を閉め膝を使いこちらへと向き合った斎藤さんがそっと目を細めたように見えた。下から見ると、いつも首元を隠している襟巻きがその表情までも隠してしまい、笑ったのかそうでないのかを伺い知ることはできなかった。

「…今朝方、倒れたと聞いたが」
「あ…はい、すみません。ご迷惑を掛けて…。きっと軽い貧血だと思います」
「土方さんが心配しておられた。いや、違うな…。皆と言うべきか」
「……本当、情けないお話ですね、雨の日はどうしても我慢が利かなくて…」
「つまり、普段から我慢をしているのだな。あんたは」
「い、いえ…そんなっ!けほっ、っ!」

寝転がったまま咳込むわたしを見て、今度は斎藤さんの方が慌てた様に膝を立て「すまない。大丈夫か」と肩を撫でてくれる。普段なかなか触れる事が無いその手の平はとても温かくて、すっと喉の刺が抜けていく様な気がする。
それと同時に、自分の身体への不満が渦巻いて、心配そうに覗き込んでくれる斎藤さんから逃げるように視線を逸らした。

少しでも追いつける希望があるのなら、今直ぐにでも駆け出すと言うのに。
とおいとおい、あなたの元へ。



「あの…そうだ!羽織り。昨晩解れを繕って置いたのですが、不便…ありませんでしたか?」
「あ、ああ…。その、礼を言う。朝の隊務でもなんの問題も無かった。流石だと、」
「よかった!あの、もし何か他にもありましたら、遠慮なく仰ってください。薬を飲んだら少しは動こうと思っていましたので、それに斎藤さんのお役に立ちたいのですっ」
「しかし、熱があるのだろう…。無理をするのは、」

ふ、とわたしの目元に影を作ったのは、斎藤さんの手の平で。自然な動作で上げられた腕が彼の黒衣の袖を広げていく。わたしの額を目指しただろう手の平は、ひとつの足音によって、触れるあと一歩の所で空中にて制止した。

「なまえちゃん、ちょっといいですか?」
「っ、」
「千鶴ちゃん…?あ、はい!どうぞ」
「ごめんね、あのね!いつも使っていたお裁縫道具なんですけど…、あれ?斎藤さん…?」

寒い季節だと言うのに、一日中屯所内を駆け回っていたらしい千鶴ちゃんが、息も荒いまま額を拭った。その姿に一瞬「まずい」とでも言いたげな表情を浮かべた斎藤さんが「さぼっているわけでは…ない」と言うと、その掲げていた腕がわたしからまた遠ざかり正座をした膝の上に落ち着いたのが見えた。

「ふふ、分かってますよ、用事があるのはなまえちゃんです!」
「千鶴ちゃん、どうしたんですか?お裁縫用具ならここにありますが」
「うん、あのね!ちょっとだけ…借りてもいいかな?」
「全然構いませんが、どうしたんですか?昨日までの分はわたしが昨夜…」

縫ってしまったのですけれど。そう言おうと口を開いたわたしに「土方さんが先程稽古指導で着物を破いてしまったとの事で」と笑いかける。その苦い笑い方を見ると、また沖田さんか藤堂さんが土方副長に何かしらの厄介ごとを吹っかけたのだろうと、安易に想像が付いてしまった。「いいですよ、持って行ってください」と返すと、顔を明るくして頭を下げる千鶴ちゃん。
彼女はあまり裁縫が得意では無いのだと言っていたけれど、わたしは知っている。

わたしの唯一の取り柄を、立ててくれているのだ。
わたしに出来るのは、危険とは縁遠い場所にある裁縫事だけなのだ。


「じゃあ、少しだけ借りますね!…あれ?斎藤さん、そこの肘の所…」
「…なんだ?」
「あ、やっぱり。少し合わせ目が解れてますよ?」
「何…?ああ、本当だ。気付かなかったが、木にでも擦ったのだろうか…、」

膝を付いて、斎藤さんの着物に触れている千鶴ちゃんは手にした裁縫道具とその解れを交互に見た後「よかったら」とにっこり笑った。

「……なんだ、」
「土方さんの後でよかったら、直ぐにでも直しておきますが!」
「ああ、そうだな…。ついでと言うなら、」
「じゃあ、後で届けますので、貸してください」
「こ、ここで!?」
「はい?」

お互いの息が掛かるんじゃないかと言うくらい顔を近づけて柔らかく笑う千鶴ちゃんに、肩を上げ頬をほんのり染めている斎藤さんを見ていると、心に小さく出来ていた解れ目がゆっくりと解けていく気がした。役に立たないわたしと、いつも元気で幹部の方からも一目置かれている千鶴ちゃん。比べる事すら許されないだろう、この距離がなんとも言いがたい。

込み上げる咳を何とか飲み込み笑顔を作ると「千鶴ちゃん、今ここで脱げと言っても斎藤さんが困ってしまいますよ」と二人に退出を促すわたし。嫌な女子だと自分でも思いました。けれども、今現在もしゅるしゅると音を立て紐解かれていく境目を直ぐそこに感じているわたしには、そうするしか術がなかった。

「あ、で、ですよね!?すみません!私ったら…っ」
「そう言うわけ…では、無いが、」
「じゃあ、あの斎藤さんお部屋で脱いだら持ってきてください、夜までにはお届けに参りますので」

「……………、」

少しでも笑顔を崩さないように努め二人を見守っていると、ここに来て「やはり」と自嘲気味に首をかしげてしまう。

やっぱりわたしがここに留まる理由など、ありはしないのだ。

「すみません、わたし何だか少し辛くなってきたので、横になりますね」
「…………」
「え、あ!すみません!人が多いから埃が立っちゃったのかな?繕いが終わったらお掃除もさせてくださいね!じゃあ、なまえちゃん借りていきます!」

慌てて裁縫道具を抱き込み襖を閉めた千鶴ちゃんは、本日も一日忙しそうで。
片やわたしは、今日も変わらず両足を使う事すらしないまま。ただ飯を喰らい、皆の足を引っ張る役立たずなのだ。
じわりと熱くなってきた目頭を隠す様に額まで覆う様に布団を被ると「斎藤さん、白湯ありがとうございました」と促し遠巻きに出て行って欲しい事を伝えた。

もうわたしの心の合わせ目を繕ってくれる人なんていない。
役立たず。恩知らず。このままずっとこのままだというならばいっそ。



「嘘をついたところで、あんたには一寸の得もないと思うが」



きつく閉じていた瞳を開けると、苦しかった喉がひゅっと一度音を立てて空気を吸い込んだ。

目を開けたところで、待っているのは分厚い布団に太陽を遮られた暗闇だけ。それでも斎藤さんのその言葉は驚く程はっきりとわたしの耳に届いて鼓膜を揺らした。

「な、なんの事でしょう…」
「本当に苦しい時はあんたは言わぬ。何か言いたい事があるならば遠慮せず言うといい」

厳しい声音ではなく、赤子をあやすかの様に柔らかく甘かったのだ。
その声に一気に溶かされた言葉と押し寄せる愛しさ。こんな病弱に産まれたかったわけじゃない。もっと強い人になりたかった。千鶴ちゃんみたいに。そして、斎藤さんみたいに。
そうすればわたしも、自分の糸をしっかりと巻きつけ前だけを向いていられたのだろうか。

「なまえ、俺には話せぬか…?」と囁くようにかけられる声に、我慢したはずの涙が零れ落ち布団を濡らしていくのが理解できた。それと同時にさらさらと前髪を掻き分けられ、その温もりに安心しわたしはぽろぽろと流れる雫と同じ様にそっと内情を吐き出す。絡まらないように慎重に解いていく縫い糸の如く。

「斎藤さんの服を、繕えることで…わたしにも出来る事があると過信しておりました。のろまでぐずなわたしをいつも気に掛けてくださる斎藤さんに、唯一…唯一わたしが出来る事だと…っ、そう、思ってっ、」
「……ああ、」
「でも、やっぱり駄目でした。良く考えたら、誰にでも出来るんです…っ、こんな些細な事…わたしじゃなくても、っ、出来てしまいます、」
「……………、」

自分を卑下ばかりして、本当に呆れてしまう。

わたしの弱音を黙って聞きながら頭を撫でて居た斎藤さんだったけれど、暫くしてその動作を静止させると小さく「いや、」と続け、その手をゆるりと離す。畳みに斎藤さんの着物の擦れる音が室内に広がり、わたしは恐る恐る布団を退かし目を丸くした。
恐らくその顔は涙で濡れ、酷い有様だっただろう。しかし、しっかりと目を合わせた斎藤さんは珍しく目を細め微笑んでいた。

「俺は、あんたに解れを直して貰うと、何故か…、その場所から温かみを感じる」
「さ、斎藤さんっ…何をっ」

膝を立て、腰に巻いている帯を解き黒衣をするすると脱いでいく斎藤さん。
襟巻きは無造作に畳みに投げ捨てられ、邪魔にならない様にと刀も避け、当の本人は涼しい顔で着物を脱ぎ去り、わたしに突きつけてきたのだ。
一体何が起きているのでしょうか。混乱したわたしの頭は考える事を放棄し、ただその動作を見ている事しかできませんでした。

「辛いのならば、良くなってからでもいい。これを繕って置いて欲しい」
「…辛いのは、」
「ああ、嘘なのだろう。いや…嘘では無いのだろうが。やはり病み上がり故、無理は良くないと先程は雪村に任せたのだが…。彼女には悪いが、俺はあんたに直して貰いたいのだ」
「…それは、どうして、」

ゆっくりと起き上がりその差し出された黒衣を受け取ると、ふわりと彼の匂いがわたしの鼻腔を擽り、いつの間にか息苦しさは彼方へと消え去っている。見慣れない襦袢姿の「白い斎藤さん」を見上げ眉を下げると、急激に恥ずかしくなってきたのかおもむろに立ち上がり放り出したままの襟巻きと刀を抱え込んだ斎藤さん。
そのまま襖を開け退出しようとした彼に「待ってください」と声を掛けると、二足揃った足袋から伸びるように彼の影がわたしを覆った。


「願掛け…では無いが。…どこに居ても、あんたに直して貰った隊服や着物を身に付けていれば…、俺は何にも負けぬ」
「…っ、」


今まで針と糸を使って彼の着物を直している間、ずっと考えていた事がある。
「本日もお怪我などありませんように。無事で居られます様に」その気持ちは、ちゃんと伝わっていたのだ。ちゃんと受け止めてくださっていたのだ。
言いたい事だけ告げ、さっさと出て行ってしまった斎藤さんは最後までこちらを振り返らなかったけれど、ちらりと見えた耳と項は赤く染まっていた。

手元にある黒衣を抱き締め、わたしはうれし涙を止める事無く「賜りました」と答えた。

針を布に通しくぐらせ、また布から切っ先を誘い出す。
ちくりと肌を刺す針に肩を震わせていたのはもうずっと昔の話で、今は願いを込めひと針ひと針願いを込める余裕も出来た。

唯一、自分に出来る事は何かと考えたとき、その敗れた隙間を丁寧に閉じる事が出来る人になりたいと思った。それは布だけではない、例えば人との隙間だったり。そして心の隙間だったり。少しでもお役に立ちたい。見ていただきたい。だから、どうか。

少しでも、あのお方の心の解れを自分が直す事が出来ているのだと、そう願います。







繕いあとに心よい

(な、はじめ君なんでそんな格好でうろついてんだよっ!?)
(ああ、平助か…。いや、これは)
(そういえばさ、なまえってもう平気かな?あのさ、さっき総司に巻き込まれてひと悶着してる間に服破いちまってさ、直してもらおうと思ったんだけど)
(雪村に頼め、今しがた副長の服を直すと言い広間に駆けていった)
(そっか…。まだ調子悪いのか…。わかった、はじめ君ありがとうな!ちゃんと服着ろよな、風邪引くから)
(…ああ、わかった)



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