乾かし終えたはじめの髪を編んで団子にして頭上で纏め上げてやり、ついでと鬱陶しい前髪をピンで留め終えたところで、わたしは満足だと息を吐いた。どこからどう見ても女がする髪型だけど、この外見のお陰で末恐ろしい程になんの違和感も感じないから別にいいだろう。はじめにはこれからもこのスタイルで過ごして貰った方がよさそうだ。一応しなくていい、寧ろするなとは言ったけれど、また舐められたら堪ったものじゃない。
ショートにすると言う選択肢は、端からわたしの中にはない。猫耳男を美容室になんて連れていける訳もないし、万が一猫の姿に戻った際に、髪を切った所為で部分部分毛がハゲたりしていたらと思うと怖くて手が出せなかった。
プードルみたいな猫のはじめなんて、間違っても見たくないんだ。わたしは!



全裸のはじめに毛布の端を持たせ、共に居間に移動したわたしは早速袋を漁ってまずは下着を取り出した。
机の上のノートパソコンの画面には、konozamaのメンズ服コーナーを表示してある。前後さえ教えれば、後は画像を見て着てくれるだろうと思って開いておいたのだ。
居間は暖かいし、服を着る間肌を晒すくらいなら大丈夫だろう。タグや袋を取り除いて、見やすい様にとパソコンの向きを変えれば、準備は万端だ。

「はじめ、これをこの儘持って両足に通して、この画面の通りに着てくれる?流石に毛布生活は厳しいから、今日からわたしみたいに服を着て過ごそう」

毛布を頭から被せて、トランクスを両手で持たせる。いくら居間が暖かいとは言っても、早く着せてやらないとあっという間に体は冷えるだろう。胸の前でトランクスを広げた儘動かないはじめの腕を、わたしは急かす様に押した。飯時はともかくとして、今のフリーズはまずい。いい加減全裸にも完全に耐性がついてしまいそうだ。
はじめはトランクスからわたしが指すパソコンの画面に目をやり、先ずはやっぱりトランクスに近付けた鼻を鳴らした。そして、ぐっと眉を寄せる。
何故いちいち嗅ぐんだろう…。てか持ち上げるんじゃなく下げろよ!!
なんて突っ込む暇もなく、次の瞬間放り投げられてフローリングを滑ったトランクス。猫ちゃん模様の可愛いそれは、一カ所に纏めていたタグ等のゴミを舞い上げ、しなっとフローリングの上に無残に転がった。

「ちょっと!」

そして早くも寒くなってきたらしいはじめは、毛布の前を押さえていびつな蓑虫になるや、買い物一式を飛び越えてさっさとソファーに腰を落ち着けてしまう。
わたしの言葉はガン無視だ。あんなにお利口だった猫のまさかの豹変に、ふっ散らかったゴミを集めるのも忘れてわたしは一瞬固まってしまった。
いや、その前に、全裸でいられると困るんだってば。いくら使ってどんだけ買ってきたと思ってるの。
何を着せようかと服を選んでいた数時間前のわたしは、着ないって選択肢がある事を想定してすらいなかった。ペットに服を着せる飼い主は珍しくないし、猫の服もペットショップには普通に取り扱いがある。嫌がるこもそりゃ中にはいるだろうし、触られるのも嫌がっていたはじめが進んで服を着てくれるとは、改めて考えるととても思えないけれど。
でも。今のこいつは服を着るのが当たり前の人間なんだ。着せない、なんて選択肢はこちらが願い下げである。

「はじめ、寒いんでしょ?だから服を着るんだって…分かる?」

放られたトランクスを拾って前に持って行くが、はじめは明後日の方向を見るばかりで毛布から手足を出す様子もない。断固履かぬ!オーラを体中の毛穴から放出している…様に見える。
この野郎…
わたしはさっさと諦めて、はじめの足元にしゃがみ込んで奴の足を取った。履かないなら無理矢理履かせて習慣づけてやるまでだ。自主的に履いて貰えなかったのは残念だけど、この際仕方ない。
わたしは尖った爪に注意しながら、広げたトランクスにはじめの足を無理矢理突っ込んだ。
瞬間、ビイッなんて鈍い音と地鳴りの様な音が響いて、眼前のトランクスにいきなり大穴が空いた。

「え゙」

穴から覗くは、はじめの鋭利な爪。を持った指三本。
どうやら、上体を下げて腕を突き出したはじめが、トランクスのど真ん中に爪を突き立てて大穴を空けたらしい。だってはじめの顔とトランクスを貫通した指が、いつの間にかものっそい近い距離にある。
今は止みつつある地鳴り音は、牙を見せて唸るはじめの喉からだ。
…怖ッ!猫のうなぁああって言う喧嘩の声の比じゃない。これは虎とか、そっち系の唸り声だ。え。お前元はちっこいもふもふのふてぶて猫だったよね?
の前に何してくれちゃってんの!!んなとこに穴空けたら履いたところでこぼれんだろぉが!!

「何なの!何が気に入らないのお前は!」

唸り声にぎくりとしたのは確かだけど、この時、不思議とわたしは怯まなかった。沸き上がる怒りの儘、気付けば普通にキレ返していたくらいだ。
後から振り返れば、異常だったのかもしれない。でも、相手ははじめなんだ。今もわたしに傷一つ付けずに、トランクスを裂いて握り潰しただけのはじめは…きっと、大丈夫だと何処かで思っていたのもあるんだと思う。

「全裸に毛布なんていつか絶対風邪引くし見た目ただの不審者だからね!あんたに拒否権なんてないの!分かる!?」

まぁ、単に生きてて3才程度のピュアジャリがぁ!わたしに接触出来るもんならしてみろやコラァ!!とか頭に来てた部分が大半を占めてただけかもしれないけどね。
怒りに身を任せるのは、あまり良い事じゃない。思ってても中々直らないものだ。
怒鳴ったのは何年ぶりだろうか。思えば、他人に此処まで振り回されたのも久しぶりだ。
わたしも驚いたけど、はじめは怒鳴ったわたしの声に更に驚愕したらしい。と言うか、耳に大ダメージを受けた様だ。さっきの唸り声から一変、ぺたんと耳を寝かせてソファーの背もたれまで上体を戻した奴は、わたしのガンに気まずそうに押し黙る仕草を見せた。
そう引かれると、落ち着くどころかわたしまで気まずくなるじゃない。

「…あんたもいきなりでかくなって戸惑ってるとは思うけど、これは必要な事なんだからね。我慢して、大人しくしてなさい」

残りのトランクスは三枚、まあ何とか回るだろう。風呂に入れる前に爪を切ればよかったと後悔を挟みながら、わたしは新たなトランクスに手を伸ばした。
再び響いた唸り声。だけど今度のそれは恐ろしいものじゃなく、犬で言うきゅーんって言う、高いか細いあれに似ていた。不満の声って言うんだろうか。ややと言うか、不服そうな嫌そうな感情が剥き出しになった声だ。日本語にするなら“んにゃう”って感じの。何せ低いもんだから、全てに濁点入って聴こえたけど。
鳴いたと言うよりは唸った感じでも、はじめが鳴いたのって初めてじゃないだろうか。ついまじまじと物珍しいものを見る様に視線を向けてしまう。勿論、手ははじめの足首を逃がすまいと握り締めているんだけどね。
思わず一度、零した溜息。不満を零したいのはわたしも同じだ。別にストッキング履かそうってんじゃないんだから、そんな嫌がる事ないじゃない。何がそんなに嫌なんだか。猫の常識と言うものは、当然だけどわたしには全く分からない。

「いい?動かないでよ」

釘を刺して、いざ、とトランクスを広げる。強張るはじめの足を再び穴に通そうとしたところで、懲りずに動いた腕が掴んだのは今度はわたしの腕だった。

「!だからっ…」

動きを止める為かと思ったそれが自棄に重くて、異変を感じた喉が途中で言葉を詰まらせる。伸びた両手に押されるが儘、ソファーとテーブルの間に沈む感覚に咄嗟に一瞬目を閉じた。

「…?」

再び目を開くなり、わたしは噛み締めた唇の中で息を呑んだ。わたしの身体の上に乗り上げたはじめが、至近距離からじっとわたしを見下ろしていたのだ。
お団子にして留めてある髪は、昨夜みたいにはじめの顔を覆ったりしない。間近で見上げるはじめの顔にか、今の状況にか。握った儘のトランクスを更に握り潰すわたしの身体は、不自然に力む事をやめずに強張った儘、金縛りに遭った様に動かなかった。
いきなり頭突きをかますのは何となく気が引ける。抵抗しようにも、はじめの行動の意図が全く掴めなかった。
はじめも直ぐには動いてくれなくて、少しの沈黙がわたし達を包む。新品のトランクスとか、もう皺くちゃなんじゃないだろうか。
ふと感じたのは、足に何かが巻き付く気配。左右の足をルームウェア越しに撫でる柔らかなものが、左右に振られたはじめの尻尾である事は容易に理解する事が出来た。
わたしの足に擦り付ける様に動く尻尾に続いて、はじめの顔が下りてくる。何事かと目を見張ったわたしの肩の上…首元に彼の顎が触れ、その儘すり合わせる様に熱が動いた。

「っちょ、や…!」

急所だからか、他人に強く首筋をなぞられると身体が反応してしまう。硬い顎がやわやわと首元に食い込む度、ぞくぞくと跳ねる肩は自分でもどうしようもなかった。このこそばゆさは、わたしはどうも苦手なのだ。捕まれた儘の腕じゃ抵抗らしい抵抗も出来なくて、はじめの頬に頬を寄せる様に顔を使って彼の顎を押し返すしかないのがかなりもどかしい。
はじめは顎を上げるや、わたしの頬に、応える様に頬を擦り寄せた。猫が飼い主やものにする様に、すりすりと。
長い睫毛が肌を滑るが、首に擦り寄られるよりは余程いい。人より高い猫の体温を保った儘の、温かいはじめの肌を受け入れながら、わたしは黙って目を閉じる。
やがて僅かに離れたはじめの鼻が、わたしの首元で匂いを嗅ぐ仕草を見せた。離れた体温に漸く開けた視界の先、何かを伝える様に細まったはじめの目が、じっとこちらを見詰めている。

「…あんた…」

尻尾は依然としてわたしの足を撫で続けている。わたしもはじめも今は同じシャンプーの匂いしかしないだろうに、まるで自分の匂いを擦り付けるみたいに、時折巻き付いては離れを繰り返すのだ。
そう、香りは一緒だ。共に暮らしているからか、はじめからは嗅ぎ慣れない他人の匂いはしない。今もそうだ。擦り寄られて気にかかったのは近い距離と体温くらいで、匂いは今のマーキングの仕草で漸く思い当たっただけ。でも、だからこそはっとした。
…こいつ…新品の、と言うか、他人の匂いが嫌なんじゃないだろうか…?
新品の服からは、結構強い衣類の匂いがする。トランクスだってそれは同じだ。
今はじめが巻いている毛布はわたしが使ってた奴だから、この家の匂いが染み付いてるのは当然で。だからバスタオルに毛布や布団は平気で、服は嫌なのかもしれない。元は一匹狼の野良猫だったんだし、知らない匂いのするものに強く警戒心が働くのも頷ける。
…つまり、わたしの匂いにはそれがないんだと思いかけて…やめた。何だか、さっきよりもこそばゆくなりそうな気がして。
だってそれなら、幸せそうに枕に顔を埋めて寝てたはじめのあの態度とかはどうなるって言うの。ねえ。
睫毛を伏せて、再び肌を寄せてきたはじめに身体が跳ねる。ほら見ろ。なんか落ち着かなくなってきた!

「分かった!伝わった!もう無理強いしないからっ」

慌てて皺くちゃのトランクスから手を離すと、はじめもわたしの腕から手を離し、しなやかに上体を起こして背中にかかっていただけの毛布の前を閉じた。全開だったもんね…そりゃ寒かったでしょうよ。
はじめがソファーに戻ったところでわたしもさっさと立ち上がり、買ってきた下着や衣服を洗濯機に放り込んでスイッチを押した。
洗濯、部屋干しを繰り返して、匂いが取れたところでまたチャレンジしてみるしか手がないと分かったんだ。早く匂いを取るに越した事はない。どれだけかかるかは分からないけれど、その内染み付くだろう。
パソコンとゴミを片付けると、テーブルの上にご飯だけが残る。結局、ずっと寝室にいたらしいはじめはご飯を食べていなかったのだ。
わたしはラップに包まれた儘のそれらをチンしてご飯をよそい、あれよあれよと言う間に晩ご飯と化した料理をはじめの前に並べた。晩飯にしては質素だけど、これから一品足すのはめんどくさかったんだ。許して。
蓑虫の儘では何も出来ないだろうし、巻き直した毛布を後ろから安全ピンで留めて、下の隙間から尻尾を出してやる。暫く毛布ポンチョ猫との生活かと思うと、渇いた笑いが小さく漏れた。
さっきみたく、わたしの手首に尻尾が巻き付く。全く、はじめは呑気なものである。



今夜のご飯も綺麗に食べて、人間用の爪切りを渡せばはじめは危なげなく手と足の爪を切っていく。猫なんだか人なんだか良く分からないはじめの基準は、やっぱりわたしにはさっぱりだ。
軽くシャワーを浴びてから早速はじめ着を部屋干しして、本日もぐびっといったアサヒナさん。最高だけど、食費が増しそうだし…今度からは焼酎か発泡酒かなぁ。

「ま、いいや」

苦笑は漏れても、何故かそこまで憂鬱じゃない。ふとはじめと目が合って、わたしは缶を傾けながら口許を緩めた。
隣同士のソファー。匂いの弁解のお陰か、はじめの尻尾はわたしが触れれば時折手に巻き付いてくれる様になった。尻尾以外は、相変わらずシャイなはじめの儘だったけど。



そうして夜が更けていき、昨日と同じく布団に入った…日曜日の朝の事だ。自然と覚醒していく脳に促される儘目を開けたわたしは、視界に飛び込んできた二つの眼球に悲鳴を上げて飛び起きる羽目になった。

「ヒィッ!!」

うっすら開いた視界いっぱいに広がった、こちらを見下ろす青く鋭い双眸。これが中々、いや、かなり心臓に悪い。はじめの目は瞼や睫毛、形こそ人のそれだけれど、眼球は肉食獣のそれに近いんだ。てか、まんまなんだ。起きた瞬間に至近距離で目が合えば、はじめの目じゃなくても驚いただろうけれど。とにかく、起き抜けの頭には非常に宜しくない光景だった。
見上げた猫はわたしとは違い、寝起きにはとても見えない。五月蝿い心臓を押さえ込みつつ、いつから見られてたんだと思いかけたわたしは、そこで漸く、はたと思い至ったのだ。
猫っていつ…何時間睡眠を取るんだろう。人間と変わりないんだろうか、と。
今更思い込みと言うものに気が付いて、口元が歪むのが分かった。はじめはわたしが驚いた理由がまるで分からないらしく、きょとんと首を傾げている。
そしてこの日、朝食を用意しに起きたわたしと入れ代わる様にベッドに沈んだはじめは、それきり夕方まで起きてこなかった。昼に様子を見に行ったけど、見事な熟睡っぷりで。
まさかと思う儘にパソコンを立ち上げ、猫、睡眠とググる。そうして、寝ない訳ではないものの、はじめにとっての夜が活動時間である事を、わたしは漸く知る事になったのだった。

「・・・・・・・」

思い込みって怖い。眠くないもの、そらああやって眉寄せるわ。
でも、だって猫の時のこいつは土日でも昼間は起きてこっちにケツ向けてたんだよ!そりゃ思い込むじゃないっ!



結局、わたしが仕事でいない朝から夕に睡眠を貪る事もあり、はじめの夜行性は直らなかった。電気は不要らしく、わたしが寝静まった暗い居間で、猫の時と変わらずごろごろと快適に過ごしているみたいだ。
因みに、部屋干しを繰り返す事一ヶ月弱。はじめは漸く、服を着てくれる様にもなりました。
ピンクのアクセントが思った以上に可愛かったから、焦らされたのはまぁ良しとしよう。

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再びのけもはじ、受け取ってくださり有り難うございました!
毛繕いはヒロインが気付いてないだけで、実は直ってませんwwはじめは良かれとヒロインの頬とか髪とか、もしかしたら唇とかまで、何度かぺろぺろしに寝静まった寝室に赴いてます。ただ…自分にはしなくなったと思います。多分。


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