「しかし、斎藤の方から食事に誘ってくるなんざ。珍しい事もあるもんだな」
「はい、お忙しいとは思ったのですが…。いつも仕事で力行されている土方さんに少しでも普段の心労を解消して頂きたく思いお誘いしたのもありますが…。私事ながらお話をしたい事がありまして。こうしてお声を掛けさせて頂きました…」
「……………、」


チラリとわたしを一瞥した斎藤くんは、わたしにだけ見える様に小さく口の端を上げてから目を細めた。


「…なまえと先に約束していたのですね。申し訳ありません、お邪魔でしたか」
「いや、斎藤とは久し振りに顔合わせるんだ。学生時代を思い出していいじゃねえか。なあなまえ」
「う、うんっ」

丸いテーブルを囲むように席についているわたし達は、机に置かれたワインを片手に小さく乾杯をした。わたしの手が震えて、斎藤くんが傾けたグラスに触れた時カチカチと音がしたのが嫌に耳についてしまって俯いてしまった。

「どうした、なまえ?お前、顔色悪くねえか?」
「えっ、そんな事ないよ、全然大丈夫!」
「なまえは緊張しているのでしょう。この様な畏まったレストランは得意じゃないと以前言っていましたから、」
「っ、」

わたしの左隣りでワインを少しだけ飲んだ土方さん。そして右隣りに座ってワインを半分飲んだのは、わたし達の昔馴染みである斎藤くん。この二人とは大学時代からずっと縁があってよく一緒に居た。わたしより二つ年上の土方さんが大学を先に卒業して、わたしと同い年である斎藤くんは、土方さんの後を追い掛ける様に彼と同じ会社へ就職したが、わたしは二人とは別の会社に就職した事もあって、こうして三人で顔を合わすのは久し振りだったりする。

「俺は毎日土方さんと顔を合わすことがありますが、こうしてなまえとゆっくり顔を向かい合わすのは久し振りです」
「何だ。お前等あんなに大学じゃあ仲良かったじゃねえか。今は連絡取ってないのかよ」
「…いえ、連絡はたまに、」

運ばれてきた料理が目の前に静かに置かれていく間、わたしはずっとテーブルの上でゆらゆらと揺れる手付かずのワインを眺めていた。一体、何を考えているんだろう、斎藤くんは…。と、考えても考えても頭は真っ白で何も考えられない。だからと言って視線で「何で?」と問うことも出来ず、加えて土方さんの顔を見る事も出来ない。

わたしと土方さんは付き合っている…。
土方さんが大学を卒業する時、想いを告げられて…わたしもずっと好きだったから二つ返事で頷いた。当時、斎藤くんにそれを報告した時は、笑って「よかったな」と言ってくれていた。

「どうした。なまえ、食べねえのか?」
「あっ、いただきます!ちょっとテーブルマナーとか緊張しちゃって、」
「気にせずともいい。好きな様に食べればいいのだ、」

そう言って斎藤くんは、静かにナイフとフォークを下ろし口の端に付いた前菜のドレッシングをナプキンでは無く、指で拭い取りペロリと舐めた。


そんな彼に好きだと言われたのは、土方さんと付き合い始めてから二年後だった。わたし達の卒業式の日、いつも通り駅のホームで「じゃあまた連絡するね」と笑って別れようとした時、腕を引かれて抱き締められた。潰されてしまうんじゃないかと言う位力強く腕に閉じ込められて、一瞬息をするのも忘れてしまう程だった。
「あんたがいい。土方さんとの仲を邪魔したく無かった故…ずっと言えなかったが、俺は…ずっとあんたが」と、いつもの斎藤くんからは想像が付かない位に辛そうな声音だったのを覚えている。
わたしは、突然告げられた彼の想いに、どうしていいのかわからずその場で「わたしには、土方さんが…」と言ったっきり黙りこんでしまった。土方さんと付き合いだしてから二年。彼の仕事が忙しいからなかなか合って貰えない不満が心に溜まっていた時期だった。暫くして、ゆっくりわたしから身体を離した斎藤くんは「直ぐにとは言わない。だが、覚えていて欲しい。俺は誰よりもなまえを好いている、」と言って泣きそうな顔で笑った。それが凄く印象的で。少し弱っていたわたしの心はグラリと揺れた。


「そういや、斎藤。何か話があるんじゃなかったのか?」
「ああ、はい」
「また総司の野郎がお前の家に押しかけて来て住み着いた。とかじゃねえだろうなぁ」
「あれはもう二度とごめんです。あいつは現在俺の家に出入り禁止なので、」
「そりゃ懸命な判断だな、」
「………………、」

楽しそうに話す土方さんと斎藤くん。今日は以前から土方さんと食事の約束をしていたけれど、まさかそこに斎藤くんが来るとは思わなかった。だって、

この間逢った時は何も言ってなかったから。

その日から、わたしと斎藤くんは密かに逢っていた。と言っても、良く聞く大人の関係じゃなくて。普通にご飯に行ったり、映画を見たり、買い物をしたり。土方さんに構って貰えなければ貰えないほど、わたしは斎藤くんと一緒に居るようになったのはいつの頃からか。最初はずっと罪悪感に苛まれていた。でも、たまに降って来る瞼や頬に落とされる彼の唇。「唇にはしない、」と低い声でそう言った時の斎藤さんは、いつも苦しそうで…。そこで初めて「ああ、わたしだけが悪い事をしているんだ」と気付いた。

だって。
わたしには土方さんが居るのに。なのに唇以外に落とされるそれを、一度も拒否しなかったから。


「土方さん、今日は一つお願いがあって来ました」
「お願いか。…おう、遠慮することはねえ、なんだ」
「はい。俺は、」


そして、いつからか。
わたしが待つのは、恋人である土方さんからのメールや電話じゃなくて…。


「俺は大学時代からずっと土方さんを尊敬しておりました。それは今も変わっておりません、」
「は、」
「…斎藤、くん、」

味も分からないまま次々と下げては、新しいものが運ばれてくるコース料理も中盤に差し掛かった頃。話を切り出した斎藤くんは、食べていた口を休め畏まった様に一度背筋を伸ばし直した。そして、一度だけわたしを見てから、やっぱりあの時と同じ様に微笑みながら、困った様に眉を下げ泣きそうな顔をしていた。

ああ、そうか。
もうこの関係に終止符を打つ時が来たんだ。


「これからも、土方さんは俺の大切な上司であり、人生の先輩です。しかし、俺にはどうしても貴方から奪いたい物が一つだけ…あります」
「………、斎藤、お前」

ガタリと、静かなレストラン内に椅子を立つ音が響いて、土方さんがやっと食事の手を止め、立ち上がった斎藤さんと…未だ無言でそこに座っているわたしを交互に見やった。


「先程は、嘘をついてしまい申し訳ありませんでした」
「…嘘?」

ぴくりと土方さんがその言葉に反応を示すのと同時、わたしも同じ様に身体が跳ねた。


「俺は、なまえが好きです。たとえ相手が土方さんであろうと、これだけは変わらない。なので俺に一度だけ機会をください。それが駄目なら俺はもう二度となまえには近付きません故、」

そう告げて、土方さんに深々と頭を下げた斎藤くんは、そのままの状態で強く拳を握っていた。わたしは、それを見ながら肩を震わせて泣いていた。土方さんはただ驚いた様な表情で斎藤くんを見てから、ゆっくりとわたしの方を向いて椅子の背もたれにどっかりと凭れ掛かった。

きっと、勘のいい彼のことだ。もうわたしの気持ちにも気付いているんだろう。ごめんなさい。何度もそう心の中で繰り返すわたしの喉はカラカラに乾いていたけれど、身体だけは無意識に動いていた。
他のお客さん達が好奇の目で見てくるけれど、そんな事も関係なくわたしは頭を下げたままの斎藤くんを抱き締めていた。


「はあ、そう言う事か…、」
「ごめんなさい、土方さんっ、ごめ、ごめんなさ、」
「俺が勝手にあんたを連れ出した。なまえは何も悪くないだろう、」
「違うっ、わたしがっ!」

「もういい。…おいなまえ」
「…ごめんなさい、わたしは、」
「いいから、聞け」

少し乱暴に席を立った土方さんが溜め息を付きながら、泣いているわたしを見やって口を開いた。わたしは斎藤さんが少し顔を上げたのを背に置いていた手に感じながら、真っ直ぐ土方さんを見据えて頷く。涙は止まってくれない。きっとこの涙は、斎藤くんの気持ちを痛いほど知ったのと、彼の…土方さんとの二年間を思っての涙でもある。


「楽しませてやるより…寂しい思いさせちまった事の方が多かっただろうな。すまなかった」
「…土方さ、」
「でも、まあ。いいじゃねえか。お前が正しいと思う道を行く。俺はそれが間違ってるとは思わねえ。お前が選んだ道なら、俺はそれでいいんだ」
「ごめな、さっ、」
「……土方さん、」

「ま、悔しい事には変わらねえが。たまにはこういうのも悪くねえよ、」そう言って微笑んだ土方さんは、席を立ったまま普段は飲まないワインを一気に飲み干しフォークでぶすりとステーキを刺した。そのまま大きな口でそれを食べると「行けよ。ここは俺が払ってやる。斎藤は明日からまた会社で扱き使ってやるから、それで相子にしてやるよ」と冗談っぽく口元のソースを拭った。

わたしの心は、斎藤くんに傾いていたけれど、それでもちゃんと…。貴方の所にもあったんです。きっと今更そう言っても信じて貰えないと思うけれど、それでも…これからもずっと土方さんの幸せを願い続けるだろう。

「…ありがとうございました。また、明日会社で」


「ああ、また……また三人で飲もう」


「はい」
「ありがとう。土方さん、」

わたしがお礼を言うと、昔みたいな笑顔で送り出してくれた土方さん。斎藤くんも安堵した様に微笑み、わたしの手を取り店を後にする。まだ心臓は潰れそうに痛いけれど、それでもわたしの手をしっかりと握り締めてくれる斎藤くんの力強さに、着いて行こうと決めた。


「…斎藤、く」
「っ、」

そして二人で店の扉を潜ったと同時、無言で振り向いた斎藤くんに噛み付かれる様な口付けをされた。背中が冷たい壁に押し付けられ、両腕を痛い位に掴まれて。
あの日駅で抱き締められた時の事が、思い出された。

今までずっと、瞼、額、そして頬にしか落とされなかった優しい触れるだけのそれとは違い、本当に骨の芯まで熱くなる様な深いものだった。


「…やっと、手が届いた。もう離さん…、」
「うん、っ、」


壁に押し付けられたまま、そこで初めて知った激しい感情を唇に、わたしは彼の背中に腕を回して全てを絡ませた。口付けの合間繰り返し告げてくれたのは、卒業式の日以来の「好きだ」と言う言葉。それが何より、嬉しかったんだ。

そこで気付いたのは。

わたしはずっと望んでいたのかもしれないと言う事。

誰かのものであるわたしを、
奪ってそして、






あなたのものになる日を


(これからは、土方さんの代わりにあんたを幸せにする)
(ありがとう、)



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