一日と言うものは、こうも長いものだったか…。

いつも家に一人で居る間、テレビ等音の出るものは点けていない。
特に見たいと思う番組も、聞きたい音楽なども無い。まずそれらに必要性を感じないのだ。

それよりずっと聞いていたい音がある。


朝起きると朝食と弁当を作る。まだ寝ている同居人を起こさぬ様に音を極力立てずに調理するのはもう慣れた。
二つ並んだ弁当箱の大きさは同じだ。それに色とりどりの食材が隙間無く詰め込まれた辺りから、室内は賑やかになっていく。
裸足で廊下を駆ける音や「遅刻する」と半泣きの声。それを横目に新聞を広げ、珈琲を飲むのが俺の日課だった。

そしていつもの時間に一人家を出、大学に着くと俺の側には必ず誰かが居る。
総司や平助、友人は意外にも騒がしい者が多い。講義中に聞こえてくる教授の声や、内緒話、それらの音は俺の一日の中では欠かせない物となっていた。

いつも大学からの帰宅の際、駅を降りてからスーパーに寄る。
まとめて買えばいいと言う同居人の意見も一理あるが、俺はその日その日で食べたいものを作りたい主義だ。アレが足りない、コレが足りないともなってしまうと、何だか悔しくて堪らなくなってしまう。
井戸端会議をする主婦達の声に紛れ、今日の一食分と明日の朝昼食分の食材を買い込み家路に着いた。ここまでで、目立つような苦労はない。

だがそこから。
俺は同居人が帰ってくるまで無音で過ごす。
その間が、俺の感じる唯一の「苦労」なのだ。

「何をしてこの時間を潰すか」…俺はその時間を有効に使おうと以前から試行錯誤を重ねて来た。しかし、何をしてもしっくり来ずただ時間がゆるりと流れていくだけ。
以前の俺は一人の時に何をして過ごしていたのか。今となるとまったくもって思いつかぬのだ。


「あと、大体…十分程度か、」

俺の趣味では無い…眼にあまり優しくない色のソファに越しかけ、ちらりと壁掛け時計を見上げると、時間はもう二十一時を過ぎている。結局何もしないまま、長すぎる無音の苦行は終盤に入っていた。
先程送られてきたメールによると、今夜も大体このくらいの時間だろう。俺は暇疲れをしだしている己の身体に呆れつつ、ため息をつきながらもゆっくり腰を上げた。
彼女の声を最後に聞いたのはもう何時間前の事だったか。


「たっだいまーっ!」

キッチンに立って夕食の仕上げをしていると、玄関から賑やかな声が聞こえてくる。ここに来て俺は唯一の「苦労」から解放される。

「はじめっ、ただいまーっ!」
「ああ、お帰り」
「んーっ!今日もいい匂いっ」
「夕飯前に着替えを済ませろ、もう直に出来る」
「あーい」

がたがたばたばた。
まるで幼い子供が大袈裟に歩くような音を立てながら、部屋を行ったり来たりする同居人…なまえは、俺より年上で今年社会人四年目を迎える。
今年の四月に俺が大学へと進学し、家を出た際に一人暮らしを始めたのだが、俺は殆どの時間、毎日と言って良いほど彼女の家に転がり込み住み着いている状態だった。
その内自分のアパートにも帰らなくなり、この家には俺の物が増え「だったらもう一緒に住んじゃう?」と願い出てくれた彼女の言葉に甘え、こうして共に毎日を過ごしている。

それからだ。俺が一人の時間を長く感じる様になったのは。


「毎日忙しそうだな、毎年こうだったか?」
「んー、毎年こんな感じだよー、ほら去年はホワイトデーとか会えなかったじゃん」
「…そう、だったな」
「あー、あのハゲなんでもわたしに押し付けてえぇ…」

彼女の言うハゲとは彼女が勤めている会社の上司であり、彼女曰く「仕事も上手く回せない癖に威張り散らしている嫌な奴」らしい。余り男性にそう言った表現を使う物では無いと言ったのだが、それを言うと「はじめは偉いねぇ」と、背伸びをしてまで俺の頭を撫で子供扱いをしてくる故、もうこの先二度と言うまいと心に誓った。
向き合って食事をしている最中も、なまえは俺にはまだ経験できない社会の話をしてくれる。
俺はただ相槌を打つだけだが、その日にあった楽しい話や悲しい話をする時の彼女を見ているのは嫌いではない。何より音がある事が嬉しく思う。

「いつもごめんね、遅くて…暇してない?」
「ああ、特に不便も無い故、なまえが気にする事ではないだろう」
「でもうち遊ぶ物何も無いし…、はじめゲームとか買ってもいいんだよ?」
「買ったところで喜んで遊ぶとも思えん」
「そう、」

いつも帰りが遅い事を申し訳無く思っているのか、毎晩この会話は交わされる。
そこで「寂しい」「もっと早く帰ってきて欲しい」など、口が裂けても言えぬ俺は今日も「一人の時間も必要だ」と、心とは間逆の言葉を吐いていた。
しゅんと肩を落としたなまえは、食べ終えた空の食器を重ねて唇を尖らせる。

あんたは大人で、俺はまだ子供だ。
それは変わらない事実とは言え、何か玩具を与えられないと暇も潰せないのかと思われるのが嫌だった。

「風呂が沸いている、先に入るといい」
「あ、ありがとう」

やっと賑やかさが帰って来たとは言え彼女が風呂に行ってしまえば、あとする事と言えばベッドに入り寝るだけ。明日が平日ではなかった場合、夜更かしも可能なのだがそうは行かない。

「……………」

一日は音に溢れ、知らない内に耳はその心地の良い声を求める。
もし彼女が俺と同じ大学生だったら、講義が午後のみの場合や休校の場合ずっとくっ付いて沢山の時間を共有出来たのだろうか。
大学も同じ、学部も同じ、行きも帰りも…。それだと例の上司の代わりに、あの教授が「ハゲ」と言われ兼ねぬが、それを見て笑うなまえも俺は見てみたいと思った。

「こんな事を考えているから、俺はまだ子供だというのだ…」

がしゃがしゃと音を立て食べ終えた食器を洗っていく。
バイトでも始めようか…、しかしそれだと益々同じ時間を過ごせなくなる。しかし現状は、こうして俺の方が家に居る時間が長いにも関わらず「はじめはまだ学生だからいいよ」と言って家賃も半分以下にしてくれる。
なまえにしてみれば、何の気なしに言っているのだろうが、俺からしてみたら不本意な事なのだ。


「……………、」
「水が跳ねるぞ…」

お揃いで買った箸を水切りに差した所で、突然俺の腰に何かが抱きついてきた。振り返らずともわかる。今この空間には二人しかいないのだから。
いつの間にか風呂から上がったらしいなまえが、髪も濡らしたまま無言で俺にしがみ付いていた。
こうしてみるとまるで年上とは思えないが…俺がどれだけ追い付きたいと思ってもそこだけは変わらぬのだ。

「はじめ、わたしだって…寂しいよ、」
「…だって?其れだと俺が寂しがっている様に聞こえるが」
「違うの?」
「…………、」

蛇口を閉めタオルで手を拭くと、そこで俺はやっと振り返る。じとりと見下ろすと、化粧を落とし顔の派手さが少し取れあどけない瞳が俺を見上げている。

お互いに黙り込んだから、辺りから音は消え冷蔵庫が氷を作る機会音だけが嫌にはっきり聞こえてきた。

「何故、そう思う」
「だって…いつも帰ってくるとテレビも点いてないし、本を読んだり何かしてたりする形跡が見当たらないんだもん、」
「…特にしたいと思う物が無いだけだ、」
「だから、寂しいんでしょ?」
「…は?」

一体何を言っているのだ。
したい事が無いからしない。それとどうやったら「寂しい」が結び付くのだと俺は眉を下げた。

「まだはじめが実家に居て自分がここに一人で住んでた時、はじめとの時間が楽しすぎて一人の時間をどう過ごせばいいのか分からなくなっちゃってたの。その時のわたしとしてる事が似てる。わたしも寂しさ紛らわせるのに苦労したから…」

そう笑った彼女の髪から、足元にぽたりと雫が垂れた音が聞こえた。

「テレビを見てても頭に入らなくて、つまんなくて…はじめの声が聞きたくてしょうがなくて。音楽聴いても、本を読んでも、何をしても時間が長く感じて…」
「…………ああ、」
「甘えたくて甘えたくてしょうが無くなるの、」

そう続けた彼女の声は、数時間前ずっと聞きたくて仕方が無かった音そのものだった。

俺よりずっと大人で、余裕もあって、金も自立もあるなまえから意外な言葉が出てきた。毎日仕事が忙しく疲れているのか余り甘えても来なかったから、それが大人の余裕なのだと俺は勝手に思っていたのだが、どうやら…。


「俺が我儘を言い出すと、困るのはあんただが…」
「いいよ、もっと一杯言ってよ。早く帰って来いー!とか、週末に飲み会行くなー!とか。はじめの頼みだったらわたし喜んで聞いちゃう」
「そこまでは………いや、そうだな。ならば一つだけ、」
「なあに?」


どう足掻いても追い付けないと言うのならば、俺は飛び越えればいいのか。
今俺に出来る事は、いつもの様に朝食と弁当を作り、毎朝慌てて家を飛び出していく彼女を見送り、いつも通り大学で勉強をし、スーパーでなまえが喜びそうな献立を考え、家に帰り彼女を迎える支度をする。

そして、いつか…意外にも大手らしいなまえと同じ会社に入り、そのハゲていると言う上司の席を俺の物にしてしまえばいいのだ。言うだけはタダなのだろう?まだ…。


「遅くなると知らせるメールを、電話にしてはくれぬか…?」
「…え!?そ、それだけ?」
「ああ、少しでもあんたの声を聞ければ、俺はゲームもテレビもオーディオも要らん。独りの時間などあっと言う間に過ぎる」


頬に張り付いた濡れ髪を指で優しく払うと、そのまま小さく口付けを落とした。


「いつか、なまえと同じ時間を共有する日が来るまで、今は目一杯…その独りの苦労とやらを堪能しようと思う、」
「はじめ、」
「生きてきた時間は追い付けぬが、共に過ごす月日はこれからも同じだろう」
「うん!!!」


だから、こうして一緒に居る間は、日々の苦労など忘れて
音を…あんたのその居心地のいい音を、

俺に聞かせて欲しいのだ。






惚れて通えば千里も一里

(だが、いつも思って居たが…残業とは勤務時間内に仕事を終わらせられなかった者がするのでは…)
(ぎくぅ!!!)
(…まさかあんたは、上司の所為にして己の仕事の遅さを…)
(ち、違う!本当に忙しくてっっ!)
(つまり、あそこで素直に早く帰れと言った所で叶わぬ願いだったと言う訳か、)
(うう、精進します…)


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