『こころ』
恐らく…ではなく、本当にこれで最後になるであろう図書室に着いた俺は、何を考えるでもなく無意識にその本へと手を伸ばしていた。
俺がみょうじと話すきっかけとなったのがこの本だったな、などと、そんな思い出が俺の頭に浮かぶ。
あれから三ヶ月。長かったのか短かったのかと聞かれれば、俺は迷わずに短かったと答えるだろう。
―私はその人を常に先生と呼んでいた。
そんな冒頭で始まるこの話を、最初の1ページから最後までパラパラと捲った。
そして、最後まで捲ったそのページには、貸出カードが入った茶色い封筒が貼り付けられていて。
俺はなんの気なしにその茶色い封筒から貸し出しカードを取りだしてみる。
『2年A組 斎藤一』
『2年A組 みょうじなまえ』
一番下に並ぶ俺の名前とみょうじの名前。
あの時、みょうじは借りてみようかななどと言っていた気はするが、本当にこの本を借りていたのだなと思うと、こんな時だというのに少しだけ笑みが零れてしまった。
そしてその貸し出しカードを眺めていれば、どうしてだか自分の手が勝手に制服の胸ポケットへ動いてしまっていて…
『好きだ』
胸ポケットから取り出したシャープペンシルでそう一言。
無意識のうちにみょうじの名前の隣にそんな言葉を書いている自分に気が付いた俺は、慌ててシャープペンシルの頭に備え付けられている消しゴムでその文字を消そうとした。
はずだったのだが。
「斎藤くん」
「っ!!」
消しきる前に突如後ろから掛けられたその声で、俺はとっさに貸し出しカードを封筒に戻して本を閉じてしまっていた。
そして、その声のほうを見れば、みょうじが笑顔でこちらを見ていて。
「『こころ』?またそれ読むの?」
「い、いや…なんでもない。ただ見ていただけだ」
「そっか。あ、そんなことより、どうして先に行っちゃったの?私、お手洗いにでも行ったのかと思ってしばらく教室で待ってたのに」
「すまない」
とりあえず、図書室で会話をするのもなんなので、俺はみょうじとともに図書室を出た。
そこで、これから本を読んでいくのかとみょうじに問いかければ、みょうじは少し申し訳なさそうにして首を振る。
「これからちょっと剣道部の手伝いに行かなくちゃいけなくなったの。だから今日は一緒に帰れないんだって伝えようと思って」
「そう…か」
「ごめんね!また明日一緒に帰ろうね!」
また明日
その言葉に俺の胸は再びズキリと音を立てて痛む。
「じゃあ、私行くね!」
俺にそう言い残して、図書室前から去って行くみょうじの後ろ姿。
軽い足取りでどんどんと俺から離れていってしまうその姿を見ていると、俺は無意識のうちにみょうじを呼び止めてしまっていた。
「みょうじ……!!」
思っていたよりも大きくなってしまったその声に肩を小さく跳ねさせながらも、みょうじはゆっくりと振り返った。
そして、みょうじは驚いたような顔をしながらも、いつものあの笑顔で「なぁに?」と首を傾げるのだ。
伝えるならば今が最後。
しかし、そこは俺の弱さゆえ。
「……なんでもない。また…明日、な」
「変な斎藤くん!じゃあ、また明日ね!」
今度こそ本当に、俺の前からみょうじの姿はなくなった。
また明日、など…どうして俺はあんなことを言ってしまったのだろう。
後悔してももう遅い。
明日からは、みょうじの日常に俺の姿はないのだ。
また明日
(俺は生まれて初めて守れない約束をしてしまった)
fin.
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