「ご馳走様でした!」
「はい、御粗末さまでした」


母さんのご飯は美味しい。凄く凄くだ。子供の頃によくお誕生日会とかしたでしょう?他所のお家に呼ばれて何度も友達のお母さんが作ったご飯を頂いたりしたけど、うちのご飯は天下一品!それは社会人になった今だって変わらないの。仕事が終われば真っ直ぐ帰ってくるし、余り外食もしない。ご飯をおかわりして、おかずも完食したりなんかすると凄く喜んでくれる。その時の笑顔がわたしは大好きだったりする。
でも、「なまえがいっぱい食べてくれると作り甲斐があるわ」と笑う母さんのその顔を見ると痛む場所がある。

バタンと玄関の扉を閉める音が聞こえて、母さんがエプロンの紐を正した。


「あら、はじめかしら。今日は早いわねぇ」
「本当だ。めっずらしぃ」
「大学忙しそうだものねぇ…」


静かな足音が聞こえて、リビングの扉を開けた我が家のひとり息子にわたし達は物珍しそうな視線を向けた。そんな母親と姉を見て、一瞬うろたえた様に視線を泳がせたはじめだったけれど、すぐさま頭を下げ「ただいま」と薄い唇を開いた。
あーあ。鼻の頭赤くしちゃって。寒いだろうに、沢山着込むのを嫌っているはじめは、ジャケットに加え、先日わたしが誕生日プレゼントだとあげた白いマフラーだけを防寒具にして、リビングに入ってきた。その手には重そうな鞄と…なんだろう、あの箱は。


「知り合いに貰った。よければ二人で食べるといい」
「なになに?」


わたしがご飯を食べ終えて肘を付いていたリビングテーブルに置かれた白い箱を前に、母と首を傾げていると、マフラーを外しながら興味無さそうに「人気店のケーキだそうだ」と言い放ったはじめ。あ、本当だ。この店この間テレビで見たなぁ。芸能人が食べて直ぐに「甘くて美味しいー★」と言っていた映像が思い出される。味わいもせずに美味しいとか面白い事を言うな。とひとり突っ込みを入れていたのは内緒だ。
母が嬉しそうに「じゃあ後で食べましょうね!」と言っているのを横目に、わたしはジッとはじめを見上げていた。立ったままで相変わらず無表情のはじめは、わたしの視線に気付いたらしく「何だ、」と眉を寄せているが「別にー」とそっぽを向いてやった。

これは、アレだ。絶対女の子の差し入れかなんかだ。
はじめがあんなキャッキャした場所に自ら赴くなんて絶対に在り得ない。
そこで可愛げも無くツンツンしてしまった事で、また身体のどこかがチクリと音を立てた。ああ、本当に、無理ゲーだ。無理ゲーすぎる。これが所謂乙女ゲームだったりすれば少しは救われるんだろうけど。これは明らかにそんなんじゃない。だって、在り得ないでしょう。…はじめが例のケーキ屋に行って「このミルフィーユと苺たっぷりショートケーキと、大栗モンブランください」って言ってる様くらい在り得ない。

わたしは、実の弟と付きあっている。


「わたし要らなーい。はじめと母さんで食べなよ。あとひとつはお父さん帰って来たらご飯と一緒に出してやりなよ。エビフライと並べて」
「あら、食べないの?なまえが?珍しい事もあるものね」
「母さんのご飯が美味しいから、一杯食べちゃって胃の容量オーバー」
「あらあら、じゃあありがたく頂きましょうね」
「…、俺も」
「はじめは食べれば。いや、食べなきゃね。うんうん」
「…なまえ、」


わたしは椅子に腰掛けたはじめから逃げるように立ち上がり、リビングを後にする。母さんごめんなさい。あと、はじめを好いているだろうそのケーキの子もごめんなさい。
別に、自分が決めた事だから今更迷うことなんて無いの。ただ、慣れていないだけ。でもその内、こんな感情も薄れてくれるんだろうか。いいや、きっと無理。
ケーキ一つでこんなに嫌な気持ちになるんだもん。はじめの事を手離すなんてきっと無理。

背中に物言いたげな視線を受けつつも、わたしはリビングを後にした。階段を上がる途中何度も立ち止りそうになったけど、そこは持ち前のお気楽さで何とかなった。
背徳感?禁断の恋?そんな少女漫画な言葉、ぽいぽいだ。
その後は、父さんも帰って来て三人できっとケーキを食べているんだろう、リビングから楽しそうな声が聞こえた。それにも何だか一々もやもやしちゃって、そんな自分を見ないように布団を頭から被って、部屋の電気も消してやった。
社会人が、夜九時に就寝スタイルってヤバイ。あ、お風呂。後でいいか。



「…なまえ、その入ってもいいだろうか、」


そして、突然聞こえたノックの音と、はじめの小さな声でわたしの意識は浮上した。
どうやら本当に寝てしまっていたらしい。まあ明日は会社休みだから別に問題ないんだけど、これ起きたら朝まで寝れないパターンだ。
のそり、と身体を起こすと返事が無い事に痺れを切らしたのか、扉から部屋の中を覗き込んでいるはじめが目に入った。廊下の暖色が部屋に伸びていた。


「なあに、わたし眠いんだけどー…、今何時、」
「もう二十三時だ。皆も寝ている。風呂に入らなくてもいいのかと思い、呼びに来たのだが…」
「ふーん。はじめ入った?」
「ああ、今出た所だ、」


よく見れば、覗き込んでいるはじめの髪は濡れていて、いつもよりボリュームダウン。肩に掛けたタオルが何だか水分を吸って重そうに見えた。
もうそんな時間か。あーあ。折角の金曜日だって言うのにこの有様か。ついてない。
重い溜め息をひとつ吐いた所で、部屋の床が小さく軋む音が聞こえて顔を上げる。扉が閉まって、薄暗くなった部屋の中に静かに滑り込んできたはじめの表情は、少し元気が無いように見えた。


「すまない、俺はまたあんたに嫌な思いをさせてしまった…」
「へ?」
「いつもは断っているのだが、今日は押し付けられてそのまま走り去られてしまって…。行き場が無く…仕方なく持ち帰ってきてしまった」
「あ、ああ。ケーキの話し?」
「…………、すまない」


あーあ。
本当にクソがつくほど、真面目だ。真面目すぎる。
「押し付けられて」とか「仕方なく」とか。本当に相手に対して関心が無ければそんな言葉は出てこないだろう。はじめが言ってる事は真実だ。
ベッドの直ぐ脇で頭を下げた部屋着のはじめは、髪からポタポタと雫を落としながらも「もう、しない」とそれだけ言って顔を上げた。


「でも逃げられたなら仕方ないよ」
「次は、探し出して返す」
「はじめ甘いもの何気に好きじゃん」
「それでも返す」
「母さんは喜ぶよ」
「…それでも。あんたが悲しむ…だろう、」


うん。そうだよね。わかるよ。
母さんや父さんが悲しんでも、それでもわたし達はお互いを一番に想うことをやめない。やめられない。解っているけれど、それでいいんだろうか。もうこんな事何度考えたかわかんない。その度に面倒くさくなってもういいやってなって、それでもはじめのこんな顔を見ると、可愛くて可愛くて、好きで好きで、しょうがなくなる。
あんなに美味しいご飯を作ってくれる母さんを悲しませても、いいとまで言っちゃうはじめは、同じ事思ったりしないのかな。

そっと伸びてきた両手がわたしを捕まえる。
するりと背中に周ったはじめの腕と、それを全身で受け止めたわたし。濡れた髪の毛が冷たくて鳥肌が立ったけれど、それでも嬉しくて熱が上がったの。ああ、大好き。


「ねぇ、はじめー」
「ああ、」
「大学生、大変なのはわかるけどさ。たまには早く家に帰ってきてよ。一緒にご飯食べよう」
「忙しいのは今週までだ。来週からはなるべく急いで帰宅する様にする」
「母さん喜ぶよー、」
「なまえも、」
「当たり前じゃん。誰が誘い断ってまで会社から家まで寄り道しないで帰って来てると思ってんのよ。はじめに早く会いたいからじゃん」
「お、俺だって、これでも急いでいるつもりなのだ、しかし…」


ぎゅうと腕に力が篭り、さらに身体をくっつけてくるはじめは、また一段と身体が逞しくなってきている。それを嬉しいと思う反面、少し寂しかったりする。このチクチクと痛むのは心臓だ。心だ。そしてわたしに身体を寄せているはじめの中にもあるんだろうか。このチクチクは。
わたしの考えている事が伝わっているのかそうじゃないのかは定かでは無いけど、はじめが甘えるようにわたしの肩に頬を寄せた。すりすりと、不確かな何かを掴むように撫でる感じは猫と言うより、落ち込んだご主人様を慰める犬みたいだ。
そこまで考えて、わたしは小さく吹き出した。同じように抱き返すと、少し困惑気味のはじめが顔を上げて首を傾げる。ちょっと、わかってやってるの!?


「なまえ、」
「はじめ、好き。大好き」
「あんたはまた…ころころ感情が変わるな」
「悪い?」
「いや、助かる」


触れるだけの口付けが降ってきて、ベッドに腰掛けていたわたしの身体がはじめの重みによって沈んでいく。ギ、と一度音を立てたマットレスに片手を付いて、わたしはその子供みたいなキスに酔いしれた。
同じものを食べて、同じものを見てきたわたし達が、一つになって、身を寄せ合う。
それが悪い事だと解っていても、それが母さん達を悲しませるって解っていても、止められない。
いつかはじめに好きな人が出来て、わたしから離れていっても、わたしは受け入れられないだろう。多分ずっとわたしの方が溺れてる。人並みの幸せが掴めなくても、それでもきっと。…わたしは。


「…皆、寝ている」
「…知ってる。ねえ、はじめ」
「ん、」
「明日は、休みでしょう?ちゃんとみんなで母さんの美味しいご飯揃って食べよ?」
「分かった、」


首筋に温かい唇を感じながらも、わたしは笑って目を閉じた。
今は少しだけ両親の事は忘れよう。そうだ、もしかしてあの人達の事だ。「しょうがないなぁお前らはー」なんて笑って許してくれるかもしれない。そんなの夢のまた夢。漫画の読みすぎだ。それでも願ってしまう。

夢が見たい。いつまでも醒めない夢を見たいんだ。わたし達は。



ベッドに背中を倒されて、薄く目を開けると。暗い中、とても幸せそうな顔をした弟が居た。


薄着じゃ寒いからと、見かねてプレゼントした白いマフラーを嬉しそうに毎朝巻いて出て行くはじめ。
わたしと同じで、両親が大好きなはじめ。
実は大学で女の子にモッテモテなはじめ。
わたしの目を真っ直ぐ見て「姉弟など関係ない。あんたじゃないと、嫌だ」と言い放ったはじめ。


そして何より、わたしを大事にしてくれるはじめ。

これが、わたしの、可愛い恋人。


「するのもいいけど、まず髪の毛拭きなさい。冷たい」
「す、すまない!」
「タオル貸して!」
「じ、自分で…っ、」


姉も、恋人も両方の権利を欲しがる。
そんなわたしは、最後までこう願うだろう。






終わらない夢を見たい


(父さんケーキ喜んでた?)
(二個食べていた、)
(え?)
(俺は、あんたが嫌だと言うなら…要らぬ)
(馬鹿ね、)




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