「はぁ…はぁ…ちょっと…」
「…すっ、すまない」
俺が彼女の手を無理矢理引いて走り出してから、一体何処まで行ったのだろう。
そこは大学の敷地からはとっくに出ていて、辺りには見慣れない景色が広がる。
「わたし…あなたのこと知らない。何度もそう言ってるはずなんだけど」
「………」
相変わらず彼女の手を離せないでいる自分に、彼女はさっきから少しも変わらない冷たい声を発した。
再び俺に向けられた"知らない"という言葉。
だが、今の俺は何故だか清々しい気持ちになっていた。
彼女が"知らない"と言うのであれば、もうそれでいい、と。
"知らない"のであれば、また一から始めればいいと、そう思えたのだ。
「知らないならばそれでいい。それならばまた一から始めればいい。だから、これからは俺と…友人として接してはくれないだろうか」
俺は自分の真剣な想いが伝わるよう、しっかりと彼女の目を見据えてそう伝えた。
彼女は俺の言葉にしばし沈黙した。
その静けさ故に、春の暖かい風がふわりと俺の頬を撫でて行く音さえも耳に届く。
そして、そのまま俺が彼女を見つめていれば、彼女は俺から視線を逸らしてぽつりと何かを呟いた。
「……か」
「…すまない。もう一度言ってくれ」
彼女の声があまりにも小さすぎて聞き取れなかった俺は、悪いとは思いながらも、もう一度言ってくれと彼女に頼む。
すれば、今度は俺に視線を戻した彼女にきつく睨まれた。
何か変なことを言っただろうかと心配になった俺は、胸の鼓動を早まらせる。
すると、だった。
彼女は震えながら俺に体を預けて来て、涙声でぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めたのだ。
「ばか…ばかばかばか…知らないわけないじゃない。忘れられるわけ…ない…じゃない。あんなところに"好き"って書かれて、返事をしたくても斎藤くんはもう何処にもいなくて……」
「な……、見たのか。あの貸し出しカードを」
「そうだよ、見たよ…!"好きだ"って、"好きだ"って書いてあった…。だったらどうして転校のことをわたしに言ってくれなかったの?わたしも言いたいことあったのに…伝えたかったこといっぱいあったのに…!斎藤くんはずるい。自分の気持ちだけ言い逃げして…ずるいよ…。わたしも斎藤くんのことが好きだったのに…大好きだったのに…!」
彼女はそう言い切ると同時に、声を上げて泣きだしてしまった。
俺はと言えば、あの貸し出しカードを見られていたという驚きと彼女の本当の気持ちを知った衝撃で、今度こそ何を言えばいいか分からずに言葉を失う。
俺は…自分の弱さと中途半端な行動で、彼女をこんなにも傷つけていたのだということを知った。
何か言わなければいけない…そう思うのに、俺の口は中々開こうとはしてくれない。
すれば、そんな情けない俺の代わりに、先に言葉を発したのは彼女のほうだった。
「うっ…でも、う、嬉しいよぉ…またこうして斎藤くん、に…会えて…。ご、ごめんね…知らないなんて言っちゃって…っ。本当に…っ、ごめんね」
謝らなければいけないのは俺のほうだと言うのに、彼女は途切れ途切れの言葉で俺にそう言った。
そんな彼女を見ているとどうしようもなく言葉にできない感情が込み上げて来て、俺は彼女を傷つけた分際であるにも関わらず、彼女の肩を包むようにして抱きしめていた。
「すまない…すまなかった、みょうじ。許せなどと都合のいいことを言うつもりはないが…。もしも、俺とまた一から関係を築いてくれる気があるのなら…」
「一からじゃ嫌…。恋人からがいい…」
「!!」
俺はその言葉に驚いて、抱きしめていた彼女の体を思わず離していた。
そして、今彼女がどんな顔でその言葉を言っているのかと気になった俺は、恐る恐る彼女の顔を覗き込む。
「な、なに…よ」
「あ、いや…空耳が…」
「空耳じゃないよ、ばかっ!」
そう言って俺の胸をグーで叩いた彼女の顔は、まるで林檎かと思えるほどに真っ赤になっていた。
そんな表情を見ているとこれは夢じゃないのだと。どうしようもないほどの嬉しさと、彼女への愛しさが込み上げて来る。
「みょうじ、直接言うのは初めてになるが…言わせて欲しい」
「……うん」
「あの時から、俺はずっと…みょうじのことが…なまえのことが好きだった。あの時から今まで、ただの一度もなまえを忘れたことはない。自分でもどうしようもない程になまえのことが好きだ…大好きだ…」
今度は俺が林檎のような顔になる番だった。
そんな顔を彼女に見られたくなくて顔を逸らしたくなったが、しっかりと目を見なければ伝わらないと思った俺は、必死に恥ずかしさと闘いながら彼女の目を見つめた。
すれば、そんな俺の顔を見て彼女はくすくすと笑い始めたため、やはり逸らしておけばよかったかとも思ったりしたが…
「わたしも斎藤くんのこと…ううん、はじめのこと、好き…大好き。あの頃からずっとだよ」
照れ笑いをしながらそう言った彼女を見ていると、そんな些細なことはどうでもいいと思えたのだ。
やっと
やっと辿り着くことができた彼女の隣
これから先、たとえどんな困難が目の前に立ち塞がろうとも
もう二度と彼女の隣を離れることはしないと
俺は、自分の腕の中に彼女のぬくもりを感じながら
己の心にそう強く誓ったのだ
好き、大好き
(そういえば…なまえは沖田と付き合っているのではなかったのか)
(え?なんで?総司は普通の友達だよ?)
(い、いや…なんでもない)
(変な斎藤くん)
[→shiさまへ&あとがき(裏話)]