「いやぁ!放してください!」
「うん。もういいわよ、降りても」
「えっ?」
とりあえず追手はまけたようだし、と、私の肩の上でじたばたと暴れていた雪村千鶴を地面に下ろした。
はじめ君、幻滅しただろうな。
小柄な女の子とはいえ、人間を軽々と担いで飛んだり、走ったりする所を見られちゃったんだもの。
鬼の女子なら普通に出来ることでも、人間の男が見たら引くわよね。
「はぁ…」
「あ、あの…、私、逃げていいんでしょうか?」
ため息を吐きながら、薙刀の先で地面に渦巻きを描いていた私に、雪村千鶴がおどおどと尋ねた。
「ううん。まだ駄目よ」
「まだ、って…?」
「そう焦らないで。大丈夫、はじめ君が来たら逃がしてあげるから」
私がにこっと笑って答えると雪村千鶴はますます怪訝そうな顔になった。
「…あっ、来た!」
砂利を踏む足音が一つ。
言ったとおり、一人で来てくれたんだ。
嬉しくなって塀に飛び上がって弾みを付けた私は、落下しながらはじめ君に向けて薙刀を振り下ろした。
月の光に煌めく白い刃がそれを受け止める。
「待ってたよ、はじめ君」
「なまえっ!あんたは何者だ!?」
問いには答えずに私は次々に攻撃を繰り出した。
はじめ君は私の攻撃を避けながら、反撃の機会を狙っているようだった。
「はじめ君、さっきから避けてばっかり。刀は得意なんじゃなかったの?」
「くっ!煩い!」
わざと挑発して隙を与えてみたら、はじめ君は刀を鞘に戻して居合の構えを取り、一瞬で間合いをつめ、その太刀を素早く抜き去った。
「っ!!」
余裕をかましていたら、危うく胴を斬られそうになり、私は慌てて飛び退いた。
「あぶなかったわ。はじめ君、強いのね!」
「ふっ。あんたもな」
惚れぼれするようなはじめ君の剣を目にして思わず笑みが零れる。はじめ君も薄く笑った。
私とはじめ君が戦っている隙に、忍びのような黒い装束を着た男が雪村千鶴の手を引いて逃げていく。
「あーあ、逃げちゃった」
「…追わぬのか?」
再び切り結びながら、会話を交わす。
「いいの。だって、あの子がはじめ君達と一緒にいる限り、あの子を攫いに来る度に私ははじめ君に会えるもの」
「なっ!!」
「隙ありっ!」
驚いたように目を瞠ったはじめ君の刀を思いきり叩き落として、私はぎゅっとはじめ君に抱きついた。
「なまえ!?」
「今だけ。一度だけ、ぎゅっ てして?次に会うときはきっと、本気の殺し合いになるから」
「っ!」
はじめ君の肩がビクッと跳ねる。一瞬の後、右手が遠慮がちに背中に回された。
私は目を閉じて、一度大きく深呼吸をした。
はじめ君のぬくもりや匂いを体中に滲み込ませるように。
「ありがとう、はじめ君」
「ぐっ」
このままずっとこうしていたいという気持ちを振り払うように、私ははじめ君の胸をドンッと突き飛ばし、くるりと背を向けて思いきり地面を蹴った。
「またね、はじめ君。おやすみ!」
月明かりに照らされて塀の向こうに姿を消した私の姿を見ていたはじめ君は、どんな顔をしていただろう?
ねぇ、はじめ君。
私、照れて真っ赤になるはじめ君の顔も、
淡く微笑んでくれるはじめ君の顔も、
私に刀を向けているときのはじめ君の顔も、
ぜんぶ好きだよ。
だから……
もしも最初から敵だと分かっていたとしても、私はきっとはじめ君に恋をしていたよ。
初恋鬼(完)
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[次はshiさまへ]