ガツンッと鈍い音がして、男が持っていた棍棒が地面に転がった。

「ぐっ」

低く呻いた男はさっきまで棍棒を持っていた腕を押さえながら地面にうずくまっている。
目の前の黒い影、いや影のように真っ黒な衣を着たお侍さまはどうやら棍棒を叩き落としたのではなく、男の腕を打ったらしい。
人間にしてはあり得ないほど速い動きで見切れなかったけれど、恐らくその左手に持った刀で峰打ちしたのだろう。

「て、てめぇ!なにしやが…」

文句を言いかけた男は黒いお侍さまを見上げた途端、目を見開いて固まった。
不思議に思って黒いお侍さまの顔を背後からひょいと覗き込んだ私も目を瞠って固まってしまった。

男が固まった理由はたぶん彼の目だろう。長い前髪から覗く瞳が宿している殺気に怯えてしまったのだ。
私も彼の藍色の瞳からなぜか目が逸らせなかった。
彼を怖いとは思わない。だけど、頬が発熱したかのように熱くて、心の臓は異常なほどどきどきしている。

人間の男達が「すいやせんでしたー!」と叫びながら逃げて行って、彼が刀を鞘に収めた後も、私は只々じっと彼を見つめていた。
やがて私のほうへ視線を移した彼もまた、私と目が合うとその顔を耳まで赤く染め、きまり悪そうに目を逸らしながら「け、怪我はないだろうか?」と私に尋ねてきた。

「だ、大丈夫。あり、ありがとう…」

お礼を言った私の声は情けないほど吃っていた。
彼は「いや…」と呟き、私の顔をチラリと見るとまた目を逸らした。

「伴はおらぬのか?」
「え?」
「伴はおらぬのかと聞いている。あのような輩も少なからずいる故、このような場所で女子が一人で歩くのは些か危険だ」

私が人間の女子ならばそうかもしれない。けれど、私は女鬼。しかも西の鬼の頭領の妹として、薙刀や体術など戦う術も学んできている。
並みの人間の男よりはよっぽど私のほうが強いはずだ。さっき男達だって彼が来なくても自分で何とか出来たのだ。
でも、私の口は違うことを言っていた。

「伴とは、その、はぐれてしまって。あの…、御迷惑でなければ、い、一緒に縁日を見て回ってくれない、くれませんか?」

初めて会った男、しかも人間にこんなことを言うなんて、自分でも信じられなかった。
だけど、なぜだかどうしても彼と一緒にいたくて、その想いが言葉になって口をついて出てしまったのだ。

「俺…と…?」

彼の藍色の瞳が驚いたように瞠られる。頬の火照りを両手で隠しながら、私がこくりと頷くと、彼は眉根を寄せ口の中でぶつぶつと何かを呟き始めた。
やっぱり迷惑だったかしら?はしたない女子だと嫌われてしまったかしら?と後悔しかけたそのとき、彼がコホンッと小さく咳払いして、口を開いた。

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