「ここへは祭りの警備で来たのだが……」
「そう、なの…」
お仕事ならば私と一緒に遊んでる暇なんてないわね。
けれど、一気に落ち込んで俯きかけた私の耳に流れ込んできたのは、思いがけない言葉だった。
「だが、元々俺は今日は非番だ。故に、少しくらい縁日を見て回ったとて、問題はないだろう」
「本当!?」
ぱっと顔を上げると、彼は少し困ったような照れくさそうな顔で淡く微笑み、小さく頷いた。
「ありがとう!あの、よろしく、お願いします!えっと…」
名前を呼ぼうとして、まだ聞いていないことに気付いた。
「あの…、名前聞いてもいいかしら?あ、わ、私はなまえ…と申します」
どうしてかしら?彼の前だと緊張して、言葉が丁寧になったり友達口調になったり、ぐちゃぐちゃになってしまう。
彼の顔もずっと見ていたいのに、目が合うと途端にすごく恥ずかしくなって、思わず視線を外してしまうのだ。
「斎藤だ。斎藤一。……こちらこそよろしく頼む」
「斎藤さま?」
私が名前を呼んだ途端、斎藤さまの顔が湯気が出そうなほど真っ赤に染まった。
もしかして、彼は恥ずかしがり屋さんなの?
「さ、斎藤さま、などと呼ばれるほど、俺は偉くはない」
「そ、そう。じゃ、じゃあ、はじめ君、とか…」
わ、わわわ、私ったら、いきなり名前で呼んでしまうなんて、なんということをっ!?
ほ、ほら、彼だって困ってる。というか、なんて無礼な女だってきっと思って…
「はじめ君、か…。そのように呼ぶ友もいる故、悪くない。で、では参ろう」
「は、はい!」
信じられない!なんて心の広い殿方なの?
里の鬼にはまずこんな殿方はいないわ!と私が感激している間に、斎藤さま改めはじめ君はくるりと私に背を向けて、すたすたと歩いて行ってしまう。
追いつけない速さではないけれど、こう人間が多くてはあまり背の高くないその背中を見失ってしまいそうだ。
…見失ったら、もう二度と会えないかもしれない。
そう思ったらすごく不安になって、私は咄嗟にはじめ君の黒い衣の袖を掴んでいた。
「っ!?」
はじめ君が息を飲み、私の目の高さにある肩がびくっと震えた。
離せ、と言われるかと思った。
けれど、はじめ君は白い襟巻の中に顔を隠すように顎を埋めると、袖を掴む私の手はそのままに、先刻よりも少しゆっくりとした速さで歩み始めたのだった。
『初恋鬼【前編】』終わり。 【後編】へ続く。
2013/2/21
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