人の心というものは時間とともに移ろいで行くものだということ。

俺はその言葉を酷く痛感していた。



彼女との再会を果たした入学式。どんなことがあっても時間というのは流れて行くものだ。



驚いたことに彼女とは大学ばかりか学部も同じだったようで、あれからもキャンパス内で彼女の姿を見かけることが多々あった。

例え彼女が俺のことを覚えていなかったり、増しては嫌っていたのだとしても、俺は彼女のことが好きだ。

それ故に、姿を見かける度に声を掛けたい衝動に駆られたりもしたが、そこは少しの理性で堪えていた。

別に沖田に言われたことを律義に守っているわけではない。

俺自身が躊躇っているのだ。



入学式のときのように、彼女と目を合わせることで自分が傷つくのが怖かった。



好きだから、好きだからこそ


"知らないよ、こんな人"


あの一言は俺の胸に深く突き刺さったのだ。




だが、どれだけ心が痛んでもあの頃の想いはそのまま。

自分でも分かっているつもりだが、頑固なのだ。

簡単に諦められるくらいならとっくに諦めている。

でなければ、わざわざ都市圏でもなんでもない場所にあるこの大学を受験しようなどとは思わなかったはずだ。

その証拠に、今もこうして時間を見つけては図書館なぞに入り浸っている。

俺はどうしても忘れられない。彼女のことが。



そして、いつも図書館に来ては手に取ってしまう本。

"こころ"

背表紙に書かれたタイトルを見つめては、その本を手に取ってぱらりとページを捲る。それがいつもの日課だ。



だが、どうやら今日はいつもと同じではないようだった。

"こころ"を手に取ろうとした俺の手に、横から小さな手が重なって来たからだ。



「あっ、すみません」

「いや、こちらこそ…すまない」



手と手がぶつかり俺は慌てて手を引っ込める。

そして女と思しき声に先に謝罪され、反射的に俺もすまないと謝ったのだが。



俺は、その重なった手の相手を見てまたもや言葉を失った。



そこには彼女がいたからだ。




「あ…わたし、これでっ」

「待ってくれ!」

「!!」




すぐに俺の前から立ち去ろうとした彼女の手首を、俺は反射的に掴んでしまっていた。


俺のその行動と、思ったよりも大きくなったその声に驚いてか、彼女は小さな肩をびくりと跳ねさせるも、すぐに眉を顰めて俺のことを睨む。



「あの…離してもらえますか。わたし、あなたのこと知らないんですけど」

「……す、すまな」



俺は彼女の冷たい声に思わず手を離しそうになった。

だが、体が言うことを聞かなかったのだ。

離したくない、離しては駄目だ。

まるで心がそう言っているように思えて。




「"こころ"…あんたもこの本が好きなのか」

「あの…離してって言ったんですけど」

「すまんがそれは出来ない。俺がそうしたくないのだ」

「……なにを」



俺の言葉に、彼女は戸惑うように視線を泳がせた。

俺はそんな彼女を見て色々な想いが込み上げて来るのを感じた。

人の心は移ろうものだと、俺はさっきまでそう思っていた。

だが、今こうして"こころ"の前で出会えたこと。偶然だとは思えない。

自惚れかもしれないが、彼女はあの頃から少しも変わっていないのだと…

そんな期待をしてしまう俺はやはり馬鹿なのだろうか。




「あ、なまえいたいた。ねぇ、僕そろそろ帰りたいんだけど…って…きみ、何してるの」



彼女の手首を掴んだまま二人視線を合わせていたところで、彼女を探していたらしい沖田が現れた。

入学式の日に、彼女にはもう声を掛けるなと沖田に言われたこと。俺はここでやっと思い出す。

沖田もそのことで今俺に冷たい視線を送っているのだろう。

だが…そんなこと。

そんなことは俺の知ったことではなかった。




「きゃっ!ちょっと!」

「ちょっと、何処行くのさ!」

「すまない、沖田。俺はあんたに言われたこと、守れないし守るつもりもない。そういうことだ!」




ここが図書館だということも忘れて、気が付けば俺は彼女の手を掴んだまま走り出していた。

何処へ向かうのかなんて、俺にも分からない。



だが…そんな俺にもただ一つ言えることがある。



それは…



もう二度とこの小さな手を離したくない、離すものかと



心の奥底からぐんぐんと込み上げる、俺の確かな彼女への想い




ただそれだけだった。












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