「みょうじは失点13。放課後に指導室。…ほら、千鶴何してるの?さっさとそれ鞄の底に隠しなよ」
「え、え!?いいよ、薫。私も失点にして…」
「何言ってるの。俺がそうしろって言ってるんだからさっさとしなよ。本当は没収してやりたいけど、今日は見逃してあげる」
「え、えっと…」

「………………」


午前7時三十分。正門前。
いつもの制服にいつもの涼しげな顔。
デカデカと禍々しい色合いの腕章を付けた薫がぐいぐいと千鶴の鞄の底に押し込めているのは先日平助が千鶴に貸した音楽CD。いつもは勉学に不必要な物は持ってこない千鶴だけど、急遽メールがあって返して欲しいと言われたとか、ついさっき待ち合わせ場所である駅のホームで聞いたばかりだ。

「でも、あの…。じゃ、じゃあ!なまえちゃんも、見逃してあげて欲しいな、」
「はぁ?何で?あいつは毎日毎日注意してもピアスはしてくるスカート丈は直さない、見なくても解る軽そうな鞄の中にはどうせ授業に関係ない物で溢れ返ってるだろうね。挙句に見なよあの顔。人を殺さんばかりの目をしてるでしょ。あんなのに掛ける情けは無いね」
「か、薫…っ!」

そして…。
石壁に追い詰めるように千鶴に凄んでいるのは、同じクラスの南雲薫その人だ。因みに席はわたしの後ろだったりする。

って言うか…何、今のやり取り…。
待って、丸聞こえなんだけど。何?殺していいの?ねえ殺していいの?

今、目の前で行われている行為は良く言えば「妹を守る兄の図」。そして悪く言えば不正行為だ。「薫!おはよう!」と可愛らしく挨拶したクラスメイトのわたしに返されたのは「おはよう」の挨拶じゃなかった。ウザそうにジトリと流し目されて、上から下まで見られて冒頭の言葉。まさについで。「はいはい失点ね、そんな事より」見たいな。
一方、壁に追いやられている千鶴はオロオロと視線を這わせてどうしていいかわからない状態で、殺気を滲ますわたしと冷ややかに此方を見る薫を交互に見ている。うん、薫と同じ顔でもなんでこんなに違うんだろうね。ほんっっと、悪魔と天使だね。勿論千鶴は天使枠だよ。間違っても悪魔ポジになんてならないよ。

「何してるのみょうじ。お前の採点は済んでるよ。さっさと教室いきなよ」
「……ねえちょっと、ちょっと酷くないですか?薫くん」
「何が?可愛い妹を助けたいと思う俺のどこが酷いって言うの?」
「いやわたしが千鶴のお姉ちゃんだったら勿論同じ事を思うよ?うん、薫は間違ってない。って言うかさっきからもう斎藤先輩こっち見てるけど、いいや。うん…わたしが薫の立場でも同じ行動に出るよ。それだけは評価しようではないか。でもさ、」


この扱いは流石に酷くないですかね!

「もっとこう…あるじゃん。仮にも友達じゃん?わたし達!何だかんだいつも一緒に居るじゃん!?可愛い妹に近い扱いしてくれても良くない!?“しょうがないな、今日だけは特別だからね、早く行って。気付かれるよ”とか月1くらいであっても良くない!?」
「……そんな気持ち悪い事を良くも次から次へとぽんぽん吐けるねその口。ある意味尊敬するよ」
「それだよっ!ハイ!薫君それが酷いんですよっ!」
「一々オーバーなんだよ、お前は。それこそ斎藤に気付かれたらどうするの」
「だからさっきから斎藤先輩こっち見てるっつってんだろっ!」

と言ってもこのやり取りは毎朝の事で、何かしらギャンギャン口喧嘩をしているわたし達を見ているから、斎藤先輩や他の風紀委員、そして通り過ぎる生徒達は「ああ、またか」くらいの感覚で執拗に関わりには来ない。千鶴が「薫!なまえちゃんに謝って!」と顔を赤くしているけど、それ以上にわたしは真っ赤になっていた。

怒りの所為で。


「……う、…っい、」
「何?」
「もういいっつってんの!!!!薫の馬鹿!悪魔!シスコン!今年の文化祭で女装してミス薄桜取っちまえ!!!」
「はあ?…お前朝から何なの?むかつくなぁ。最後のはともかくこっちの台詞だよ。他の生徒の邪魔するなら早く消えなよ」
「〜〜〜〜っ!!!」

「覚えてろ!」と可愛くない捨て台詞を吐き、脱兎の如く走り出したわたしは、流石にそろそろ仲裁に入ろうとした斎藤先輩の手を思い切り握り「斎藤先輩おはようございますっ!!」と鬼の形相で挨拶してから、薫の顔も見ずに再び教室に向けて駿馬の如く駆け出した。兎とか馬とか、忙しいなわたし。
それと、斎藤先輩の指から微かに変な音がしたけど関係ない。

「千鶴ばっかり贔屓してぇええ…っ!」

わかってる。わかってるのよ。
小さい頃に生き別れたか何かでずっと会えなかったから妹である千鶴を猫可愛がりするのは解る。それに千鶴は大切な友達だし、凄くイイ子なのはわかってる。わたしだって暇さえあれば構いたくなるし、誰よりも贔屓したくなるのはわかる!薫からしたら、自分の半身だから友達や兄妹の枠を超えて可愛がるのも頷けるんだよ。頷けるんだけど。

本当は失点とかそう言うのが嫌なんじゃない。
確かにいつも校則破ってるから今更失点の12点や13点なんて事ない。別に土方先生のお説教が嫌なわけじゃないもの。…いや、やっぱりちょっと恐いな。じゃなくて…、

「……………っ薫の馬鹿、鈍いな、もうっ!」


好きな人にこそ、ちょっとくらい特別に見られたいって誰でも思うじゃない。

今にも溢れ出しそうな涙を何とか睫毛の手前で塞き止めて、わたしは一人教室へと駆けていた。



「さ、さっきはごめんね、なまえちゃん…」
「うう、千鶴…わたしこそごめんね、置いて行っちゃって」
「ううん、全然。私もちゃんと失点受けたから。平助くんのCDは放課後返して貰う事になったの…、だから一緒に土方先生の所行こうね?」
「…千鶴っ、あ、ありが…っうぅ」

そのまま自分の机の上で不貞寝ならぬ不貞突っ伏していると、遅れて教室にやってきた千鶴が心配そうな顔をしてわたしの背中をそろりと撫でた。

「あと、薫にも謝る様に言ってお、」
「それはいいっ!!!!」

突然の大声に「え?」と口を開ける千鶴。でもわたしは怒りだったり悲しみだったりぐちゃぐちゃ渦巻く頭を起こし両手で千鶴の言葉を制止した。
千鶴はわたしは薫の事を好きな事を知っている。最初はやっぱり驚いていたけれど「ふふ、薫は幸せ者だなぁ」って色々相談に乗ってくれた。

幸せなもんか。
こんな変な女に好かれて、付き纏われて。きっとそう思っているからわたしに冷たいんだ。あいつは。
事あるごとにそうだった。わたしはいつも千鶴と一緒に行動することが多いからか良く顔を合わすことがあるんだけど、あいつが見ているのは千鶴であって、わたしじゃない。その証拠に、今朝みたいにオマケ扱いもいい所だし、目線には呆れやウザさが滲んでる。千鶴曰く「薫は素直じゃないから」なんて言うけど、あれで素直じゃないって言うなら、薫が素直になったらいつも言われる「消えろ」とか「邪魔」とか通り越して「死ね」とか言われそうな勢いだよ!?そんな事言われたらわたしどうしたらいいの!?

そんな事を考えている間にも時間は過ぎ、いつの間にか始業チャイムが辺りに鳴り響いていた。
わたしの名前を呼びながら未だ我が事の様に心配してくれる千鶴に「大丈夫だよ、ありがとう」と笑顔を作り背を押すと、眉を下げながら「また後でね」と自分の机に戻っていった。

いいなぁ、
わたしがもし薫の妹だったら、あんな風に大事にされていたんだろうか。
あんな風に特別扱いしてくれたんだろうか。
わたしには一度も見せてくれた事がない薫の笑顔や、優しい声が聞けたんだろうか。

「………なんてね、」

殆どの生徒が着席完了している中、風紀委員で少し遅れる事を優遇されている真後ろの席だけは空いたまま。ガラリと前の扉が開いて担任である原田先生が名簿を片手に「はよーす」といつも通り教室に入ってきた。
何事も無いいつも通りの風景だけど、薫と少しでもぶつかった日はいつもと同じに見えない。これって所謂恋愛マジックと言うやつで、いつもだったら原田先生の「はよーす」の言葉にも笑みが零れる所なのに、今のわたしはどうだ。

再び机に突っ伏して拗ねている。
そう…わたしは、拗ねているんだ。

ただのクラスメイトであるわたしと、妹の千鶴の存在を比べる事自体おこがましいのかもしれない。きっと天と地程の差がそこにあるとしても、それを認めたくない自分が居る。出来れば、同じ…それ以上に行きたいなんて思ってる。


「おー南雲。今日もお疲れさん」
「はい」
「席付けー、出席とんぞー」

ガラリと再び開いた扉の音と、原田先生の言葉に肩を上げる。過剰に反応して一気に神経がそっちに集中するのを感じた。
かつ、かつ、と鳴る革靴の音は薫の物だ。席が後ろだからどうしてもわたしの横を通らなくちゃいけない。静かな教室にその音だけが嫌に気になった。その間にも原田先生が出席を取る声や、内緒話がある筈なのに。

わたしは、どれだけ…。


「みょうじ、」

一瞬。空耳かと思った。

わたしの横を通り過ぎる薫の残り香が鼻を掠めて、同時にあの少し高めの声で名前を呼ばれる。突っ伏していた顔を恐る恐る上げると、既に後ろから椅子を引く音と鞄を降ろす音が聞こえて、その代わりにわたしの机には一枚の紙切れ。

「…………?」

二つに折りたたまれたそれは、いつも薫が持っている風紀委員名簿の色と良く似ていた。

何だろう。果たし状とかだったらどうする。「お前ちょっと面貸せや」くらい怒らせてたらどうしよう。

ぐるぐると不の考えが巡る頭を何とか制して、まるで猛獣にでも触れる様に震える指先でそれを抓んだ。一度名前を呼ばれただけなのに、今でもその名残で心臓が煩いんだ。
ゆっくりとその二つ折りを解くと、そこには薫の綺麗な字で「さっきは悪かったよ」と一言だけ書かれていた。
明らかに急遽千切られた感があるその紙と、珍しく謝罪の言葉。もしかして千鶴が薫にメールでも送ったんだろうか。
もう既に授業開始が迫っていたから、わたしは沢山ある空白にサラサラと返事を書く。所謂筆談。でも薫からしてみたら返事なんて望んで無いかもしれない。でも、少しでも気に掛けてくれた事が嬉しくて、ペンを走らせる手は止らなかった。

前を向いたまま、テスト用紙を配る時みたいにそれを後ろへ放った。

今直ぐ顔を見たい。どんな表情をしてる?

かさかさと紙が擦れる音が後ろから聞こえたと一緒に、原田先生から名前を呼ばれた。それに「はい」といつも通り返事をすると、今度は後ろからトントンと肩を叩かれた。
そして。


「……頑張ればいいんじゃない」


と、いつもの低いトーンじゃなく柔らかい声で、
紙に書いた言葉の返事を貰った。


『わたしも薫の特別になりたい。千鶴に負けないくらいの』


思わず振り向いて薫の顔を見たら、視線は逸らされていて少し頬に赤みが差していて。わたしの方が面食らってしまった。

「いいの…?」
「…俺がいいって言うんならいいんじゃないの」
「薫、顔赤いよ?」
「………普通言う?そう言うこと」
「じゃあさ、その…お近づきのしるしに名前で呼んで欲しいんだけど。そうしたら今朝の事許して上げる」
「調子に乗るなよ」
「駄目?」

「…………」

「ねえ、薫、」


わたし、今凄く嬉しいよ。





VIPlease

(なんでお前はたかだか名前で呼ぶ事が特別だと思うわけ)
(だって薫、千鶴以外の事名前で呼ばないじゃない)
(…そんな事、………今、気付いた)
(でしょ?)


(…………………なまえは俺の事良く見てるんだね)
(笑った!!)




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