誰が言ったのか…「終わった恋。男は名前をつけて保存。女は上書き保存」なんて言葉があるけど、それは全然的外れだと思うの。
わたしは上書きなんて出来てないし、そもそも上に書き込める恋愛をあの日からしていない。ちょっと良い雰囲気になった人も居たけれど、やっぱり一番上に書き込まれたはじめとの甘い恋のデータはずっと保存されたまま、今もわたしの記憶媒体に残ったままだ。男が名前をつけて保存って言うのは解らない。だって、確かめようが無いし、逃げるように姿を消したわたしの事なんてもう覚えて居ないと思うの。
保存すらされてない。だから街ですれ違ったところで「あ」なんて思わない。彼は彼で、もう新しい恋をして、わたしとの時間なんてとっくの昔にゴミ箱行きだと、そう思った。

「そっかーわかったわかった。いいよ、急なお誘いだったしさ、気にしないでっ!」

人が行き交う休日の中心街。
折角の休日だと言うのに特にやる事が無くて、ぶらぶらと街に出かけて一通りショッピングを済ませたわたしは、休憩がてらオープンテラスのあるカフェで友人と電話で話しをしていた。
まだ午後になったばかりだから、もしかしたら誰か掴まるかもしれないと思って電話をしてみたけどやっぱり答えはノーだ。片っ端から誘えばいつもだったら誰か一人は掴まるのに、今日はどうやら付いていない。「ごめんね、また誘って〜」と謝る友人に何だか申し訳無くなってしまった。
既に廃れ切った社会人2年目のわたしは、こういう時に彼氏とか居たらいいのになぁ〜と、半眼で行き交う若者を観察しながら少し古い記憶を辿っていた。

大学時代に好きで好きでずっと大切にしていた彼氏の事。
今となっては、ただの過去だ。

「さて、どうやって暇を潰すか」なんて独り言を零しながら、ジューと温くなってしまったアイスコーヒーをストローで啜っていると後ろからなにやら感じる視線。ナンパや…ましては変な勧誘とかだったらどうしよう…と鞄の中を探るフリをして背後にちらりと視線を送ると、バッチリ目が合ってしまったのだ。

その、元カレ…斎藤はじめと。

「わあっ、やっぱりなまえちゃんだっ!」
「え、」
「私ですっ、雪村千鶴ですっ、前に同じバイト先だったっ!」
「え、え、千鶴ちゃんっ!?」

しかし、飛んできたのはその元カレ…はじめの対面に座り、わたしが息を飲んだと同時にこちらを向いた千鶴ちゃんの晴れやかな声だった。

「お久し振りですっ、奇遇ですねっ!」
「う、うん…、」

なんだこの状況は…。と頭を抱えたくなった。
今しがた考えていた過去の恋愛。その当人と知り合いの女の子が一緒に居る、更にこの様子からして当然千鶴ちゃんはわたしとはじめの関係なんて知らないと思う。

瞬時に理解した。
あ、この二人そういう関係だと。

「嬉しいですっ、」とこちらに小走りでやってきた千鶴ちゃんは、大学時代二年間一緒のバイト先に居て、シフトも午後入りで一緒だったから良くオフでも遊んでいた。その当時はじめとも付き合っていて、よく相談なんかもしていたけど、千鶴ちゃんとは大学も違っていてはじめとの接点は無かった筈。だから当然名前も出してないし、同じ大学とだけ伝えていた。

「でもびっくりしましたっ、卒業間近になまえちゃんバイト辞めちゃうし…、携帯も繋がらなくなっちゃって…、」
「ご、ごめん…ちょっと、水没させちゃって…、データ飛んじゃって…さ、あはは」

水没したなんて、それは嘘。
でも携帯を替えた時に新しく教えた友人には全員同じ様に「携帯水没したから替えた」と説明していたし、勿論それ以上突っ込まれる事は無かった。でも、今は声が震えてる。

だって、未だむこうのテーブルに腰掛けてこちらをじっと見ているはじめの視線が痛くて。身体のどこかが抉られる様に軋んで、居た堪れない。
目の前で笑う千鶴ちゃんとはじめの関係なんて知りたくないから今直ぐにでもここから立ち去りたいのに、何故だか足が動かなかった。

「あ、ごめんなさい、斎藤さん!ちょっと懐かしいお友達と会ってしまって、ハシャギすぎちゃいました、」
「いや、いい。俺の事は気にするな」
「…………、」

久し振りに聞いたはじめの声。
あの頃と何も変わらない。

わたしと同じく社会人だろう。前より着ている物は大人っぽくなっていて、少し痩せたみたい。でも相変わらず前髪は目元を隠す様に流しているし、言葉数が少ない所もそのままだ。それを瞬時に思い浮かべてしまうあたり、やっぱりわたしは上書きなんて出来ていないどころか、あの日のままアップデートすら出来ていないらしい。
今にも頬に熱が込み上げてきて俯くように隠してしまった。静かに目を伏せて千鶴ちゃんに返事をしたはじめは、わたしからスッと視線を逸らすと前に置いてあるストローの袋をくしゃりと潰したのが見えた。

「なまえちゃん、今、一人ですか?」
「あ、はは、うん!休日ぼっち!友達掴まらなくてさぁ」
「あ、だったら良かったら一緒にお茶しませんか?私達も暇を持て余していた所なんです」
「いやいや悪いよ…」
「いいでしょうか、斎藤さん!」

ちょっと、それは、

「別に構わんが」
「っ、」
「やったぁ」

勘弁して下さいよ…。

だらり、と汗を滲ませて口元をひく付かせたわたしの背中をぐいぐい押す千鶴ちゃん。この子新人で入ってきた時、すっごい引っ込み思案だったのにっ!何この強引さっ!笑顔が無邪気すぎて拒否できないっ!逃げようと思っていた手が反射的に荷物を掴んだけど、結局そのままはじめが待つ丸テーブルの椅子に押し込められてしまった。
顔、見れない。辛い。心臓が痛い。

あの日、
わたしが、はじめから逃げたのに…。


「え、っと、は…はじめまして、」
「……………、」

しかし、ここで事を荒立ててはいけないと二人の関係を察したわたしは、今にも崩れそうなぎこちない笑顔を作りはじめに初対面ぶった挨拶をした。声は若干裏返ったけど、まあ上出来だろう。あの時はごめん。なんて言葉をグッと飲み込んで、そう言ったけど、はじめはわたしの顔を見るばかりで返事を返してくれない。さっき見た時より、眉間の皺が自己主張をしている気がする。
わたしは千鶴ちゃんとはじめの間に座る形になって、ナニコレ拷問か何か?と回る頭で、どうにかして早く抜けなくてはと策を練り始めていた。

「ご、ごめんなさいっ、斎藤さんはとっても寡黙な方なんですっ、別に怒ってないですよ?」
「え、あ、う、うん…あはは、わたしも人見知りだから解るー」
「………………、」

チクリと痛むのは勿論、心だ。
そんな事知ってるもん。はじめは寡黙だけど本当は誰よりも優しいし男らしいし紳士なんだって事くらい。でも慌てた様に…代わりに千鶴ちゃんが謝った事が、凄く痛かった。自分から離れた癖に、今更わたしが腹を立てることじゃ無い事だって知ってるよ。

そこからはまるで地獄の様な時間だった。

「斎藤さんとは同じ会社なんです、」と笑う千鶴ちゃんと、ずっと黙ったままのはじめ。それもそうだ。だって自分の元カノと今の彼女が一緒に居る空間なんて並みの男だったら胃を痛める勢いだろう。それに、休日なのに一緒に居るんだからもう確定だろうし。

大丈夫だよ、はじめ。わたしはもうゴミ箱の中の記憶なんです。はじめの中ではきっと「そう言えばこんな奴居たな」程度の存在でしかないんです。
楽しそうに笑う千鶴ちゃんが会社であった事とか、はじめの事とか色々話してくれるのを聞きながら、わたしは必死で笑顔を作り続けた。その間も、はじめは黙ったままだ。

いいや。ゴミ箱はゴミ箱らしくこれからも黙って思い出に浸っています。
でも少しでも、今ここで「元に戻す(E)」表示してくれたらそれでいいや。そのままゴミ箱ファイルの窓閉じちゃってください。

「千鶴ちゃん可愛いし!斎藤さんもかっこいいし、二人凄く似合ってると思う!」

だから、もういいでしょう。
また逃げるよ。わたしは。

わたしの言葉に「え?」と首を傾げた千鶴ちゃんが話しを止めた時「あ、わたしそろそろこの辺で、」と膝に乗せていた鞄と自分の分のレシートを手に取る。もう泣きそうだから。十分罰受けたから。もういい。帰って泣こう。家に着くまで、持ちそうにないけれど…。




「あの日…、何故、俺から離れた」

店内にあるレジへ向おうと二人に背を向けた時だった。
背後からカタンと椅子を引く音が聞こえて、足を止める。次に飛んできたはじめの言葉は、きっとわたしに向けられたと直ぐにわかった。
喧騒入り混じる屋外なのに、はじめの声は雑音無く耳に届いてわたしの目尻に熱く火を灯したんだ。

「勝手にメールを送ってきたと思ったら、電話は通じぬ、バイト先にあんたの姿は無い、当時あんたが住んでいた家にも行った…しかしもぬけの殻だった…」
「……、」
「別れたい。と…唐突に其れのみを言われても、俺には理解できなかった上、納得などいかなかった」
「………、うん」

背後で千鶴ちゃんが「え…、え…?」と戸惑っているのが解る。
わたしははじめに背を向けたままその場に立ち尽くしていて、力を入れた拳の中でレシートがクシャリと小さな音を立てた。

あの日、何故離れたか。
なんでだったっけ。ああ、そうだ。
大学内で成績も優秀なはじめと、平凡な自分の差がバカみたいに気になって。就職先も大手会社への内定を貰ったはじめと、何度も面接に落ちてへこんでそれなのに「一緒に居たいよ」と見っとも無く縋りつく自分に嫌気が差して、逃げたんだった。
はじめは「俺もあんたの傍に居たい」と言ってくれたし、見捨てないでくれたけど…その内それが重荷になって、勝手にプレッシャーを感じていたんだ。
だから、好きで好きでしょうが無かった癖に「別れよう」ってメール送って、携帯も替えた。引越しもした。バイトも辞めた。
死んじゃいそうな位辛かったけれど、それでもはじめの中で少しでも一つの思い出として居られたらって。ゴミ箱の中でもいいから少しだけでもわたしの事を保存して置いてって。

そう考えて、今日まで耐えて来たんだ。


「音信不通とはこの事かと…。まさか自分がされるとは夢にも思わなかった」
「…ご、めんな…さ、」
「それに、」

下を向いたわたしの視界に移っているのは、お洒落なレンガ調の路。
そこにぽたりぽたりと、何か雨の様な丸い染みが出来ていた。次から次へと、降っては滲む。
後ろから一歩、また一歩と足音が聞こえてきて、それと同調する様にわたしの肩が上下に揺れていた。


「俺は、了承などしていない」
「……っ、」


「もう逃げなくてもいいだろう。二年も待ったのだ…。俺も二年悩み苦しんだ。その様子だとあんたは俺以上悩んだのだろう?…俺に取って…あんたの居ない二年間は余りにも長く果てし無かった。……故、これで許してはくれぬか…なまえ、」


爪が食い込むほど力を入れていた拳をそっと捕られて、引き寄せられる。反射的に「はじめは何も悪くないっ」と叫んだわたしの声は、はじめの胸元に寄せられ消えていった。「俺が、あんたを不安にさせていたのだろう?」と、優しく降って来た声は、今まで聞いた事も無い位安堵の色が滲んでいた。

流れる涙が冷たくて熱い。そして、昔と変わらない大好きな匂いがした。

「わ、わたしこそ、ごめんなさい〜!ずっと、ず、ずっと好きだった〜!本当は別れたくなかった〜っ!上書き保存なんて一生出来なくて、このまま孤独死まっしぐらだと覚悟決めてたの〜っ!!!うわああん!」
「上書き…?俺はそれだけなまえの気持ちが聞ければ十分だ。雪村すまなかった、巻き込んでしまったな」
「あ、い、いえ!びっくりしましたけど…と、言うかまだちょっと状況が飲み込めていませんが、その…」
「今度、改めて説明をする故、」
「あ、いえ!」


そうだ、千鶴ちゃん。
ハッと顔を上げてはじめの後ろで唖然としていた千鶴ちゃんを見ると、凄く嬉しそうに笑って

「えっと、……なまえちゃんが幸せそうなので、それだけで十分ですよ」

とそう言ってくれた。






記録媒体


(あの二人は付き合ってるんじゃ…)
(え?違いますよ、今日は、ちょっと…)
(俺と雪村は本日行われる送迎会の幹事なのだ…、しかし、雪村が店の予約を取るのを忘れてしまい…電話じゃ埒があかなかった故、先程店を回って予約を取り付けた所だったのだ…)
(う、ご、ごめんなさい…っ、)

(そう、だったの…。勘違いして、わたしったら、)


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